美しい国づくり、街づくり、そして歌舞伎町のDNAについて- [まちづくり]
平成18年9月の安倍総理による所信表明演説には「私が目指すこの国のかたちは、活力あるチャンスと優しさに満ち溢れ、自律の精神を大事にする、世界に開かれた『美しい国、日本』であります。」とある。ここで言う『美しい国』の姿は、
- 文化、伝統、自然、歴史を大切にする国
- 自由な社会を基本とし、規律を知る、凛とした国
- 未来に向かって成長するエネルギーを持ち続ける国
- 世界に信頼され、尊敬され、愛される、リーダーシップのある国
と表明されている。これを受け、平成19年4月3日に、日本画家の平山郁夫氏を座長とする「美しい国づくり」企画会議の第一回が開催され、「美しい国づくり」プロジェクトが立ち上がった。
◆「美しい国づくり」企画会議 有識者
- 平山郁夫 日本画家【座長】
- 山内昌之 東京大学大学院総合文化研究科教授【座長代理】
- 石井幹子 照明デザイナー
- 井上八千代 京舞井上流五世家元
- 岡田裕介 東映株式会社代表取締役社長
- 荻野アンナ 作家・慶應義塾大学文学部教授
- 川勝平太 静岡文化芸術大学学長
- 庄山悦彦 株式会社日立製作所取締役会長
- 田中直毅 国際公共政策研究センター理事長
- 中西輝政 京都大学大学院人間・環境学研究科教授
- 弘兼憲史 漫画家
- 松永真理 株式会社バンダイ取締役
◆「美しい国づくり」プロジェクトの趣旨
「美しい国づくり」プロジェクトとは、一人ひとりが「美しい国」に取り組むきっかけを作るものとし、①様々な分野で本来持っている良さや美しいもの②失われつつあるが途絶えさせてはいけないもの③かつては美しかったが美しくなくなってしまったもの④実はその美しさにまだ気づいていないもの⑤そして、これから作り上げるべき良さや美しいもの など、今、この国の人たち一人ひとりが見つめなおさなければならないことを掲げ、“日本ならでは”の感性、知恵、工夫、そして行動に気づき、共有し、そのことを日々の暮らしや仕事の中で磨き上げ、作り出していくことで、「美しい国、日本」を築いていくことを目指す。また、「こうした日本の国に住む人たちの姿や行動を世界に発信することで、世界から理解や共感を得て、愛され、信頼につなげていくことを目指す。」とある。

さて、何でこんなことを書いているかというと、5月19日(土)、歌舞伎町・風林会館5Fにて「第一回スローライフ学会フォーラム 新宿・歌舞伎町からスローライフの風を」(主催:スローライフ学会 NPOスローライフ・ジャパン)が開催され、冒頭歌舞伎町ルネッサンス推進協議会会長でもある中山弘子新宿区長や前岩手県知事の増田寛也氏の対談のあと、内閣官房で進める「美しい国づくり」プロジェクトの推進室長(事務方の責任者)である三宅義彦氏(内閣審議官)のスピーチでこの「美しい国づくり」についてスピーチがあったので、少し考えてみることにした。

このスローライフ学会とは、会長に筑紫哲也氏をおき、本来今学会のトークセッションは筑紫氏と中山区長の対談が企画されていたが、14日のNews23で筑紫氏が初期ガンの闘病生活を公にし、急遽出席できないことになってしまったという経緯がある。(※スローライフ学会事務局 NPOスローライフ・ジャパンの設立趣旨:21世紀、「スローライフ」というキーワードが、世界を動かす流れとなってきました。がむしゃらに突き進むことだけを良しとする世界から、立ち止まって考えることも是とする世の中への変化です。「ゆっくり、ゆったり、ゆたかに――」。マイナスイメージをプラスに切り替える。結果だけでなく過程を楽しむ。地域の自然・歴史・伝統・文化を大切にして暮らす。感性を磨き、みずみずしい人間関係を取り戻す。こうした価値観の変化は、新しい暮らし方をつくりあげるでしょう。「スローライフ」を単なるライフスタイルのレベルにとどめず、まちづくりへの目標と手法に活かしたい。地方分権や、その上に成り立つ新しい市町村経営の改革へと進めたい。緩急自在の意識を育て、地域の活性化の新しい道を見出したい――。私たちは市民と一緒にスローライフを考え、自治体と協力してスローライフが実現できるまちづくりを進め、手間暇かけて魅力ある地域をつくりだす運動を進めます。)
中山弘子新宿区長(5月19日のスローライフ学会トークセッションにて)
