5月23日 歌舞伎町商店街振興組合 第51回通常総会 および歌舞伎町昨今の動きについて [まちづくり]
2012年5月23日、歌舞伎町商店街振興組合の第51回通常総会が執り行われた。現在、組合員総数は220名、この日の出席者は41名、委任状数78名にて開催。
歌舞伎町商店街振興組合の、前年度事業報告および、新年度の事業計画、および予算などの承認を行うのがこの通常総会。冒頭、平成23年度の事業報告として以下文面が読み上げられた。
片桐基次氏が2期目の路地長として推挙されスタートした平成23年度。歌舞伎町の未来を左右する事になろう東宝株式会社による再開発計画が発表されました。
1,000室規模を誇るホテルと、12スクリーンのシネコンがその中心です。旧コマ劇場の解体工事が本格化し、見た目にもまちが変貌していく事が活性化につながってくれればと願う次第です。
組合では昨年「歌舞伎町の将来を考える会」を立ち上げ、地域に関係する各業界、業種や専門家の方々を交え論議を繰り返した結果、活性化とは投資を誘因することと結論付け、この投資誘因の妨げとなる事案を解消する事が組合の責務であるとしました。
その妨げの最大のものは、来街者の方々の体感治安を悪くするしつこい客引きの存在と考えます。この撲滅に向け昨年組合に返還を受けた臨時派出所を活用し、4月より毎週3日間夕方から警察官OBの方2名採用しパトロールを開始しました。うち2日間は、組合員の皆さまにも分担で協力していただき、又、新宿区の職員の方にもご参加いただき、パトロールの時間中は一定の効果が得られたと判断いたします。
しかしながら、パトロール時間終了後はまた元に戻り、客引きが跋扈する様は変わりありません。
そこで、本年は新宿駅東西9つの商店街が一致団結し、新宿区に客引き禁止条例を請願する為の「新宿駅周辺安全安心を実現する会」が東口商店街振興組合安田理事長を会長として発足し、条例実現に向けて行動を開始しました。
又、3月に発生した東日本大震災の影響で、夏場の電力節約に協力し、一番街、桜通りのアーチを消灯させる等、繁華街の活性化とは逆方向への対応も余儀なくされ、厳しい年度となってしまいました。
2012/5/23 歌舞伎町商店街振興組合第51回通常総会より
続いて、組合理事長の片桐基次氏より挨拶と新年度事業について。「今年度につきましては、いよいよ本格化する東宝ビルの再開発に対して、『街』として、何が出来るか、その一点に尽くされると考えています。 一昨年、地域・事業者・行政の方々で組織いたしました『歌舞伎町の将来を考える会』というのを、何回か会合をもちまして、それにおいて、歌舞伎町の将来を協議させていただきました。そこで導き出された結論、と言いますか、こと、はですね、歌舞伎町の活性化とは、“投資を誘引する”ということ、そのために、我々振興組合は、やるべきことは、誘引を阻害している悪質な客引き、また、スカウト等を排除することが、まず一番だと考えました。ドンキホーテの前の臨時派出所の返還をうけて、安全安心ステーションを構築いたしまして、警察官OBの方の二人にお願いしまして、毎週3回、パトロールを続けております。
更には、昨年11月、区条例による客引き・迷惑行為排除に向けた、“新宿駅周辺安全・安心を実現する会”を、これは歌舞伎町が中心となりますが、新宿駅周辺9商店街・町会の皆様の賛同を得まして、また、歌舞伎町のタウンマネージメントによって発足いたしました。パトロールの手法、法律などの研修などを行い、来年、平成25年度の(条例)施行を目指して、活動しております。これは、新宿区の客引き禁止条例、ま、客引きだけではありませんけど、看板等、9商店街が困っていることを網羅するような条例をつくっていただく、ということで、動いて活動しております。
また、今年2月に発足しました『歌舞伎町地区デザインガイドライン策定委員会』による、シネシティ広場、セントラルロードを中心にした整備、さらなる観光客の増加のため、路線バスの誘致誘引など、観光の街・歌舞伎町に向け、地域・事業者・行政と一体となって、只今、協議を進めております。 そして、これは、大きな地域ということになりますけど、新宿イースト協議会というのがあります。 歌舞伎町は、その一員として、新宿が、楽しく、歩きやすい街、これは中山区長も切望されているところでございます。など、実現し、安全・安心な“歓楽街”歌舞伎町のため、尽力していく所存でございます。」
なお、歌舞伎町商店街は年間で各町会分担金や労働保険事務、共同施設収入(ビル賃貸料等)、および補助金などで約6,200万円の収入があり、これに対し、新宿エイサーまつり(7月)、熊野神社祭礼(9月)、歌舞伎町まつり(10月)や各種の共同宣伝事業、環境・町会活性化対策としての防犯・パトロール・青灯交番(歌舞伎町安全安心ステーション)運営や清掃美化、管理するビル(2棟)の管理維持、加えて事務局運営や人件費などを合わせ、収入とほぼ同額の支出予算を組む。今、組合総会で、これらの報告および承認が行われた。
2012/5/23現在の新宿コマ劇場・新宿東宝会館跡地再開発工事現場
報告や事業計画などで折に触れ、“歌舞伎町の未来を左右する”とまで強調される新宿東宝ビル再開発計画ではあるが・・。現在、ほぼ解体は済み、整地等、建設準備工事中。本年7月目処に新宿東宝ビル建設起工、新築工事は約33カ月、2015年3月末竣工予定。(※計画については“東宝㈱、新宿コマ劇場・新宿東宝会館跡地再開発計画(新宿東宝ビル)を発表、2015年春竣工(予定)基幹テナントはワシントンホテル(9-31階)と最新鋭シネコン(3-6階)地上31階建高さ130m”を参照)計画・スケジュールなどについては概ね変更は今のところない。建築許可はまだ下りていないが「順調に進めています。」(東宝)
さて、以下は、協議中・未決などで会では報告されていないものの、いくつか動きがある案件について情報をならべておく。
歌舞伎町セントラルロード(中央通り)
新宿東宝会館・コマ劇場跡地再開発(新宿東宝ビル開発計画)に伴い、主導線となるこの通りの改修が中央会(セントラルロード町会)を中心に検討されている。
歌舞伎町シネシティ広場
新宿東宝会館・コマ劇場跡地再開発に伴い、新築される新宿東宝ビルは、ハイジアの熱供給プラント(東京ガス系子会社)から地域冷熱の配管が、地下を経由して整備される。このインフラは、ハイジア南側から新宿TOKYU MILANOビルの発券ブース前からシネシティ広場の地下を通るのだが、そのための工事が2012年11月に着工する予定。 工事期間中、シネシティ広場は使用できなくなるため、周辺事業者との調整や、工事後の改修をどういったものにするのか、事業者・商店街と行政の間で協議が行われている。
西武駅前通りから新宿プリンスホテル、左側はサウナグリーンプラザ(足立興業)と、並んで新宿TOKYU MILANOビル(東急レクリエーション)この景観も、計画次第ではがらっと一変する可能性がある。
現在、新宿東宝会館・コマ劇場跡地再開発ばかりが注目され、あたかもそれが歌舞伎町再生の“肝”であるかのごとく語られるが、実は、“本丸”はこちら側にある、と自分は考えている。 やや目立たないように動いている新宿TOKYU MILANOビルの再開発準備、そして現在築35年を迎え、再上場後あたりから動き出す可能性のある西武新宿駅駅舎・新宿PePe・新宿プリンスホテルの再開発計画。ともに水面下では動きが始まっている。
歌舞伎町ルネッサンスの当初(2005年~)東宝(新宿東宝会館・新宿コマ劇場跡地)と、および隣接する地権者2社(HUMAX、東亜興業)を含む共同の再開発をもくろんでいた東急レクリエーションは、結果的に、東宝と他社の開発のスケジュール感、財務状況が合わず断念したわけだが、一方で、時間軸で10年遅い東急×西武(西武鉄道、PePe・新宿プリンスホテルと西武新宿駅敷地などを含む)との共同再開発の可能性への模索はあった。その模索は、当該2社間では不調だったものの、水面下では継続されており、むしろ今、ゼネコンサイドからのアプローチにて、これを実現しようとする動きがある。
工期の長さもさることながら、歌舞伎町の街の特性、つまりかつてのコマ劇場とともに「西武新宿駅前」という意味から、いわば“西武新宿と東宝の企業城下町”と言える現実から鑑み、インパクトは、実は、この西武の再開発のほうが計画規模も含め、はるかに大きい。意外と語られてこなかったのは、西武鉄道の上場廃止が間に挟まってきたからで、これが、西武鉄道自身が切望する再上場実現とあわせ、具体的に動き始める可能性がある。観測としては、西武鉄道側からの動きは見受けられないものの、東急グループと西武鉄道はともにゼネコンが清水建設と組む場合が多いことと、新宿プリンスホテル・PePeの建物が築35年を越え、築45年を迎える前には建替え気配が強い、そして何より西武鉄道として、この地域の収益性の高さに魅力を持っていることなどから、概ね2020年あたりまでには動くと見ている。
歌舞伎町は“西武と東宝の城下町”である、と言い切るには反論もあろうが、街全体への影響が最も大きい開発物件であることは間違いないのではないか。2005年より動き始めた(とはいえ、その下地は2002年にはすでにヒアリングなどが始まっていたわけだが)歌舞伎町ルネッサンスには、二つの“顔”があった。一つは、暴力団排除、もうひとつが映画興行街の共同による大規模な再開発である。この両者は、繁華街対策の先駆的施策を実行しようとする警察主導の面と、それによって公共投資が可能になる“かもしれない”ところに頼ろうとした企業側の思惑との、利害一致があった。
今更誰も否定できないと思うが、歌舞伎町の様な繁華街には、極めて複雑な、共存・しがらみ的な要素も含む暴力団の資金源インフラが存在してきたわけだが、そこを完全に除去しない限り、税からの財政投入はほぼ不可能であることは、それこそ知らないふり、見ないふりでもしない限り、かつてより今に至っても明らかである。しかし、現実には、東宝や東急、西武などの、ある種の時代的要請に基づく企業側の要求とは異なり、中小の町場の事業者・ビルオーナーは、客引きなどの体感治安対策は望むものの、表面的に見えにくい暴力団の資金源インフラの徹底的な除去による浄化を望むものはいないに近い。
