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“歌舞伎町案内人”こと李小牧が日本上陸20周年 [人]

眠らない街「歌舞伎町」、この街で外国人専門のガイドとして立ち続けた中国人、李小牧氏。彼がこの地に訪れたのが1988年2月26日、それからちょうど20年。彼が昨年8月にオープンした湖南料理専門店「湖南菜館」では李小牧来日20周年の記念パーティが催された。 DSC00326.JPG「歌舞伎町案内人」"A Guid of the Sleepless Town" 李小牧 Lee Xiao Mu 来日20周年記念パーティ、歌舞伎町一番街「湖南菜館」にて2008/2/28

李小牧、1960年8月27日、中国湖南省長沙市生まれ。二人の兄と一人の姉がいる。両親はすでに他界。 13歳から20歳まではプロのバレーダンサーとして活躍。1980年より経済特区になった広東省深圳に83年より移り住む。その間に文芸新聞記者、貿易会社社員などを経て、また広東語を覚えたこと(湖南省は北京語)が彼の後の人生に大きくプラスになったと思われる。また、この深圳の地で彼の恋愛とその行方が実は“李小牧”の人生をきわめて決定づけている。(ポッドキャスト参照)

1988年2月26日、李小牧は日本にやってきた。日本外国語専門学校への私費留学生としてであるが、その最初に日本にやってきたその日に彼は歌舞伎町の地にやってきた。その日ラブホテル泊まったのだが、一週間後にはそのラブホテルでバイトをしていたという。これを約3か月続け、そしてそれをやめた後、のちに歌舞伎町ビル火災で44名の死者を出す明星56ビルの地下にあったお見合いパブ「メルヘン」でのテッシュ配りのバイトを始める。お見合いパブのテッシュ配りが時給1,000円。 歌舞伎町にはこのころから特に中国観光客、とりわけ広東語圏の中国人観光客が非常に増加していた。1979年以来中国では改革開放政策により、とくに香港・マカオとそこに隣接する広東省側の深圳・珠海という経済特区を中心に大きく経済発展が起こっている。そうした時代の経緯の中で、日本にやってくる中国人も広東語を話す人が多く、李氏も深圳でマスターしていた広東語がこのときに役立つことになる。団体で歌舞伎町に訪れる中国人観光客たちの目に飛び込んできた“変な気さくな中国人”李小牧。彼は気兼ねのない、今と変わらない笑顔で中国の観光客に声をかける。すると、「どこかいい店を知らない?」と当然かえってくる言葉に、最初は何気なくお店を紹介したりしていた。一言二言親切程度の感覚で行った店の案内、観光客は李にチップを渡す。ものの五分で1,000円、2000円・・ところが仕事のテッシュ配りは1時間延々配り続けてやっと1,000円・・・。「これは商売になる」と思ったのも不思議ではない。テッシュ配りを3か月でやめ、李小牧は一人歌舞伎町に立ち、外国人観光客専門の歌舞伎町ガイド、いわゆる“歌舞伎町案内人”としての人生がここからスタートする。1988年の夏のことである。 李小牧というとどうしても、この“歌舞伎町案内人”のイメージが強くそのほかの顔を想像しにくいが、彼は一方で優秀なジャーナリストでもある。これも深圳の時代にさかのぼるが新聞記者としての職歴を経験している。日本に来て、“歌舞伎町案内人”として活動を始めたと同時に、89年からは東京モード学園に入学(93年卒業)、ファッションの勉強を始める。ファッションの勉強をしながら中国の人気ファッション誌『時装』の東京特派員としても活動。また、在日中国人向け新聞『僑報』発行人を務めるなどをしている。ファッションジャーナリストとしての活動は約11年に及んでいる。

その後の“歌舞伎町案内人”としての活動は彼の著作で見てもらえばいいとして、特筆すべき彼のキャリアは何といっても“結婚歴6回”、つまり離婚歴も5回あるわけで^^;彼の結婚観がそもそも彼の人生観を表していると感じる。最初の二回は中国人、二番目の奥さんとの間に最初の息子(現在19歳)がある。三番目は日本人、彼女との間に設けた息子は現在13歳、天才テレビ君などに出演している。4回目から6回目は同じ中国人の方。彼女との間には、つい半年前、李小牧氏自身の誕生日である8月27日に生まれたばかりの李一龍(イーロン)がいる。