今回のフォーラムで、まず中山新宿区長から「歌舞伎町ルネッサンス」の取り組みについての説明、紹介等が行われた。「歌舞伎町ルネッサンス」における地域再生の核は「この街の持つDNAの再生」にある。そして、歌舞伎町ルネッサンスにおけるこの街のDNAは戦後復興において鈴木喜兵衛氏が目指した劇場街・興行街を中心とした道義的繁華街にあるとして「大衆文化・大衆娯楽の街」、そしてこれを民間主導の区画整理事業によって実現したことから「民の力」「民間力」というところにあるとしている。しかしながら、現状の歌舞伎町にはまだまだ暴力団や違法な犯罪インフラがはびこり、とはいえ地域のハード・ソフト面においては更新期にあることから暴力団・違法な犯罪インフラを除去に行政や警察と地域が連携しながら進め、やがて更新されるであろう新たなる歌舞伎町に再び本来の民間力に拠るDNAを再生し、賑わいも暮らしやすさも一番の、そんな街づくりを目指しましょうというのが今の歌舞伎町ルネッサンスの活動である。「人口減少・少子高齢化社会というのは、地域の担い手の構造が変わるということなんですよね。そのときに、それぞれが自分の一番得意な分野で担えるような新しい共生・協働方の分権型社会を作っていくということがとても重要だと思っています。都市と言うのはどうしても経済活動が優位にありがちだが、なんと言っても街への愛着と誇りが持てない限り、その街は持続的に発展は出来ないし、良い街にはなっていかないと、皆感じてきていると思っています。歌舞伎町の皆さんが、困難な中でもかなりの勢力をこの歌舞伎町ルネッサンスの活動に力を注いでくれているのは、まさにこの街が歌舞伎町らしく愛着と誇りを持ちたい、そういう街づくりだと思ってます。ただ、実際には歌舞伎町版のタウンマネジメントを進めていく上でどこに財源を求めていくか、どうやっていくのか、これは非常に試行錯誤の中でやってますが、結局、かなりの覚悟をしながらやっていく以外ないんだなと思ってます。」と中山区長。
三宅義彦氏:内閣官房内閣審議官「美しい国づくり」推進室長
このスローライフ学会、今回は筑紫哲也氏(同学会会長)が急遽出席できなくなったのを、NPOスローライフ・ジャパンの理事長川島正英氏がコーディネーター(いわば司会役)になり、前岩手県知事の増田寛也氏と中山区長が対談、そこにスピーチとして三宅義彦氏:内閣官房内閣審議官「美しい国づくり」推進室長と鈴木輝隆氏:江戸川大学教授が参加という形になったのだが、筑紫氏が歌舞伎町ルネッサンスについていろいろ言いたいことがあったんだろうというのが一つの興味だったわけなので、やや対談などにしても準備不足感が否めなかった。歌舞伎町について、あるいは歌舞伎町ルネッサンスについて壇上の方が語るとき、事実認識が無い、情報不足なんだろうな、やや聞いててもちょっとつらいものがあった。(まるで都知事選挙の時の浅野史郎候補みたいなもんかな)とはいえ、それらとは別に「美しい国づくり」についての三宅氏のスピーチについては、やはり色々考えるべき部分が多いとは感じた。そこで、そのスピーチ内容。
「美しい国づくりづくりプロジェクトの有識者会議は、この『美しい国』を定義して、それを国民の皆様にこういうものだから守んなさいというものではまったくありません。日本には1億数千万の人がいますが、1億数千万通りのこの国のらしさ、この国の美しさ、この国にとって大切なものがあって当たり前であって、それを今、改めて見つめなおして、一人ひとりがこれは大切なものだと言うものを、お互いに伝え合い、お互いに共感できるものは共感し、大切なものは大切にし、磨き上げて次の世代に譲り渡して行きたい、そういう運動と言えると思います。そういう意味では復古とか、そういうものではなく未来志向の運動だと思ってます。普遍的な価値のあるものについては、地球社会の貢献につなげていこう、また発信もしていこう。そうした一人ひとりの努力に対して、行政というのはおそらくそれの後押しをしていく役割なはずではないか。行政の立場として何をなすべきかも考えていかなくてはならないかと。歌舞伎町ルネッサンスの活動で、そうだなと感じたのは、一つは地域のDNA、この地域は本来こういうものを目指していたはずだ、こういう素質を持っていたはずだ、そういうところにもう一度かえって普遍的な価値として大衆娯楽、適法で健全な娯楽、そして発信ということにもどって進めていこうとしている。