当初、警察主導で立ち上がった歌舞伎町ルネッサンスは、徐々に、女性区長として“神輿”だったはずの中山弘子新宿区長が、実質的に彼女を中心とする行政主導へと移行し、あるいは、そう表現されるようになったことで、警察側の“やる気”を奪った、という面と、にもかかわらず、「歌舞伎町はきれいになりました。」という“お互いのメンツを保つ”ための表面的なアナウンスなどが相互に連動し、いつの間にか、今の様な、極めて中身のない、アリバイ的な施策に腐ってしまった。
勿論、最初にルネッサンスを作文した警察官僚の志はともかくとして、“世間知らず”感も否めない。つまり、暴力団資金源の除去は、思ったよりも手ごわかったという現実もある。ちょっと、一例を紹介しよう。
カード決済を偽装、暴力団組長ら4人を逮捕
<日テレNEWS24 2012年4月27日 22:39 >
性風俗店の客のクレジットカード決済を別の飲食店での支払いに偽装したとして、暴力団組長の男ら4人が27日、警視庁に逮捕された。
“警視庁によると、稲川会系暴力団組長・塚田公弘容疑者(64)と船水常昭容疑者ら4人は、横浜市内の性風俗店で客がカードで支払った料金を別の飲食店で支払ったと偽装して、クレジットカード会社をだました疑いなどが持たれている。
塚田容疑者らは、性風俗店がクレジットカード会社と加盟店契約ができないことから、性風俗店でカードが使えると、通常の料金より割り増した金額でも客が支払うことに目をつけ、犯行に及んだとみられている。 塚田容疑者は、神奈川県内など30以上の性風俗店で偽装決済を指示していたとみられ、警視庁は、割り増した売上金の一部が塚田容疑者の暴力団の資金源となっていたとみて調べを進めている。”
性風俗店、或いは新規出店の風俗店などによくみられるカード決済偽造、繁華街では、あたかもカードが使える性風俗店・風俗店が「安心できるお店」であるかのようなイメージが、むしろ常識化してきたが、現実は、これだ。
VISA・マスターなどのカード会社は、当然ながらこういった店舗でのカード決済に対する与信を与えていない。しかし、現実には、これらのカードが使えてしまう。
つい先日の国会でもあったように、昨今この問題に対する質疑がされるようになってきたが、風俗・性風俗店でのカード使用は、所謂「ユキチカ(諭吉化)」と呼ばれる、ショッピング枠の現金化(手数料10~20%)を活用したもので、実は、歓楽街では古くから常態化してきた。これは現状では法的には、必ずしも違法ではないのだが、実質“闇金”インフラそのもので、これを“効率化”させたアクワイヤラーがいくつも存在してきた。逮捕された稲川会・塚田は歌舞伎町のヤクザだが、同様の手口で荒稼ぎをし、暴力団資金源にしているとみられるアクワイヤラーが日本中の歓楽街に網をはっている。例えば、吉原のソープランドでは、ほとんどのお店で入浴料の決済をカードで行う事が出来るのはなぜか。請求書は“ソープランド入浴料”とは来ない。名目は“婦人服”などである。これを仲介しているのが、現在は山口組系二次の資金源になっている思われる。
歌舞伎町でも、ファッションヘルスの何件かでは、与信を偽造し、某しゃぶしゃぶ店の名義で決済が行われていたりする例や、デリバリーヘルスもその多くがカード決済可能であり、名義は、例えば「飲食代」などとなっているケースも見られる。通常カード手数料は約3~6%で料金内に含まれるが、これら性風俗店でのカード決済の手数料は料金とは別に10~15%と極めて高い。暴力団の資金源の一部がこの決済名目名義の偽装によって得られていることは明白だった。ちなみに、この資金の暴力団への還流規模は数億になる可能性もあり、まして、歌舞伎町はその一部に過ぎず、全国各地の繁華街での風俗・性風俗店でのカード決済に起因する暴力団の資金インフラはかなり巨額になると見られる。
VISAやMASTERなどの大手カードがこういった店でカード決済に対して与信を与えることは“原則”ありえないことになっている。以前、もう3年も前だが、VISA JAPANに、「なぜ偽装決済を放置しているのか?」と問いただしたことがあるが、「把握していません。」と煮え切らない回答が返ってきたことがある。これについて、暴力団追放都民センターの代表理事から、各カード会社に協力を要請しようとしたことがあるが、各社、守秘義務などの関係でかなり腰が重かった印象がある。
警視庁組織犯罪対策課も、4年ほど前には、「ヤクザにそんな頭のいいヤツいないよ。」(所轄署員)と言ってたが、やっとのことだが、今回の稲川会系組長の逮捕までたどり着いた。なお、歌舞伎町にも同会系の麻薬密売組織があるのだが(以前まだ工事中だった新宿ピカデリー前でカーチェイスまがいのオオトリモノで逮捕されたことがある)、ここは不動産仲介、地上げなどで幅を利かせている経済ヤクザでもあったりする。
かつて、このブログでも何度か書いたが、もう4年も前から、カード会社、警察もなんとなくは知りつつ、でも、被害者が出ない故に、具体的に逮捕迄至らず、おそらくみかじめ料のインフラ以上に大きい暴力団の資金源を、徹底的に洗おうとしなかった警察。生安と組対が協働し、風俗店・性風俗店などの摘発に際し、必ずカード伝票などを押収することを提案してきたが、そもそも、当時現場所轄は、そういう事を考えたこともないという状況だった。警察も、暴力団の“シノギ”の近代化についていけてない実態の一例である。
また、書いたように、これはあくまで一例に過ぎないのだが、それらと種類は違う、例えば、ある“過去”故に警察に訴えられないような、1,000万クラスの暴力団による恐喝まがいの案件があったり、実は、個人的にはちょくちょく目にしていrたりもする。歌舞伎町と言うのは、まだまだそんな“程度”の街なのです。
ただ、良い悪いはともかく、歌舞伎町のこういった黒・グレーのインフラは、実質的に“街”の内側の経済活動の基礎にもなっている。例えば、カードの決済は15日から45日かかるが、日給を日銭で支払わざるを得ない事業形態の店にとっては、多少高い手数料を払っても、即現金化してくれるこの手のインフラは必要悪でもある。某風俗店経営者はこんなことをかつて語っていた。「歌舞伎町の商売には成功の公式がある。」と。その公式は、不良(暴力団)に金を払い、警察を無視し、法を無視し、“たまに”警察の点数稼ぎにハメられて、捕まろうが罰金を払わされようが、それを「経費」とみなして徹底的にやり通すこと。営業自体はお客のニーズに合わせる、そうすれば確実に儲かる、だから誰も本気で白くなろうとしないと。
歌舞伎町は“グレー”を許容し、反社会を内在しながらも寛容な街として生きていく、という選択を、もし“街”が選ぶのであればそれも一つの生き方だと思う。無論、これまでの流れとは違う。その場合は、“街”(民間)は、当たり前だが、行政や警察と対峙せざるを得ない場面もでてくるし、まして税に由来する公共投資の手助けは無い。仮に期待しても勿論不可能でもある、という覚悟をするか。元々公共投資の恩恵を受けにくい中小の事業者にはさほど関係ないが、再開発など公共地にも及ぶ計画や事業を必要とする企業にとっては、これは痛い。つまり、企業的な投資効果は薄れる。
或いは、書いたような、様々な暴力団のインフラを益々可視化させ、徹底的に排除するのなら、例えば“街”の核となりうる再開発・整備事業への公共投資、安全安心への法的な支援等々は期待できるかもしれないが、しかし、一旦“街”は、街の中の資金還流の太いところを切断するわけだから、例えば、風俗店・性風俗店のカード決済比率は10%程度だが、それらを中心にごっそり抜けおちる。となれば、街の内需もさらに破壊され、今と比較にならないレベルで厳しい、ある意味、地域の経済的“死”を免れないだろう。だが、そのお陰で、公共投資や企業投資は膨らみ、街の経済発展はその向こう側に見えてくる。そういう道を選択するのか。
街が生きていく上で、選択肢は、この二つしかない。簡単に言えば、前者は商店街寄りの選択と言え、おそらく経済活動そのものは緩く下り、また、法治国家的には“悪”だが、やがてきっと刺激的で面白い街になる可能性もないわけではない。後者は、企業寄りの選択である。また、歌舞伎町ルネッサンスの当初(2005年からの3年間くらい)は、後者だった。きれいな、法的に白い街づくり、一度歌舞伎町の経済活動は死ぬ必要が出てくるが、その先(と言っても10年先だが)は、より多くの人にとって居心地が良い、しかし、個性と面白さは薄れた街になってしまうかもしれない。この選択をしないまま、利害不一致の企業と街場がまぁまぁ仲よさそうに、表面的な、方や浄化した“ふり”の警察の治安対策、方や中途半端に暴力団資金源にも加担してしまう行政の活性化施策を、何も結果を出せずに“なんとなく”10年も続けてきた、せざるを得なかった結果が、「今」の歌舞伎町だと言い切れる。
震災以降、繁華街の存在性にさえ否定的にならざるを得ない時代の流れも向かい風である。かつて目指そうとした“眠らない街・歌舞伎町”(歌舞伎町24時間特区構想)も、今となっては、時代に合わなくなった。それでもなお、来街者によって成立してきた繁華街が、来街者の“共感”も得られるとは思えない表面的アリバイ的施策であり続けるのは、街にとっても、各事業者にとっても、それでも多少なりとも税や労力を投入している行政にとっても、不幸なことだなと思っている。
徹底的に浄化する道を選ぶなら選ぶでさらなる経済活動低迷の覚悟を、もし、この可視化されたご時世に尚、その道を選ばないのであれば、今となってはメンツだけで維持されている『歌舞伎町ルネッサンス』の看板はさっさと取り下げ、行政の補助金、公共投資は望めないという覚悟をしたうえで、民間の自主的街づくりを本気でやるか、どちらの道も一理あるし、誰かにとっては利があり、誰かにとっては害ではあるのだが、いずれにせよ、その選択を、民意を委託されるべき立場にある商店街ははっきりと意思を示すべきではないだろうか。新宿区、中山区政にとっては、どちらの選択であるにせよ、これまでのTMO設立や各種活性化策、表面だけの安全安心施策一切が完全に否定されるわけだから、痛いだろう。警察は元々否定的だったわけだが。いくつかの“動き”や、それぞれの意思に基づく可能性を紹介したが、これらも、その選択によっては、いいものになったり、或いは、まあそれなりの、妥協的なつまらないものになったりもすることに繋がっている。すでにその、選択の未決による産物が、新宿東宝会館・新宿コマ劇場跡地における新宿東宝ビル開発計画だったりもしないか。