DSC00303.JPG李小牧の家族。奥さんと真中が昨年生まれた李一龍(イーロン)。一龍の誕生日は李さん自身と同じ8月27日。出産予定日が李さんの誕生日に偶然近かったことから、じゃぁ同じ日にということで帝王切開で。それからちょうど半年、元気にすくすく育ってます^^ 「たとえば、人間一生で6回ぐらい恋愛するのは普通でしょ。好きになったら必ず結婚する。よそに手を出さないようにね(笑)、で、嫌いになったらすぐ離婚。だって、お互いに対して良くないでしょ、我慢して一緒にいて、で浮気してね^^;オープンで遊べる、自由に生活できるのは大事だから離婚する。でも、離婚すると大体お金がなくなっちゃう;;ずーっとお店出したかったけどお金がなくて出せなかった。」と李氏。でも、そんなこんなで昨年8月、ついに念願の李さん自身のお店として、また“歌舞伎町案内人”のルーツでもある歌舞伎町劇場通り一番街に“湖南菜館”がオープン。 DSC01895.JPG DSC00319.JPG 「歌舞伎町は自由。良いことも悪いこともできる。外から見ると良いことってあんまり見えないかもしれないけど、ビジネスちゃんとやってれば良いことでしょ。細く長く、一つひとつプラスしていけばいいこと。でも、ワタシ誰かにあーしろこーしろ言われるのは大嫌い。自分考えたこと、儲からなくても必ずやるから。在日中国人向け新聞『華報』をやったとき毎月50万80万の赤字だヨ。夜歌舞伎町で稼いだお金を全部つぎ込んで埋めてた。3年間やってた。でも、やりたいことをやる。ビジネスも、生活も、人生も、でも必ず女性がそばにいないと落ち着かない(笑)^^友人はたくさんいるけど、でも、誰にも言えないことを寝た女の子には相談できる。一番私のことを考えて、私の立場で考えてくれる。だから、女の子に対しては最初からカッコつけない。ありのままの自分を説明する。で、それを理解できなかったら付き合っている意味がない。でも、ワタシはキミが好き、これから結婚したい、としたらワタシがんばりますから^^最初はみんな大体信用しない。でも頑張って頑張って・・4番目の奥さんは3年間不倫だった、我慢して、もうちょっと待ってもうちょっと待って、(2番目の奥さんの)子供が小学校に上がったら離婚するって、、でもなかなか聞かないワケよ、もう。。で、3番目の奥さん、せっかく結婚したのに10か月後に離婚^^;で、一年後に再婚・・・でまた今度6回目の結婚・・・まぁ、そうゆうことよ。」 彼が愛してやまない歌舞伎町、しかしその街がいま大きく変化の時期を迎えている。2016年、東京オリンピック誘致の時期にすべてのゴールが設定されているかのように新宿駅周辺が次々と再開発の計画を進めている。歌舞伎町でも、今年いっぱいでコマ劇場が閉館、2013年までには着工ということでこちらもおおよそ2015~16年ごろには建て替えが完成する。これを引き金にして、新宿TOKYU MILANOなども建て替えの方向にあり、地域の軸となってきた映画館街の再構築はいよいよ佳境に入ってくる。映画館街の集客力は年間200万人、26億の興行収益を生んできた。歌舞伎町全体から見れば26億/3000億、いってみれば1%程度のマイナス程度とはいえ、映画を中心とした文化、飲食、そしてもっとも大きい産業構造を形成する風俗業界のバランスに変化が生まれることは間違いなく、当然歌舞伎町自身の姿にも変化が起こるだろう。ある意味2009年から2016年までの約7年は歌舞伎町の姿において予想がつきにくい時期を迎える。