そのプロセスは『美しい国づくり』と一緒だなと感じた。今の日本、いろんなことが起こってきていて、ちょっと変じゃないかな、どうしたんだろうと、たくさんの方が思ってらっしゃると思う。戦後の行政課題というのを振り返ってみると、経済復興というのが第一義の時代がありそれがかなり成就して、その上にかぶせるようにいろんな課題はあるのですが、そこに福祉と言うのがものすごく大きな課題として累積してきている。これは色んな考えがあると思うが、私自身は、その上に実は『心』に関する事柄が、三番目に大きな課題としてかぶせなくてはいけない時期が来ているんじゃないかと思っております。色々な、驚くべき事象がテレビ等の中で出てくるのですが、歌舞伎町ルネッサンスの活動と同じだなと思うのは、犯罪なら犯罪を事象として表象部分についての対策を打つと言うことでは、多分ダメなんじゃないか。もっと奥の部分、根源的な部分に戻って考え直してみないといけないんじゃないか。私ども『美しい国づくり』も、まずは見つめなおしから入ろうとしていると言う意味で、同じようなことなんだなと聞かせていただいた。日本らしい、日本的なものでも、必ずしも地球社会で普遍的な価値ではないものもあるかもしれない。でも、日本の国では大切にしなくてはならないものもあるかもしれない。今あるもので、いいなと思うもので磨いていかなくてはならないもの、無くなりかけてしまっているけどもう一度取り戻さなくてはというものもあると思います。無くなってしまっちゃったなぁ、もう一度再生しなくてはというのは、心の部分かもしれません。また、目に見える美しさの部分かもしれません。もしかしたら、これまでに無い作らなくてはならない美しさというのもあるかもしれない。『美しい日本の粋』募集というのをやっており、一人ひとりご自分がこれが日本らしさだと思われることを31文字以内で書いて私どもにお教えいただきたい。そういう募集事業なんですが、今1,500件くらいお寄せいただいてます。皆さん、本当に様々な視点からお寄せいただいてます。その中でまだ中間で分析をするのは早いと思ってますが、心に関わる部分が一番多い。それはもしかしたら、心に関わることの心配をたくさんの方がされているのかもしれない。大切なものは何だと思っているのかを是非、私どもにお教えいただけないでしょうか。私どもは、お寄せいただいたものを整理し、みなさんこういうものを大切のしてますよと言うのをお伝えし、共有するようなものに持っていきたい。さらに、自分達が何をやっていけばいいのかということを先々考えていくというような流れで進めて行きたいと思ってます。」(三宅義彦氏:内閣官房内閣審議官「美しい国づくり」推進室長)
「新宿の街だけではなく、日本の社会が、これまでのファストファストファストでやってきたことの賞味期限が来ている。小泉総理の時に構造改革ということが言われましたけれど、これまでの社会システムではもうもたない、そういう状況がある。その中で、こうありたいという合意形成をしながら共感し合えるものを見つけていくことが必要。賞味期限が切れてきているというのは、建物ばかりではなく、コミュニティのあり方なども含め社会システム自体がそういう状態になってきている、そんなことを私自身は感じている。そういったときに、どうありたいのか、誰かの作ってくれた基準で考えるのではなく、自分で考えるのが大事だと思う。新宿の街は更新期に入っている。そうすると、よく都市間競争なんてことがよく言われるんですが、たしかにその通りなんだけども、やっぱりそれぞれが自立していくというのは、互いに支えあってのいい地域を作っていける。それぞれが努力はするのだけれど、連携しあう方法とか、自分の地域が全体の中でどういった役割を果たすことによって他から支えられる地域になりうるかということを考えていきたい。そうしたときに、ライフスタイルが違う、多様化した人たちがいる中でコミュニティをどう作るかといったら、互いのライフスタイル・ライフステージに対する想像力を持ちながら、でもこの街が回っていっているのは、色んな人々の活動があってというのを理解し、さらに多くの人がそこに関われるような仕組みをつくり、また想像力を持てるような情報を持ち、互いに互いが認め合えるようにすることが必要ではないか。あるときは誰かを支え、あるときは支えられるというのが、確かに少し面倒なんだけど心楽しいと思えるような地域社会作りを、それぞれがそれぞれのところで粘り強くやっていくことが必要。しかし、画一的にこうやらねばならない、こうしなければならない、としてしまうと皆ひいてしまう。だから、自分が一番関心を持てたり得意と思えるところで、『ありがとう』と言われるような多様な場を作り出していく、そんな街づくりをしていきたいと思ってます。」(中山新宿区長)と、区長もややスローライフに街づくりを関連付けながら発言されてた。