歌舞伎町商店街振興組合ビル
歌舞伎町の民意を委託されている、という立場にある歌舞伎町商店街振興組合がその事務局をおき、また所有している歌舞伎町商店街振興組合ビル。ところで、このビルは、新宿東宝会館・新宿コマ劇場再開発に、用地が隣接する。これ自体の将来にも課題を残している。
4月6日(金)福島県双葉郡川内村にて「平成24年度川内幼稚園・小学校・中学校合同入園入学式」が実施。音楽家・古川琴子らとともに、新宿の仲間たちと参加してきました。 [季節]
2012年4月6日、福島県双葉郡川内村にて、3.11震災以来、福島第一原発事故に伴う全村避難を余儀なくされ、閉鎖となっていた村の保育園・小中学校が、1年ぶりに再開。1月末の"帰村宣言"に続く形で、この春「川内村教育再開式」と銘打ち、川内村コミュニティセンター大ホールにて、平成24年度川内保育園・小学校・中学校の合同入園・入学式が実施された。
東京から音楽による支援として駆けつけた、音楽家・古川琴子が入退場を演奏。なお、式に続いて、合同入園・入学式の入退場を演奏した音楽家・古川琴子のミニコンサートが行われた。古川琴子(ピアノ・ヴォーカル)、あんり(パーカッション)、駒井朗(コントラバス)の3人編成、演奏曲は、「素敵なともだち」、ジブリメドレー、そして古川琴子のオリジナル曲「どんな未来も」「灯火」、最後に、来場の皆様や子どもたちとともに、遠藤雄幸川内村村長のリクエストでもあった「ふるさと」を合唱した。
4月6日、この日入学・入園したのは、川内保育園8人、小学校3人、中学校5人の計16人。原発事故前の入学予定者は小学校14人中学校17人の予定だったと聞いた。かつて、170名ほどの子どもたちがいた川内村、今年度、新入生を含めての児童・生徒数は保育園8人・小学校16人・中学校14人の計38人でのスタートとなる。川内村の人口はもともと約2,800人ということだったが、2月に訪れた時は約200人と言われていた。だが、この春、“帰村宣言”に伴う村役場や学校の機能復帰によってか「帰村人口は約500人を越えた。」と遠藤村長。
2012/4/6 平成24年度川内保育園・小学校・中学校合同入園入学式
[INDEX]
00'02"新入生入場 ♪Summer 演奏:古川琴子
01'42"開式の言葉~川内村小学校教頭
01'58"国家斉唱
03'00"入園・入学生徒 川内保育園8名
03'29"入園・入学生徒 川内村立川内小学校 3名
03'48"入園・入学生徒 川内存立川内中学校 5名
04'14"教育長 励ましの言葉 福島県川内村教育委員会 教育長 石井芳信
08'00"校長挨拶 川内村立川内小学校 高島仁校長
10'05"校長挨拶 川内村立川内中学校 高浜俊彦校長
12'48"村長挨拶 川内村村長 遠藤雄幸
18'15"職員紹介 川内保育園
18'58"職員紹介 川内小学校
21'12"職員紹介 川内中学校
22'49"誓いの言葉 川内中学校1年 遠藤遙奈
24'11"校歌斉唱 川内小学校
26'01"校歌斉唱 川内中学校
28'21"新入生退場 ♪エトピリカ 演奏:古川琴子
2012/4/6 古川琴子ミニコンサート 於:川内村学校等再開を祝う会
[INDEX]
01'24"♪すてきな友達
04'20"メンバー紹介(Percussionあんり Contrabass駒井 朗)
06'07"♪ジブリ・メドレー
14'35"「どんな未来も」 作詞 古川厚子 作曲 古川琴子
19'04"「灯火」 作詞・作編曲 古川琴子
25'00"♪ふるさと (合唱)
福島県双葉郡川内村は、村の中心が福島第一原発から約20kmのところにある。3.11の震災に伴う福島第一原発事故により全村避難を余儀なくされるも、昨年9月には一部警戒区域の指定も解除された。
福島第一原発から30km範囲内に全村が入っているものの、“村中心部(福島第一原発から約20km)の空間放射線量は毎時0.1マイクロシーベルト、福島市や郡山市の数分の1程度と低く、他市町村より帰還への環境は整っている”ということで、今年1月31日に、村は“帰村宣言”を出した。福島県郡山に一時的に移されていた行政機能や教育・学校機能を川内村に戻し、帰れるものから村に帰ろう、という声かけだった。全域が警戒区域と緊急時避難準備区域に指定されていたが、4月1日には警戒区域が解除、それまで村の半分近くを占めていた警戒区域が、住民に引き続き避難を求める「居住制限区域」と、早期帰宅を目指す「避難指示解除準備区域」の2つに見直されることになり、いずれも立ち入りは自由となった。
「必然と言うには余りにも酷」(遠藤村長)と、過酷な試練を受けながらも、着々と“帰村”環境を整えようとする川内村から、心温まるニュースの発信をしよう、ということで、この4月、震災以降閉鎖となっていた各教育施設(川内保育園・小学校・中学校)が再開するにあたり、6日、「合同入園・入学式」及び「川内村学校等再開を祝う会」が催された。
話は戻るが、つい2月7日8日と我々は川内村に訪れた。昨年10月、歌舞伎町で開催された「第4回歌舞伎町農山村ふれあい市場」で川内村の商工会長である井出茂氏と知り合い、その中で、これからのことを含め、「鍋でも突きながら話そうよ。」ということになって、川内村へ足を運んだ。その時のことをきっかけに、我々のチームの一員で音楽家の古川琴子に、川内村教育長の石井芳信氏から合同入園・入学式での演奏の依頼を受け、というわけで、改めて新宿の繋がりでチームを組み、式及び会を支援するために4月6日、川内村を再び訪れることになった。
[合同入園・入学式支援チーム・メンバー]
「川内保育園・小学校・中学校合同入園・入学式」を終え、川内村村長室にて遠藤雄幸村長と今回のプロジェクトスタッフ。
◇演奏スタッフ
・古川琴子(ヴォーカル、ピアノ)※2007年から歌舞伎町ミュージックプロムナードなどで演奏
・あんり(パーカッション)※彼女のブログlife&spice
・駒井朗(コントラバス)
◇バックヤード
・橘川徳生(宣伝、メディア対応)※株式会社ウィンダム、2009年まで新宿エイサーまつりをプロデュース。ウィンダムに勤務する前は、日本原子力発電本社に勤務という異色の経歴をもつ。東海村の放射性廃棄物におけるバックエンドを担当したこともある。
・弓田一徳(Ustream、VTR)※イグニッションllc代表、以前は新宿放送局のプロデューサー・ディレクター、2007年新宿区議選ネット政見放送仕掛け人。Ustremは先駆者のひとり。
・大澤真輝(AD)※NPO法人グリーンバード副代表、グリーンバード歌舞伎町チームなどでお世話になってます。
・高千穂純(PA、照明)
◇企画・製作
・寺谷公一・古川琴子
4月6日当日の取材マスコミは、宣伝を担当した橘川氏のおかげもあってか、50社を超えた。所謂“仕事”としてやったわけではないのに50社のマスコミの仕切りは大変だっただろう。自分の、新宿関係で培ったマスコミ各社も東京から足を運んでくれた。過酷な運命に晒され、だが、なおもそこから立ち上がろうとする川内村、「だからこそ、この福島から、明るいニュースがたくさん流れるようになれば、悩んでいる県や、世界で悩んでいる人たちに、必ず勇気を与えるはず。」(古川琴子)、これがボクらの今回のプロジェクトの目標。また、音楽は人を繋ぐツールになればいい、そこに多くの智慧やマンパワーが集まって、それらが必ず、まだまだ多くの課題を抱える川内村や双葉郡で生きるはず、だからこそ、今回のプロジェクトはその第一歩になればいい、と考えたものだ。
いつからか、ボクは、若い人たちに見せる『背中』を意識するようになった。ボク自身、自分がどんな人間であるかとか関係なく、自分の欲望に関係なく、ただ『正しく』生きること、それでもちゃんと生きていける証をたてようと、心に決めた時期があった。今、この国の未来に、あるいは世界の明日のために、ただ『正しい』ことをする。この国の未来、世界の明日はどこにあるのか、明らかだ。
「今日という日を迎えるまで、避難を余儀なくされ、辛い日々を送ってこられたことと思います。おそらく、家庭のこと、学校のこと、そして、自分たちの生活のこと、とても、いろいろ葛藤があられたことと思います。しかし、川内村で生活をする、川内村で生きると決めたからには、どうかお子さんには、今を生きている幸せ、そして、家族が一緒にいる喜び、支え合う大切さを、しっかりと伝えてほしいと思います。不安の中で生活してきた子どもたちは、家庭にとっても、そしてこれから、川内村の将来にとっても、不幸なことだと思います。子どもは、未来からの贈り物です。学校、家庭、その地域が一体となって、贈られてきたお子さんに、凛として軽やかな気持ちを育んで、近未来へと贈りかえしてあげようではありませんか。」遠藤村長は挨拶の中でこう述べていた。また、子どもたちが、将来ある若者たちが見つめている我々大人自身が、その、生きる手本であらねばいけない。
今回のプロジェクト、その結果に対する評価や賛否もいろいろあるだろうとは思う。遠藤村長が言うように、「一歩目を踏み出すことが大事。」な半面、やはり、川内村の経済活動をはじめ、環境はまだまだ厳しい。除染事業も子どもが帰ってくる家の周辺を優先するなど、まだ途に就いたばかりだ。だが、大阪府ほどの広さをもつ双葉郡の中で、客観的に言って、最も機能している川内村は、或いは、双葉郡再生の拠点化していくことも感じている。そして、この地域の「再生」は、制度疲労日本の本質的な再生とリンクしていると思っている。ひとまず、報告として、このブログにアップしておく。前回の2月と同様に、“次の約束”は出来ずにまた、川内村を去ったボクらではあるが、デキルカギリを若干超えた面もあって、なので少し体力を戻し、改めて、再び次の機会を作れたらと思っている。
3月25日(日)開催 歌舞伎町ルネッサンス 東日本大震災復興支援イベント第5回歌舞伎町農山村ふれあい市場 [イベント]
福島県双葉郡川内村商工会の出店にて。川内村で商品開発されたイワナの炊き込みご飯を試食する中山弘子新宿区長。
恒例になってきた、区立大久保公園での青空市場、新宿と農山村との交流事業、「歌舞伎町農山村ふれあい市場」(根本二郎実行委員長)の第5回目が開催された。
3月25日(日)歌舞伎町ルネッサンス 東日本大震災復興支援イベント第5回歌舞伎町農山村ふれあい市場が開催!