「美しい国 日本の粋(すい)」募集要項
あなたが思う、日本の“らしさ”“ならでは”とは、何ですか。 「日本が様々な分野で本来持っている良さや『薫り豊かな』もの」、
「失われつつあるが途絶えさせてはいけないもの」、
「かつては美しかったが美しくなくなってしまったもの」、
「実はその美しさにまだ気づいていないもの」、
そして、「これから作り上げるべき美しいもの」
そのような日本の“らしさ”“ならでは”を教えてください。
例えば、
山・森・海といった自然や、田園や里山、瓦屋根のある町並み、
日本語の美しさ、謙譲の美徳、礼儀正しさ、凛とした立ち居・振る舞い、
畳や襖のある生活、障子からもれる光、日本食、
匠のワザ、省エネルギーを実現する先端技術、 調和や融和の精神、勤勉さ。
このように、自然、文化、芸術、伝統、技術、さらにはその中にある質や感性もあるかもしれません。
あなたが思う、日本の“らしさ”“ならでは”を、以下の様式にそって、日本語で、各々ご記入の上、送付ください。
1. 「美しい日本の粋(すい)」とは何ですか。(31字以内)
2. それを選ぶ理由は何ですか。また、それは、あなたの日々の暮らしの中で、どのようなものとして表れていますか。(100字以内)
□応募方法
上記募集内容の他、①氏名②年齢③性別④職業⑤住所⑥連絡先(電話番号またはメールアドレス)を明記の上、以下宛先までお送りください。
□宛先
(1)「美しい国づくり」プロジェクト公式サイトから応募される場合→公式サイト
(2)郵送(手紙またはハガキ)でのご応募をされる場合、
〒105-0001 東京都港区虎ノ門3-2-2 虎ノ門30森ビル1F 内閣官房「美しい国づくり」推進室 「美しい日本の粋(すい)」係 宛
□募集期間:平成19年4月20日(金)~6月22日(金)
□問い合わせ先:℡03-5472-1350(※9:30~18:00 土日祝日除く)
歌舞伎町ルネッサンスという活動を通じて気づいたことがある。確かに街づくりにはビジョンと言うものが必要である。歌舞伎町ルネッサンスにおいて、そのビジョンは「大衆娯楽・文化」の街としており、またそのDNAは民間力のポテンシャルに拠るところが大きいというところにある。しかし、これが一つのキャッチコピーではあっても、実際に街を創るのは民間の資本に拠るものであって、それに対する強制力は何もない。いわば、こうしたらいかがですか?と問いかけているようなもの。さて、歌舞伎町に限らずかもしれないが、街づくりということを進めていく場合、そうしたビジョンはあってもいいが、やはり街は生き物であり、また一つの意志で動いているわけではない。ビジョンというものはあった方が良いし、それを共有しながら出来るだけ地域が顔の見える関係を持つことで実現力、あるいは解決力は高まる。が、一方で、それにあまりこだわりすぎてはいけないのではないか?と言うことも感じる。 つまり、日々の各論的問題を一々解決するためのより良いと思われる施策を実行しながら、しかしこれが必ずしも全てが数珠繋ぎでよい結果だけを生み出すわけではなく、必ず新たな課題、一部の利害を伴う。そこで、また違った変化が生まれていく。例えば、遵法を重視する道義的繁華街を目指すのは必要だが、そこに必ず法の限界、法の矛盾、そしてその上に成り立っているその時々の地域経済というものがあり、大きなとまではいかなくても、常に部分的な軌道修正は必要となる。つまり、街づくりとは、ビジョンとは漠然としたものであって良く、あまりがんじがらめの具体的なものにする必要はないということと、それとは別に日々生じる新たな課題を一つ一つ解決していく、その継続と積み重ねが結局のところ唯一の成功に結びつく手段なんだろうな、と。 