今回は初出店のナコソフーズ、なんなん福島、クラインガルテンジャパンも参加。前回ご出店の長野県伊那市の伊那ローメンズ倶楽部、川内村商工会、味屋酒店、cococolor/ココカラ/つくばファーム、つくばアグリサイエンス、宝塚大学などなど多数の出店がありました。
◆イベント詳細◆
歌舞伎町ルネッサンス
東日本大震災復興支援イベント第5回歌舞伎町農山村ふれあい市場
開催日時:2012年3月25日(日) 11:00~17:00
会場:新宿区立大久保公園
地域の農産物、観光PR、ジャズライブなど。
出店地域・団体
気仙沼味屋酒店
群馬県沼田市
つくばアグリサイエンス
cococolor/ココカラ/つくばファーム
福島県川内村商工会
ナコソフーズ
NPO法人なんなん福島
クラインガルテン・ジャパン
しらかみ元気農園
伊那ローメンズ倶楽部
望郷の湯直売所
宝塚大学東京メディア・コンテンツ学部
新宿区消費者団体連絡会
東京消防庁新宿消防署
工学院大学
新宿区耐震補強推進委員会
他
主催:歌舞伎町農山村ふれあい実行委員会
共催:歌舞伎町タウン・マネージメント
後援:新宿区、歌舞伎町二丁目町会、歌舞伎町商店街振興組合、新宿区消費者団体連絡会、東京飯田橋ライオンズクラブ、東京青年会議所新宿区委員会
協力:東京消防庁新宿消防署、工学院大学、新宿区耐震補強推進委員会
中山弘子新宿区長「農山村ふれあい市場は、今回5回目になるんですね。皆さんご存じのように、東京の街、新宿の街は、東北の皆さん、北関東の皆さんから、水の供給をしていただいたり、電気も、食べ物も、ということで、とても繋がりがあります。私たちは、今回の大震災の被災地が、本当に元気になってもらうように、どんなふうに継続的に支援をしてったらいいか、そんな思いで、この農山村ふれあい市場も取り組んできました。これは、継続していくことが大事です。今日、皆さんがこんな風においでいただいているのを、とてもうれしく思っています。
今回、東北地方からは、福島県をはじめとしまして、今あの、いわなの炊き込みご飯がとても美味しいって、実はあそこでも食べていただいたんじゃないかと思いますけど、私も買いました。皆さん、それぞれのところにそれぞれの産物があって、皆さんが買っていただくこと、それが支えにもなります。今回、福島県、岩手県、宮城県、秋田県の皆さんが出店をされています。また、全国各地から、東北地方を応援しようってことで、大勢の皆さんが新鮮なものを持ってきてますので、是非、顔と顔を合わせて、互いに繋がっていただけたらと思います。
人が繋がること、でもそれが、互いにWinWinで、美味しいな、互いに、役に立てたなと言う風に、これからもしていきたいと思いますから、誰もが支え手になる、そして、いいものを持ってくる、そんな場にできたらと思います。」区長の話にも出てきたイワナの炊き込みご飯のPRを兼ねステージに立つ、川内村商工会長の井出茂氏と、川内村役場の小松復興係長(4/1付)。「川内村は1月の末に“帰村宣言”しました。私たちは、1月4日から川内村に戻って仕事をしています。川内村の復興ということで頑張っているわけですが、私たちの力、とても国の仕事を待っていたでは、全然達成ができません。皆様が、是非、川内村に足を運んでいただいて、または、川内村だけでなくて双葉郡、福島県に足を運んでいただくことが、一番の復興の近道と考えていますので、皆様のご協力、よろしくお願いいたします。」と小松係長、商工会長の井出茂氏からは「帰村宣言してから(ちょうど)今日、役場の引越しが全て完了しましたので、4月1日からは、役場機能が川内村に戻って、学校もしっかり、開校するという状況になっております。(川内村は)これからが正念場だと思ってます。」
井出茂氏(福島県川内村商工会長)を挟んでの二人は、NPO法人グリーンバードの横尾代表(新)と大澤副代表。グリーンバードは歌舞伎町チームもあるのでお馴染かと思います。2011年、3.11以降、グリーンバードは宮城県若林区での農業支援のプロジェクトを行ってきたが、今年は、福島での活動を検討中ということもあり、井出さんとグリーンバードに繋がっていただきました。先だって2/7・8の川内村での懇親会には大澤副代表も参加しています。
記事として、川内村に偏り気味ではありますが、ご容赦を。
むずかしい問題山積みの中、子どもたちが入園式、入学式を迎えることになりました。子どもたちに苦難を強いたのは、私たち大人たちの世代です。せめて大人たちから、美しい歌声をプレゼントしたいと思いました。みなさんの熱い思いを未来の川内村を担う子供たちに届けてください。子どもたちにとっても、みなさんにとっても、胸に刻まれる入園・入学式となるはずです。
幼稚園、小学校、中学校の「合同入園・入学式」(川内村教育再開式並びに平成24年度入園・入学を祝う会)
2012年4月6日(金)午前9時〜
川内村コミュニティセンター大ホールでおこなわれます。
シンガーソングライター、古川琴子さんが入場、退場の音楽を担当。式典の中でもミニコンサートを催します。音楽による支援です。
ご支援のあらまし
このコンサートは皆さんからお気持ちをいただいて開催します。
一口1,000円からの支援をお願いします。お気持ちをいただいた方は、どなたでも入学式に参加できます。ぜひとも多くの方に来ていただきたいと思います。子どもたちにそっと寄り添って支えてあげてください。お申し込みは川内村観光協会が窓口になります。
当日、直接お持ちいただいてもかまいません。
ご支援のあて先——
●銀行振り込みの場合:ゆうちょ銀行
八二八支店普通口座3015078
●郵便局からご送金の場合
記号18280 番号30150781
いずれも口座名義は:川内村観光協会(カワウチムラカンコウキョウカイ)
川内村観光協会
〒979-1201福島県双葉郡川内村大字上川内字早渡11-24
TEL: 0240-38-2346 /FAX: 0240-38-3418
E-mail:info@kawauchimura.com
音楽による支援・古川琴子さんについて
古川琴子(ふるかわことこ)
国立音楽大学作曲科卒業。立川世界子供音楽祭日本代表特別賞受賞(NKH BS放送)、ヤマハインターナショナルオリジナルコンサート日本代表(テレビ朝日放送)。ピアニスト、作編曲家、シンガーソングライターとしてClassic・J-POP・Jazz・R&B・日本唱歌など幅広く対応するマルチアーティスト。
CD「チャンスはいつも」「君がいる、それだけで・・・」「優しい雨」
ただ、あなたの傍に、寄り添い奏でる音楽
*ご来場の方はスリッパをご持参ください。
きっと、ここから始まります。
前回の第4回歌舞伎町農山村ふれあい市場(10月)、川内村商工会長の井出茂氏との出会いもここでした。音楽家の古川琴子は、歌舞伎町で音楽活性化事業としてやっていたミュージックプロムナードでの繋がりで知り合ったのが彼女が音大を卒業し、デビューシングルを出して間もない5年前のこと。そんな出会いと出会いが繋がって、上記、川内村合同入園・入学式での音楽演奏をする流れになりました。
川内村は、福島県双葉郡、福島第一原発から約20kmのところに村の中心があります。3.11の震災に伴う福島第一原発事故により、3.16以来全村避難となっていましたが、昨年9月避難解除となり、この1月末には遠藤村長より“帰村宣言”が打ち出されたばかりです。人口約2,800人だったこの村の人口は現在その約1割前後、経済基盤が原発のあった双葉町側にあることもあって、村の経済・産業構造は事実上壊滅的な打撃を受けています。とはいえ、震災以来初めて、この4月より村内にある各幼稚園・小学校・中学校が再開することになりました。元々200人近くの子どもたちがいたこの地域に、4月学校再開で戻る数はまだわかりません。概ね30名くらいではないかと聞いてます。
震災前、今から4年ほど前まで、川内中学校には吹奏楽部があったそうで、音楽の先生もいたとか。折からの過疎化により、音楽の先生が去ったことにより、吹奏楽部は解散、以来、入学・卒業式から生の音楽は消えた。そして、さらなる震災と原発事故。だからこそ、この時に帰ってきてくれた子どもたちに、“大人から子どもたちのプレゼント”として、生の音楽でで迎えたいという村側の経っての希望で、音楽家・古川琴子に直接、川内村の教育長から依頼があり、それも村民が寄付を集めるからとまで言われて、この「合同入園・入学式」の音楽演奏による支援が実現しました。というわけで、新宿が繋いだこの“ちょっといい話”を皆で支えようと、ボクらのチームとともに4/6、川内村に再び行ってきます。
正直言って、福島県双葉郡の実情を考えると、“帰村”というワードにのみ偏ることなく、故郷を想いながらも、帰れない人たちも沢山いる、むしろそちらのが多数というのが現実、そして、ひょっとしたら、帰れない人たちのほうが心が痛い思いをしているのかもしれない、音楽家・古川琴子は、そう考え、その両方に寄り添いたい、もし可能であれば、音楽の“力”で、離れ離れになっている人のつながりをいくらかでも再生できないかと考え、村民コーラス隊や、その先の、村民吹奏楽団などいくつかの音楽ワークショップからのプロジェクトを企画しており、その第一弾としてこの“合同入園・入学式”がスタートになればと考えています。さらに、音楽が人を繋げ、例えば、オーガニックコットン、バイオエタノール事業など、双葉郡の産業・農業再生における今後の課題を実行・実現していく上で必要な知恵とマンパワーを集積するためのメディアになっていけばいいなと、そんな風に考えています。そのバックヤードを、新宿で繋がった仲間たちと、その一端を自分も担いながら、支えていければいいなと、そんな意味で、ここに告知を兼ね、紹介しました。
3月19日(月)第7回歌舞伎町ルネッサンス推進協議会が開催 [まちづくり]
3月19日(月)第7回歌舞伎町ルネッサンス推進協議会が開催
■第7回歌舞伎町ルネッサンス推進協議会
【日時】3月19日(月)午後1時~3時
【会場】東京都健康プラザハイジア4階研修室(歌舞伎町2-44-1)
お問い合わせ先 新宿区 区長室-特命プロジェクト推進課 電話03-5273-4220
第7回歌舞伎町ルネッサンス推進協議会を開催~公民が連携して歌舞伎町のまちづくりを推進
歌舞伎町の再生に向けて「安全・安心と環境美化」「賑わいづくりと新たな文化の創造・発信」「健全で魅力あふれるまちづくり」の3つの分野について総合的に議論する「歌舞伎町ルネッサンス推進協議会」が、3月19日(月)東京都健康プラザハイジアで開催された。
この協議会は、歌舞伎町を誰もが安心して楽しめるまちに再生することを目指して、平成17年1月に発足。初代内閣安全保障室長の佐々淳行さん、作家の堺屋太一さんをはじめとする有識者、地元の歌舞伎町商店街振興組合、歌舞伎町二丁目町会、歌舞伎町で事業を営む企業や、警察・消防等の関係行政機関で構成し、中山区長が会長を務める。
現在、歌舞伎町のまちづくりでは、東宝株式会社による旧新宿コマ劇場・新宿東宝会館跡地の開発計画をきっかけに、「歌舞伎町まちづくり誘導方針」(平成21年11月改定)に沿って「歌舞伎町街並みデザインガイドライン」の策定を進めている。7回目となる今回の協議会では、「歌舞伎町街並みデザインガイドライン」による「公民が連携した今後のまちづくり」をメインテーマに、幅広く議論、また、平成22年度~23年度の歌舞伎町ルネッサンスの取り組みを報告するとともに、「安全・安心対策と環境美化」「賑わいづくりと新たな文化の創造・発信」「健全で魅力あふれるまちづくり」の3つの分野でそれぞれの成果を挙げ、歌舞伎町の再生・活性化が着実に進展していることを広く発信した。
“帰村宣言”をした福島第一原発20kmの村、福島県双葉郡川内村にて地元の方々との交流会を開催 [その他]
| 送信者 2012/2/7-8 福島県双葉郡川内村にて |
人であれ、場所であれ、どうしてそこに惹きつけられるのか、心を持っていかれるのか。そんな理由はどうでもいい。「テラさん、やめなよ。国にまかせておけばいいじゃん。」と、とくに“偉い”人に、何度言われたか。

『歌舞伎町が畑に海に!東日本大震災復興支援イベント 第4回歌舞伎町農山村ふれあい市場』2011/11/6 新宿区立大久保公園にて。写真右、挨拶をされているのが井出茂氏(川内村商工会長)、隣は、新宿区議の根本二郎氏。
福島県双葉郡川内村、福島第一原発から20kmのこの村の商工会長、井出茂氏と初めてお会いしたのは、昨年の11月のことだった。新宿区議の根本二郎氏が中心に進めてきた農山村との交流事業『歌舞伎町農山村ふれあい市場』、3.11の震災以降は、復興支援という意味合いも重なった中で、井出氏が新宿に訪れた時のこと。「川内村は原発から30キロ圏内に位置するところで、国はこの地域に一律、水稲の作付を禁止しました。ところが、村内の一部を除き、土壌汚染は国の定める基準値をはるかに下回っている。しかしながら、3/11以降全村避難を余儀なくされ、農家を辞める、意欲をなくす方々もあり、深刻な事態になっている。」そんな話を井出氏から伺った。
3.11震災以降、何度か東北に足を運び、また、さまざまな歪や矛盾を抱えながらも、一歩一歩復興に向かう姿も目にしてきた。だが、その中で、“福島”だけは、どう考えればいいのか、正直答えを持てない自分がいた。風評被害、そんな単純な問題ではない。過疎化した集落の一つ一つに生活があり、人生があり、絆がある。だが、そこには、程度の差こそあれ、少なくとも、通常よりもいくらかは高い数値の放射線量があるという事実、時折流れるニュースでは、“冷温停止”的状態にあるという福島第一原発の不安定な挙動が伝えられることもある。我々は、例えばボランティア支援・活動をしようにも、若者をそこに連れていくことに、幾ばくかのためらいを余儀なくされる。実は、そこにこそ、今回の震災復興・再生における“福島”の核心がある、と思った。井出さんから『鍋でもつつきながら、やろうや。話をしましょう。』そんな風に言われた昨年の11月の出会いだった。
川内村は、阿武隈高地の中央部に位置し、阿武隈高地の最高峰「大滝根山」東斜面に立地し、標高500~600メートル。阿武隈高地の最高峰、大滝根山をはじめ700~900メートルの起伏の多い山岳に囲まれた高原性の盆地。耕地は、村の中央を貫流する木戸川とその支流に沿って開け、その中に大小24の集落が散在。村の大きさは、東西およそ15km、南北およそ13km、総面積197.38km2の約90パーセントが山林、原野。
村の基幹産業は農林業。農業については、原子力発電所関連企業などに多くの労働力が流出し、専業農家が激減、農業の労働力は婦女子、老齢者が主体になっている。“経営形態も、米・葉タバコ・畜産・養蚕・高冷地野菜を種々に組み合わせた複合経営がほとんどであるため、生産組織の育成、経営の規模拡大、流通の合理化など総合的な改善をはかることによって、若者が農業に魅力を感じる、自然と文化が調和した新しい村づくりをめざしている。一方、林業も、外材の輸入などによる木材価格の低迷が起因し、生産量及び就労人口が減少の傾向にあるので、立地や気象条件に適した特用林産物(シイタケなど)の生産の拡大と適木の計画的造林を進めている。”とwikiより。
なお、文化面で見ると、「山深い山村である川内が、全国にも多少なりとも名を知られるようになったのは“カエルの詩人”草野心平との出会いが影響している。長福寺の住職矢内俊晃師は、度々に天然記念物平伏沼のモリアオガエルを紹介、そんな中、ぶらりと長福寺を訪れたのが昭和28年(1953年) の夏であった。心平は七日間も矢内和尚と酒を飲み続けた。」ということで、“カエルの詩人”草野心平は名誉村民になっている。“東日本大震災に伴う東京電力福島第1原発事故によって、全域が警戒区域と緊急時避難準備区域に指定された福島県川内村が、1月31日に帰村宣言”
3月16日全村避難、昨年9月には緊急時避難準備区域の指定も解除された川内村。福島第一原発から30km範囲内に全村が入っているものの、“村中心部(福島第一原発から約20km)の空間放射線量は毎時0.1マイクロシーベルト、福島市や郡山市の数分の1程度と低く、他市町村より帰還への環境は整っている”と言う。川内村が含まれる福島県双葉郡は広く、浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町、広野町、川内村、葛尾村の8町村、それぞれに自治体がある。福島第一原発は、双葉町・大熊町。 “帰村宣言”がされる一方で、双葉郡には、放射性物質に汚染された土壌・焼却灰を保管する中間貯蔵施設を建設する方針が示されていたりもする。
3.11の震災から11カ月が経ちつつある、2月7日朝、雨の東京を出発、一路、福島県川内村へ向かった。常磐道で、おそらく通常は常磐富岡あたりで降りて内陸の川内村へ向かうのだろうが、このルートだと福島原発至近をかすめてしまうため、いわきから磐越自動車道を経由、船引三船インターを下り、288号、399号を経て川内村に入った。なお、東北の復興支援で水戸より先は無料(2012年3月31日までの予定)になっているため、首都高700円と水戸までの高速代2,000円あわせ、2,700円(普通車)で行けるのには助かった。メンバーは、自分と、映像クリエイターの弓田一徳、NPO法人グリーンバード副代表大澤真輝、そして、音楽家の古川琴子、この4人で行った。弓田は、自分と映像関係では同業、日常的に仕事を支え合っている関係だし、昨年5月の東北キャラバンには自分のサブとして一緒に活動をした。大澤は、グリーンバードで昨年は仙台荒浜地区の農業支援のプロジェクトを企画・運営してきた。歌舞伎町にもチームがあるので、それらを通じて関わり深い。音楽家の古川琴子は、多少疎遠になった時期もあったが、知り合ってかれこれ5年、彼女の音楽と、音楽に対する姿勢を自分が愛しているということからなんだろうけど、公私にわたって、いろいろ支え合えたらいいな、という人です。自分は、それなりに“年”とはいえ、弓田も大澤も三十代前半、琴子はまだ20代、そんな若者を連れていくこと、そこに巻き込むことに、当然ながら、批判もあるかもしれないが、だからこそ、一番信頼できる、責任を負い合えるパートナーとして、彼らを連れて行ったわけです。
川内村商工会長の井出茂氏、彼が経営する蕎麦酒房「天山」にて、井出さんの手打ち十割そばがボクらを迎え入れてくれた。元々井出さんの息子さんがここをやっていたそうだが、震災後に息子さんたちは埼玉へ避難、井出さんがここを守るようになった。それから蕎麦を打つようになったそうで、だから蕎麦打ちキャリアは7カ月くらいとのこと。毎日2kgの蕎麦を、客が来ようと来まいと打ち続けるそうです。食後は、天山の囲炉裏を囲んで雑談など。