中山区長の発言にもあるように、「(街が)どうありたいのか、誰かの作ってくれた基準で考えるのではなく、自分で考えるのが大事」、つまり歌舞伎町ルネッサンスという構図、組織形態を考えれば、他の地域、街には無いもっと言いたいことの言える、街が自ら望む姿を伝えられる格好の場所を持っている。「街」はずば抜けた発言力、発信力を持っているにもかかわらず、その声をなかなか上げないこれまでの姿を本当にもったいないと思うときがある。この人たちは一体どうしちゃったんだろうと。。。ある意味、これもコミュニティの賞味期限が来てしまっているということもあろうし、だが、ふとした「気付き」でもっともっと色んな事が出来るようにもなる可能性が、まだ余力として残っているということも間違いない。
5月20日(日) 新宿救護センター開所5周年チャリティコンサート開催 かつて密入国した韓国人の父と在日韓国人の母との間に生まれ、漂流した人生を送ってきた男が、自身がHTLV-1と言う白血病のウィルスの一種の感染者(千人に一人の割合で発症し、発症すれば1年以内に死亡する身)であることを知った。苦悩の挙句、「自分の生きた証」を残そうと、それまでの生活の全てを捨て、歌舞伎町に「駆け込み寺」と呼ばれるNPO法人日本ソーシャルマイノリティ協会を立ち上げたのが2002年の5月。社会的弱者、DV、虐待、あるいは借金など、そういったものから「縁」を切らせて人生を再生する手助けを体を張ってする、これは「いわば私の贖罪でもある」という玄秀盛氏。彼の設立した新宿救護センターが5周年を向かえ、最後のグランドキャバレーといえる歌舞伎町のクラブハイツでチャリティコンサートが開催された。 玄秀盛さん↑クライブハイツのナンバー・ホステスのめぐみさんと。 「この5年、相談とか面談を受けて自分が感じたことは、駆け込み寺ゆうのは、縁切り寺やと。要するに暴力、借金、死にたいとか、DV、旦那と別れたい、恋人と別れたい。結局、オレのやってることはそういうことに対する縁を切るというスタイルを貫いているだけであって、切った後どうなるゆうたら、後は本人が自立を目指すと。」と玄さん。5周年を迎えて、「これを一つの節目にして、6年目はオレはちょっと、世の中に出て暴れたろじゃないけど、じゃないけど、歌舞伎町から世界へと格好よく言いながら、まぁどこまで行くんかはわからんが、オレはまぁ、ボス猿やから、この5年を一つの土台にして、生きてる限り救護センターもやりたいし、これからはもっと貪欲にいろんな方面でいろんな仲間達と寄り添いながら、たった5年でこんだけ仲間増えたんや。今年、5月24日で51歳、5年前の46歳で全部断ち切ってやったことが5年の仲間がありがたいことに1,000人以上集まって、これから益々意気揚々とやっていきますんで、今後ともよろしくお願いします。」
玄さんがいて、ケンさん(若林ケン)がいて、また李小牧のような人物がいて、杉山文野クンや手塚真輝君がいて。ほかにもたくさん神峻さんや武内晃一氏、会ったことはないが裏新宿のtxさん、個性を発揮して歌舞伎町を舞台に強烈な発信力を持って活躍している人たち。それぞれ立ち居地、ライフステージ、街を見る角度は異なるが、みんながこの歌舞伎町を愛しこの街がより良い街、より元気な街になって欲しいと思っている。そして、その想いを胸に秘めながら、それぞれの立ち居地から精一杯発信し、街全体をサポートしている。最近だと、MADOKAちゃんや荒川祐二君、そしてマサさん(中野正雄)と新たに歌舞伎町や新宿を舞台にそれぞれ「何か」を仕掛けている人物が現れてきている。街づくりに関わりながら、少々立ち居地が違っていても常にこういったような人達が現れて続けて欲しいと思いながら、街づくりとは人づくりなんじゃないか、そんな風に考えることもあった。しかし、人はやっぱり作るものではなく、生まれるもの、この街の何かに触発され自然と生まれてくるしかないんじゃないかとも思う。そんな中に、ひょっとしたら自分もいるのかもしれないが、そういった「人」を生み出す源は一体何なんだろう。多分、その何かこそが、実はこの街の持つ本当のDNAのような気がする。 ビアン・ムッシュ by 若林ケン 6月27日、若林ケンさんはソニー・ミュージックダイレクトよりいよいよメジャーデビューする。アルバムの名前は「花束~Bouquet de CHANSON~」。