交流会を前に、地元名物のいわなを、この村の観光名所である“いわなの郷”の渡辺さんが、獲りたてのいわなを囲炉裏で焼いてくれました。琴子がお手伝い、になったかどうか・・(笑)
▲2月7日夜、川内村商工会長の井出茂氏主催の、ボクらと地元の方々との交流会の模様。井出さんは商工会長であるほか、村議会議員でもあります。村役場からは農村振興課の松本課長・小松係長・藤宮主任、川内村の地元の主婦方で運営されてる『川内へ迎える会』の秋元洋子会長、同会の新妻さん、渡辺さん、西山さん、伊藤さん、元々バイク雑誌のライターさんで今は川内村在住の唯一のジャーナリストだという西巻さん、が参加しています。ダイジェスト59分。
▲2月8日朝、前日の交流会のアルコールも抜けやらぬ間にですが、井出会長のインタビューを行いました。インタビュアーは自分、パーソナリティ風に、音楽家の古川琴子、画面には写ってませんがグリーンバード副代表の大澤真輝が同席しています。ノーカット74分11秒、ちょっと長いですが、いろいろ“核心部”が見えてきます。良かったら、ご覧ください。
2月7日、8日と二日間の川内村取材でいろいろ感じたことの中で、明確な目標は、なんとなく見えてきた。無論、全てを自分が出来る訳でなし、いずれにせよ、多くの理解者を求め、或いは、今後、資金面での支援も必要とする場合もあるかと思いますが、以下、具体的な目標をまとめておきます。
[農業支援]
・米作~作付・作業ボランティア、川内村サポーター集め、直販ルート開拓
・オーガニックコットンの生産、Tシャツなどのデザイン、製品化~販売
[教育支援]
・情操教育(例:帰村した子供たちと、村民による吹奏楽団創設~指導、演奏会)
[文化事業]
・音楽(例:収穫祭コンサート、クリスマスコンサートなど)
[発信]
・放送局、Ustream、あるいはIT、映像技術の指導。
川内村の放射線量は0.1-0.2マイクロシーベルト/毎時。東京の、約2倍ぐらいでしょうか。周辺には、それよりも高い線量の地域が点在し、地元の方が言うには、「川内村は山に囲まれた盆地だから助かったのかもしれない。神風が吹いた。」と。だが、ここに住む人たちの生活圏は、今は線量が高くは入れない双葉町側にあるということで、つまり、地勢的には村は助かったのかもしれないが、生活圏は破壊されている。農作物の作付禁止に加え、この事が、雇用を破壊し、故郷に帰りたくても帰れず、郡山(仮設住宅)に避難したままの人たちが、現実に郡山に留まる理由の一つだと思われる。また、風雨や雪に晒され、アスファルト上の放射性物質は洗われているが、土にはまだ多くの放射性物質が残っているはずで、この冬の時期は、雪に閉ざされているから線量が出ない、という可能性もある。春、雪が解け、夏になれば、その土が舞う季節がやってくる。その時、線量はどうなるのだろうか、という危惧もあるかもしれない。
だが、それでもなお、かつて2,700人の人口があったこの村に、少なくとも今現在200人の人たちが留まり、村に帰りたいと思う人たちを迎え入れられるようにと、“ふるさと”を守ろうとしているという現実がある。あたかも、それは、報われるかどうかわからない片思いのようなものにも感じ、故にその、“無償”となるかもしれぬ“愛”を誰かが支えられたらいいなと、その役割がボクらにはあるのかもしれない、と思った。
自分の、あるいは、ボクの仲間たちの、まだ一歩目のこのアクション、いろいろ賛否はあるでしょう。返って、物事を複雑にしかねない可能性もある。
だけど、自分は、さらっと、こういう事を簡単には、通り過ぎれないのです。せっかく知り合った人が目の前にいて、関わり合いの中で、出ない答えを一緒に探したいと思っている。東京から約200kmそこらの場所に、福島第一原発がある。川内村がある。そういうリアリティを、東京にいると忘れがちな気がする。だが、そこにいけば、人がいて、生活があって、笑いも涙も、希望も絶望もある。面倒くさいかもしれない、でも、少し“くどい”位の人間関係が当たり前だったら、きっと世界はもう少しマシになる、とずっと思ってきた。ここは自分の信念。それに、どれほど完璧でも、一人で何彼やったところで、そこには冷たい空間しかない。一人より二人、二人より皆でやることは、とても楽しいはず。東京から離れて、だが、そこには、支え合いという、我々のDNAの、どこか源流のようなものがあった。感じた。触発を受けないわけはない。
冬は-10℃以下に下がる日も少なくないそう。どうせ行くなら、まずは一番寒い時季に行ってみよう、と思ったのですが・・なぜか、ボクらがいた二日間は暖かくて・・それでも、朝は-5℃くらいだったかな。
ボクはボクの文章や発信で、琴子は琴子の音楽で、また、これからも賛否を受けながらもデキルかぎりの何かをやりながら、それが誰かに響いたらいいな、その誰かが“勝手に”川内村に行って、ボクらのデキルかぎりを越えて、さらなる何かを生み出すことを願っています。
1月12日(木) 歌舞伎町商店街振興組合 平成24年「新年の集い」より [季節]
1月12日(木)、日本料理「車屋本店」にて、恒例の歌舞伎町商店街振興組合・平成24年「新年の集い」が開催された。来賓としては中山弘子新宿区長をはじめ、海江田万里衆議院議員、吉倉正美東京都議会議員、吉住健一東京都議会議員、宮坂俊文新宿区議会議長、須藤國夫新宿消防署長など、来賓・組合員合わせて107名が参加。
冒頭、会の主催者として片桐基次氏(歌舞伎町商店街振興組合理事長)より挨拶。
「昨年は、本当に大変な年でありました。東北の大震災で、亡くなった方が本当に大勢いらっしゃいまして、また、福島原発という、考えてもいなかった原発事故が起きてしまいました。そういう中で、被災された方々に対しては、心よりお見舞い申し上げます。
歌舞伎町においては、昨年は、いろいろな事がございました。原発事故、震災の影響で、不況の風が、歌舞伎町全体、日本国中吹き荒れたのですけど、歌舞伎町も、その中で、強いアゲインストの風が吹きまして、皆さん、事業を本当に苦労されたことと思います。その中で、歌舞伎町としては、昨年、臨時派出所という、靖国通りにありました警察の派出所でありますけど、これが、組合に返還していただきまして、『安全・安心ステーション』として、今、なっております。今、町田防犯部長を筆頭に、頑張っていただいております。また、警察官OBの田中さん、逸見さんが、歌舞伎町の治安を一生懸命担っていただきまして、まことにありがたいと思っています。また、パトロールに参加していただきました組合の方々、また、新宿区の方々に対しても、御礼申し上げます。
また、7月になりまして、これは喜ばしいことではございますけど、ようやく、コマ劇場の跡の、東宝の再開発が発表されました。歌舞伎町にとっては、待ちに待った計画発表でありまして、私の感じるところでも、その発表があった後、歌舞伎町に対して、企業の方々、出店される方々の『芽』が、良い形で出てきまして、お店を開店される方が、今増えてきてまして、歌舞伎町では、活気を取り戻そうとしているところです。街としては、この計画、再開発が、2015年春に出来上がるということで、なんとしても、それまでに、歌舞伎町として新しい体制を整え、出店を目指す、そういう事業をしていかなければといけないと思っております。
それが、我々の、基本の形でありまして、もうひとつは、歌舞伎町の安全安心。本当に、客引きが多くて、それぞれ、お店の秩序というか、乱れて、自分勝手にお客さんを引いていくというようなものが多く見られています。これは、歌舞伎町だけではなく、新宿駅周辺9商店街の方々とお話をさせていただきましたが、まさしく、好き勝手やってる居酒屋さん、歌舞伎町ではホストとか風俗のお店があるのですけど、これをなんとしても無くしていこうと、新宿駅周辺の形においては、違法な連中をどうやって排除していくかというのが、大事なことでありまして、今、安田新宿東口商店街振興組合理事長に会長になっていただきまして、新宿駅周辺安全・安心の実行をする会というのが立ち上がりまして、9商店街が団結し、どうしてもこれを無くして行こうということで、頑張っています。
また、東宝さんのお話に戻りますけど、東宝の再開発には12スクリーンの最大級のシネコンが出来るということと、それから、30階建て、1千室のワシントンホテルさんが入っていただけるという事が発表されましたので、なんとしても、歌舞伎町は『観光の街』という顔を持っておりますし、昨年、(ミシュランガイドで)二つ星をいただいて、海外から見る歌舞伎町は、本当に歌舞伎町に来たいということで二つ星をいただいたのだということで、多くの外国の観光の方々に来ていただきたい。ワシントンホテルが出来る中で、歌舞伎町は大型バスが入るスペースというか、余地が無いんですけど、新宿区の皆さんと図って、大型バスの導入が、どうやったら出来るのか、今、協議会を立ち上げて頑張っているところです。
それと、もうひとつは、それができるまでの間、セントラルロード、周辺の広場、再開発周辺の再生と言うんですかね、新しく道路をおさえようということで、今月の終わりのほうから、その協議会が立ち上がりまして、街と区、それから事業者である東宝さんが入って、綺麗な形でその道路(整備)をやって行こうということで、これからそういう話がまいります。我々街としても、一生懸命頑張って行きます。組合員の皆様におかれましては、行政の方にお願いして、なんとかしてしていただくという形でありましたけど、やはりこれからは、それだけではなく、街の人間が立ち上がって、街が綺麗にしなければ、我々が綺麗にしなければ、やはり、出来ないんだということを解っていただいて、是非、歌舞伎町商店街振興組合に対し、ご協力していただきたいと思っております。」
原稿もなく、自分の言葉で喋られ、若干まとまりの欠ける文章になっているので、要約すると2点、重要な発言がありました。要点として①新宿駅東西9商店街(安田真一会長:新宿東口商店街振興組合理事長)による『新宿駅周辺安全・安心を実行する会』が発足、客引き対策等体感治安向上のための具体的なアクション(安全・安心条例などの制定を含む)をスタートしている、②歌舞伎町のける大型バス導線を検討する協議会が近々発足、地区・都市計画として、セントラルロード、シネシティ広場等を含む道路の再整備・新設などインフラ整備を検討していく。
「歌舞伎町と言えば、誰でも知っている、世界でも通用する、そうした街です。新宿は、やはり、多くの皆さんにおいでいただいて食べている街です。多くの、海外から来る旅行者の方々がガイドブックとして使っている、ロンリープラネットという中で、歌舞伎町とうのが、人気の街ということで紹介されておりまして、その紹介のされ方は『安全で面白い街』、そういう風に紹介されています。私は、そういったことを嬉しく思っております。
東京都が、観光客の入込調査、これは昨年3月の東日本大震災に行っておりますので、観光客については、福島第一原発事故の影響というのは非常に大きくて、残念ながら傾向が変わっているところもあると思いますが、何といっても、一番多く東京で観光客が来た街は、ダントツに新宿なんです。浅草でも、渋谷でも池袋でも銀座でも六本木でもなく新宿でして、そして、且つ、最も満足した街もダントツに新宿です。ですから、今、経済環境が悪い中で、皆さん大変ご苦労されていると思いますけど、新宿が持つ多様性、新宿が持つ猥雑性も力としながら、元気に、今年こそは良い年にしたいと思います。
そして、この歌舞伎町は、コマの建て替えもいよいよ始まっているところですし、それから、今年は辰年、昇り龍の年ということで、龍は龍神様といって、水の神様ですけれども、歌舞伎町には、昔、ここにも鴨池があったというような由緒あるところでして、やはり龍が、水を得てというような話にありますように、私が皆さんが、これまで、いろんな形で、歌舞伎町タウンマネジメントの取り組みや、振興組合のそれ以前にまず、この街を、安全で安心で、多くの皆さんにおいでいただける街として取り組んでいることに、力いっぱいバックアップをしてまいりたいと思います。
そして、この街が、多くの皆さんに来ていただいてこそ、またこの街はどういう位置関係になってきているかと言うと、東新宿の駅を近くに、また、多文化共生の街・大久保からの人が歌舞伎町2丁目に入り、そして東口のほうでお買い物もしていくというような、大変『立地』もいいわけです。ですから、長い目で、そして、日々、私たちの、この街に求められているニーズを先駆的に掴む努力をしながら、良い街にしてまいりましょう。
私は、歌舞伎町が新宿の、ある意味では『力』であり、新宿のイメージを決めている、そうした歌舞伎町の活発な活動に心から期待をし、そしてこの1年が良い年となりますように、歌舞伎町の、この街が持っている記憶は“民で街づくりをした”―区画整理事業を民でやった最初の街です。新たな担い手として、入ってきていただいている方も多い。そうした歌舞伎町に、これからも、ますます、皆さんとともに仕事ができるように心からお願いを申しあげ、挨拶とします。」
まず、前述、片桐基次氏の挨拶の要点①「新宿駅東西9商店街(安田真一会長:新宿東口商店街振興組合理事長)による『新宿駅周辺安全・安心を実行する会』が発足、客引き対策等体感治安向上のための具体的なアクション(安全・安心条例などの制定を含む)をスタートしている」についてだが、セントラルロードにおいて限られた時間における限られた範囲での、限られた財源によるパトロール活動は、ある程度の効果を証明してきた実績がある。青灯交番化し、警察OBを約200万の予算で雇い、さらに組織化した2011年、これを新宿駅周辺9商店街全域で連携し、場合によっては行政からの予算的支援を得て、なるべく広いエリアを大人数で、また警察の道路使用許可の運用範囲にも民間が干渉し、必要に応じて、理念的ではない実務的な条例化も検討しようというもの。商店街として、これまで長く懸案事項であり、且つ、その場しのぎの短期的な対処はやってきたが、実際のところ有効な手立てが打てずにきた、この客引き問題について、今度こそ、着地可能なアクションをする、ということ。
「②歌舞伎町のける大型バス導線を検討する協議会が近々発足、地区・都市計画として、セントラルロード、シネシティ広場等を含む道路の再整備・新設などインフラ整備を検討していく」についてだが、以下リンク参照※東宝㈱、新宿コマ劇場・新宿東宝会館跡地再開発計画(新宿東宝ビル)を発表、2015年春竣工(予定)基幹テナントはワシントンホテル(9-31階)と最新鋭シネコン(3-6階)地上31階建高さ130m(2011/7/11記)、現実として、実は、何も決まっていないに等しい。と言うのは、東宝の再開発事業における最大の課題は大型バスの導線確保にあるのだが、これが今以って、東宝はまったく解決策を見いだせないでいるという事実。当初から課題であったことは、東宝との話し合いの中で認識はされていたのだが、現実は、東宝はこの問題を、これでも甘く見ていた、と言わざるを得ない。またか・・という感じだが、その関係で、東京都の建築許可はおろか、藤田観光とのテナント契約ですら座礁する可能性も残っている。
一方で、こういう言い方はなんだが、震災を理由に“大幅減益”を、ある意味堂々とできる今期を上手く乗り切り、来年帳尻合わせ、再来年あたりに再開発着手をもくろむのが、旧コマ劇場の広場を挟んで真向かいに位置する新宿TOKYU MILANOビルを所有する東急レクリエーション。東宝が大型バスの導線で苦しんでいる間に、東急は西武駅前通りに面しているという立地の利を活かし、あわよくば親会社である東急電鉄の財政的支援を受け、ワシントンホテル以上のランクのホテルを基幹テナントとした“大型バス導線をもつ”複合ビルの再開発を目指している、と見られる。企業と言うのは生き物で、個人の意思はあまり関係なく、経済的状況が悪ければ消極的選択へと向かうは必然で、東宝は、そういう意味では、個人の責任ではないけれど、あくまで個人的な意見として、計画の“思想”において、ミスを犯している、と言い切れる。このことは、公式な発言にはないけれども、明らかに、関係者の中では、すでに認識されていると見てよい。
ビジネスなのだから、東急レクリエーションの上手な隠れ“単独行動”は、利が叶っているとはいうものの、だったら、なんで、どちらかが『頭を下げてでも』一緒にやらないのか、と思わざるを得ない。企業プライドという厄介な壁がそこにはあるわけだが、そこにはまだ、付け入るトコロがあるとも言えそうだ。区長の発言「“民で街づくりをした”―区画整理事業を民でやった最初の街です。」は、当然ながらある意図を持った言葉である。おそらく、客引き対策で条例化を含め、財源も公共に求めることに対する『牽制』であり、政令化や公共財源の投資となった場合の行政の責任回避とも言えなくもないが、行政はあくまで『民』の後押しであって先頭に立つべきではない、行政が先頭に立てば、歌舞伎町の、或いは新宿の“良さ”“魅力”を結局損なうことになりますよ、或いは、損なわざるを得ないことになりますよ、という示唆でもあるのではないか。だからこそ、民間で越えるべきハードルは民間で越えてほしいという思いを感じる。それぞれに一理ある官民が、どう“丁度いい”落とし所を見いだせるか、新宿の東西9商店街という事で、勿論より複雑になった面もある、調整にあたることになる城克氏(歌舞伎町商店街振興組合事務局長)あたりの手腕にかかる負荷は大きい。
さて、歌舞伎町商店街振興組合は、自らが“街”であると自負しているが、その自負にふさわしい決断と行動を示せるかどうか。意外と、実感が無いような分かっていないようだが、唯一の民意の担保ということで、どちらかと言うと利用されてきた側面が多かったとはいえ、事実上、“民意”という最強の武器を持っていることを、今こそ“正しく”大いに使うべきだろう。そのつもりで9商店街の協議会立ち上げまではこぎつけたのだから。おそらく、このまとまりを、今もがいている東宝も藤田観光も竹中工務店も、そして東急レクリエーションも、或いは行政さえ、望んでいるのではないかな。以前プレゼンし、一度は消えた(作成した模型はTMOの倉庫に今は眠っている)が、歌舞伎町補完計画(案)(※facebook 歌舞伎町ページに掲載)、実は意外に、まだ死んでいない気がしています。
平成二十四年 元旦 [季節]
▲2011/12/10 宮城県仙台市、荒浜海岸にて撮影
2011年を振り返る。記憶をたどるように。