その中に、「嘆きの天使」(作詞:阿久悠)と言う曲がある。シャンソンではなく、所謂歌謡曲だ。今回のステージでこの曲を歌うケンさんをみて、あれ・・なんか違うなぁ・・と感じた人は自分だけではないのではないか。別に曲が悪い、詩がどうのというわけではない。でも、何かが違って見えた。これがメジャーデビューということなのかなと。 ケンさんは、35歳の頃から歌舞伎町で酒場に居て歌を歌ってきた。あまり地域とも、そして街ともそう深く関わることなく。しかし、ケンさんにもある種の歌舞伎町のDNAのようなものがしっかりと植えつけられている。そんな彼が、一介のシャンソン歌手として歌うシャンソンと、メジャーデビューした歌手として歌う歌謡曲と、なにかしっくりとしない違和感がそこにあるのは、逆にこの歌舞伎町の持つDNAのせいのように思えた。つまり、やや乱暴な言い方かもしれないが、アウトローとでも言えばいいのかな。思えば、この街の古くから居る人たちでさえ多くが集団就職、口減らしで田舎から出てきたような血筋をもち、戦後の復興後の繁栄期を支えた人たち、その後の今に至る歌舞伎町にも「由緒正しき」みたいなものは感じられない。左翼も右翼も同居して酒を酌み交わし、あるいは彼らが潜伏した街。常にどこか反体制的なエネルギーがここにはあり、そもそも芸術とか映画とか、そういった文化と言うものは常にそんな中から生まれてきた。そして、この街で成功したものは大抵、この街を去っていった。例えば森英恵、江利チエミ。歌舞伎町という街、この場に行き着くまでにもきっとそれぞれのドラマがあり、そしてこの街で生きていく中にもまた様々なドラマがある。そんな場の持つDNAと歌舞伎町の「歌舞伎」の音が共振したかのようにこの街の姿を作ってきたように思える。歌舞伎の語源は「かぶく=傾く」、かぶくとは、どっちかに偏って真っすぐではないさまを言う。転じて、人生を斜に構えたような人、身形や言動の風変わりな人、アウトロー的な人などを「かぶきもの」と呼んだと言う。歌舞伎とは、そんな「かぶく者によるかぶく芸」のことで、そこに歌って舞う、伎(わざ)と当て字したものである。 人の心には、その割合こそ差はあるかもしれないが誰もが持つものが清と濁、光と陰であろう。光があるから陰があり、光だけではその存在価値ですら失われる。「美しい国づくり」と叫ばなくてはならなくなったこの国が失ったのは、もしかしたらそういうことに対する気付きなのではないか。光には常に陰が伴い、また陰を映し出しているのも光のせいであるという自然の中にもある普遍的な事実を忘れ、光は光、陰は陰でしかないような画一的な物事の捉え方が心を病ませているように思える。漠然とした書き方しかできなかったが、今、この時代だからこそ、そんな心に響く何かが必要な気がしてならない。 高野こうじ作 光・陰 " If there were no clouds,we should not enjoy the sun."
スペシャルゲストとして、第一部コンサートでは若林ケンさん(シャンソン歌手)、そして第二部では沢田知可子さんらがステージに上った。
若林ケンさん。還暦を過ぎてシャンソン歌手としてCDデビュー。歌舞伎町二丁目にある「ペイトンプレイス」は彼の店。この6月27日についにソニー・ミュージックダイレクトからメジャーデビューを果たした。歌手若林ケンの第二章が今、始まろうとしている。
「会いたい」「がんばろう」などを熱唱した沢田知可子さん。デビュー20周年だそうです。
MADOKAちゃん。歌舞伎町るねっさんすLiveなどでおなじみの彼女、「いつかハイツで歌ってみたかった」と言ってた彼女の夢の一つが実現した。ロスで新曲のレコーディングを終えたばかりで、やや「時差ボケ気味」だったらしい。また、その他にも玄さんの新宿救護センター5周年を祝う形でコロッケさん、落語家の立川談慶さん、創作書家の高野こうじさんらが駆けつけた。
フロントで創作書家・高野こうじさんの作品のポスターカードを販売してたものから、ちょっと自分としてインスピレーションを感じたものを。時々驕りが出る悪い癖があるもので・・・・^^;

玄さんが書いてきた出版物もすでに7冊に達している。




















テラさん、いろんなご意見、そして動画ありがとう!
今度一緒に飲みたいね。
by 若林ケン (2007-05-23 11:48)