2010年12月17日、チュニジア中部のシディ・ブジドにて失業中だった26歳の男性モハメド・ブアジジが果物や野菜を街頭で販売し始めたところ、販売の許可がないとして警察官が商品と秤を没収、さらには婦人警官の1人から暴行を受け、没収品の返還と引き換えに賄賂を要求。これらへの抗議として、彼は同日午前11時30分、県庁舎前でガソリンをかぶり、イスラム世界ではタブーとされる焼身自殺を図った。これを機に、2011年1月、チュニジアから起こったジャスミン革命は、以降、アラブ全体の民主化運動という大きな波となり、エジプト、イエメン、ヨルダン、リビアなどに広がった。チュニジアのベン=アリー政権は間もなく崩壊、更に、エジプトで29年間大統領職にあり独裁政権を維持してきたムバーラクも2月には去った。チュニジアの隣国であったリビアも、ジャスミン革命の影響を受け、2011年2月にはガダフィ(カッザーフィー)退陣を求める大規模な反政府デモが発生、内戦状態へと突入、NATOの軍事介入を招いた。10月20日、大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国の独裁者であったムアンマル・アル=カッザーフィーがシルトにてリビア国民評議会軍の攻勢を受け拘束、その際に死亡した。アラブ世界における、長期独裁政権に対する反政府運動と民主化ドミノは継続中だが、イスラム原理主義の台頭など、“アラブの春”は未だ遠い。
5月2日には、9.11アメリカ同時多発テロ事件等の首謀者とされてきた、アル・カーイダ最高指導者、ウサマ・ビンラディンがアメリカ特殊部隊によって、パキスタンのアボッターバードにて殺害、事実上アメリカによる処刑だった。そして、記憶に新しいところではあるが、12月17日、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の最高指導者、金正日総書記が死去した。
2月、ニュージーランドのクライストチャーチでM6.3の地震が発生、富山外国語専門学校の生徒12名を含む日本人28人が亡くなった。多くの記者たちがニュージーランドに入ったが、取材の折、「facebookをやっていないと(被災者と)コンタクト出来ない。」と話していたのが記憶にある。先のジャスミン革命もそうだったが、SNSツールは、最早、電話と同じように必要不可欠なコミュニケーションツールになった。
そんな折に、今度は、3月11日、日本で東北地方太平洋岸沖を震源とするM9.0の地震が発生した。
3.11、当初気象庁はこの地震のマグニチュードを7.9と速報したが、後に8.4、8.8、3月13日には外国の安定した遠地地形波データを用い9.0へと修正した。通常15分程度で算出できるモーメントマグニチュードだが、国内の広帯域地震計がほぼ振り切れたため対応できなかったと言う。如何にこの地震が、巨大だったかがわかる。
2000年代になってから、869年(貞観11年)の宮城から福島にかけて太平洋沖で発生したM8.4の貞観地震が知られるようになり、3.11はこの再来と言われているが、一方で、その後の調査結果から、今回と同程度の巨大地震は紀元前390年頃、允恭天皇年間(430年頃)、貞観11年(869年)、明応年間(1500年頃)と過去4回発生しており、再来間隔は450 - 800年程度と推定する報告があった。東北地方太平洋沖地震発生後に海溝型地震の長期評価見直しを進めている政府の地震調査委員会は2011年11月24日、津波堆積物の調査結果を反映して、紀元前4~3世紀頃、4~5世紀頃、869年の貞観地震、15世紀頃、今回の地震の5回三陸から房総にかけて約600年周期で海溝型地震が発生していると認定、次回の地震規模はM8.3~9.0としている。同地震により引き起こされた大津波に起因して、福島第一原子力発電所は壊滅的な被害を受け、これが大規模な原子力事故へと発展、2012年を迎えようとする現在にいたって、未だ現在進行形である。
大気に漏洩した放射性物質の量は37京Bq以上と推算、4月12日、国際原子力事象評価尺度について、暫定的ながら、史上最悪と言われる、1986年ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所事故にならび、レベル7と評価されている。なお、2号機から放出された高濃度汚染水が含む放射性物質の量は、東京電力発表の水量と濃度に基づけば330京Bqである。単純比較はできないが、福島第一原子力発電所事故によって放出されたセシウム137は広島型原爆約168個分(6月時点)、チェルノブイリ事故の放出放射性物質の総量は約400個分だったと言われている。
平成二十四年(2012年)壬辰(みずのえたつ)
揺れた。まさに大揺れの2011年だった。
日本経済の低迷は、中産階級の没落にある。単純労働が高度経済成長を支えた時代は終わった。グローバル化によって労働が海外に流出し、“中流層”が担う仕事は失われた。だが、この世界の変化にも関わらず、“中流層”は、中流階級であり続けようとする、これが既得権への執着、つまり時代を膠着させている。かつて1億総中流と言われたように、“中流層”はこの国の圧倒的多数であるからこそ、民主的にはなかなかこの膠着からは抜け出せない。仕事をしながら、その多くが、仕事の意味を見いだせず、既得権保持、時代の膠着の方棒を担ぐ、当然ながら、自己喪失感は増すばかりだろう。
そうして渇いた心を、3.11が揺るがした。そして、響いた。多くの人たちが、“人の心”を取り戻し、或いは取り戻そうと、被災地に向かった。多くの人たちが、元気を与えたいという思いで被災地を訪れ、だが、おそらく、むしろ、それより大きな何か“熱いもの”を貰ってきたのではないだろうか。人は人と繋がり、そこで何か、同じ夢を見たとき、心が震えたりするものだ。
大都会の、それも東洋一といわれる繁華街“歌舞伎町”において、地域の再生、街づくりということにかかわりつつも、やはり、心のどこかで、地域エゴの強い人たちとは思想的な衝突がいつだって違和感を与える。愛着のある人たち、街、それはそれで、大切にしたいが、一方で、東京の一極集中の、いわば象徴的な“新宿”という街が『一人勝ち』を目指す地域エゴ、理解はできるが、そんな“思想”は、必ずしも、この国を良くするわけがない。
個々の地域の個性が生かせる街づくり、一方で、他の街にある資源は資源として尊重し、犯さない、ある種の役割分担。都市間競争という言葉が私は大嫌いで、だから、歌舞伎町ならではのことは歌舞伎町でかまわない、だが、その資源はこの街でなくても・・というなら他の街に道を譲る。東京と東北の関係もそうだ。いや、むしろ、東京は、もっと生きにくく、商売も難しい、資金調達も困難な、負荷の強い街でよい。その分、例えば環境に配慮された首都として、インセンティブがあればいい。一方、地方都市には、もっと自由が、チャンスがあるような、そんな関係性の中で国家が設計されていくほうがバランスのいい国家になるのでは、そんな思想の中で、故に、歌舞伎町のような繁華街は、だからこそより規律的であって良い。規律的で不自由でなお、それでも生き残れる者だけが残る、それが歌舞伎町の新たなブランド力を創り出す礎となる。だから、まだまだこの街を、行政も警察も、甘やかしてはならない。
あの3.11、雪の降る中、ずぶ濡れた服のまま、孤独に救助を待った人たち、彼らが過ごした長い夜の寒さは、今朝の東京よりなお寒い。私自身も、5月、そして12月に被災地に出向いた。また、この1月、原発から20kmの福島・川内村に行くことにしている。
「壬辰(じんしん)」、干支を見るに思い浮かぶは、ともに女偏を足せば「妊娠」。2012年は自然の摂理に習い、これを経て、2013年の癸巳(きし)には、母は“枯れ”、子が“生まれる”、という感じか。
2011年の年度末、各企業は大手を振って赤字決算とするだろう。その分、実は、2012年度を迎えて以降、身軽になったりもする。だから、春にはどうにか時代は動き始めるかな。枯れる“母”が既得権益と、その中流層であり、2012年の“妊娠”から13年、誕生が、いわば新しい価値観へと、思想の進化の時代へ、となればいいのだが。
動く前に、今は、じっと考えている。どう動くべきかと。世界を動かせるものほど、力があるものほど、今は考えている。そういうものだ。
「壬辰」から「癸巳」と来て、なるほど、干支は2004年から13年の、この10年を『十方暮』だったことを示している。『十方暮』或いは『十方闇』とも言うが、途方に暮れるの意、四方八方十方塞がり、天地の気が相剋して、万事うまく行かない凶日のこと。そして、十方暮は「癸巳」にて終日、つまり干支は2013年に闇を抜けるを表す。となると、“闇”はあと2年か。だが、どうせ変わらざるを得ない、世界も、この国も。変わるならば、“闇”ではなく、“光”のある希望の時代へ。
▲2012.1.1 7:34 日の出は6:50予定だったが、雲がかかり、忍耐を求められた今年の初日。7:34、かろうじて雲の合間に一瞬太陽が覗いたので、これを初日の出ということに。2011年に起きた様々な事が、現在進行形のまま迎えることとなった2012年を象徴しているかのようだった。▼2012.1.1 0.34 新宿花園神社、初詣風景。







