「歌舞伎町をどういう街として見るか、歌舞伎町はみんな思うように風俗の街ですから、それで繁盛してきてもちろんいろんな事件あったけど、そこで悪いやつらはちゃんと把握して排除して、でも風俗は大事なことでしょ。それがなくなっちゃったら歌舞伎町の文化の半分以上オワッちゃう。いくら劇場街とかやっても、確かに意味はあるよ。でも歌舞伎町としての意味は小さい。形ばっかりの文化の街にしようといっても、そんなのどこの街でもできる。せっかく歌舞伎町は雑居ビルがいっぱいある。これから全部壊せる?オーナーさんたちはどうするの?本当に国がお金くれるの?その問題解決するには、やっぱり今までやってたことを警察・行政は一回認めて、そして管理して排除じゃなくて許可証出してやってればいいんだよ。自由な特別区としてやっていければいいヨ。言葉使いと一緒、綺麗な言葉ばかりじゃなく汚い言葉もあっていいでしょ?汚くても面白い言葉あるね、いっぱい。面白ければいいでしょ。歌舞伎町らしいはやっぱり風俗、風俗=犯罪じゃないし、犯罪=風俗でもない。歌舞伎町じゃなくても事件いっぱいあるから。30万人50万人いる凄い人口密度のこの街で犯罪は少ないですよ。大きな事件は、霞が関や永田町だって、しょっちゅうある。あれ、歌舞伎町の住人がやったわけじゃないでしょ。自分よく言うけど、三大欲『物欲』『食欲』『性欲』、一つもなくなっちゃったら人間じゃない。その三大欲ができる街っていったら歌舞伎町じゃないですか。映画だとか文化性もあり、食事もあり、そして風俗もあり、その上多文化性もある。こんな面白い街はない。毎日がパーティね、大きなステージで。生きている街なの。だから前ニューズウィークでも書いたんだけど歌舞伎町を世界遺産にしたらいいと思うね。」 「歌舞伎町は多文化でしょ。華僑も韓僑もいて、警察も国も都も区役所もあって、でいろんな人たちがいる。そして人が正直に求めるものがここにある。だから、それを白い目で見てほしくない。格好つけてほしくない。区役所の人とか区議のだれかにしても会議に出て格好つけて話して、でも彼だってセックスはするし、まぁいけないことはあるのかもしれないけど。でも、もっと人間らしくした方がいいじゃない。中国の社会主義一党制じゃないんだから。」と李さん。細かいところでつっこみどころがないわけではないが、彼の感性という意味では正しいのではないか。多文化と飲食、そして風俗、これらがあいまっての歌舞伎町、どれが欠けても歌舞伎町ではない。映画や演劇ばかりになっても(なるわけはないが)おかしいし、逆に風俗ばかりになっても歌舞伎町じゃない。2016年以降において、これらのバランスは復活できるかもしれない。しかし、2016年まで、歌舞伎町はどう生きるのか、ある意味サバイバルな時期を予想できる。 その時、行政が、国が一体何をしてくれるのか?なにもしてくれやしない。そんなことは明白なはず。であるなら、街をどう生き抜かせるか、これを決めるのは街自身、民間の力によるのは確かである。だったら、いずれにせよ街の経済のやはり一番のコンテンツを持ち、ポテンシャルでもある風俗産業を適正化しながらも支えていくというのがやはり街を元気にし、来るべき2016年を笑顔で迎えられる、自分もそう感じている。 李小牧は今年48歳になる。全然見えないほど若く元気な彼を、自分は友人であると同時にこの街の貴重な資源だと思っている。難しい話は苦手、でも誠実に正直に生きている彼を素敵だと思う。自分の感性に素直に、しかし大事なのは自由、自由を奪おうとするものには決して媚びない、そういう生き方は決して楽でもないし簡単でもない。だが、“生きている”と実感させてくれる。李さんは最後にこんな話をした。「みんな悪い人はいない。自分と付き合った人、ヤクザも警察も含めて、悪い人はいない。ただみんな人間なんです。ただ一部分悪いかもしれない。でも、この人全部完全に悪い人じゃないから。詐欺する人もいるけど、私も何回もだまされたりしたけど、でもあいつらも完全に悪いじゃないの。取り調べした警察官、当時は嫌いだったけどでも友達になった人いっぱいいる。この人絶対嫌い、一生待っても嫌いはないから。ちゃんと自分のハートだして、何回も頭下げて、そしたら絶対相手も頭さげる。ね、人はどんな人でも笑ったら可愛いの。ワタシは、だから人間大好きです。一時的に嫌い、三か月嫌いとかある。でも1年以上嫌いだったことはない。みんな大好きです。」


流離いの手相師、ふかマンがゴールデン街ギャラリー・バー"COLORS(カラーズ)"でスピリチュアルカウンセリングをスタート 自分がたびたび通い詰める、というか割と高確率に深夜おじゃましてたりするゴールデン街のバー"COLORS"、昨年11月、友人のアーティストである玲(あきら)ちゃんが始めたギャラリー・バー。玲ちゃん自身の作品もあるが、これからという新しいアーティストたちの個展をたびたび開催しながらというスタイルのカフェ・バー。2Fと3Fがあり、3F部分が展示スペースということになっている。で、ここにこっちも知り合いだったのだが、“流離いの手相師”ことふかマンが毎週金曜夜にここCOLORSでスピリチュアル・カウンセリングを始めた。というわけで、“流離いの手相師”ことふかマンをちょっとご紹介。 DSC00401.JPG“流離いの手相師”ことふかマン ふかマンと知り合ったのは、やはり友人の紹介だったのだがほぼ1年くらい前かな。。あまり定かではないが^^。彼は聴力障害、つまり耳がまったく聞こえない。生まれて3か月で聴力を失ったそうだ。いまでこそ、唇を読めるので会話はかなり自然にこなすのだが、そうは言っても健常者とのコミュニケーションに比べればちょっと気を使うので、そんなこともあって正直あまり話をする仲でも無かった。自分の仕事上、毎日いろんな人と会うことが多いこともあって、その逆にプライベートは実はそれほど社交的な方じゃないもので。個人的には占いというものにあまり興味は無い。嫌いじゃないが、あえてそこに時間を使うという価値観はない。最近のスピロチュアルブームや霊的なものもなんだかな~ぁという感じだったのだが、どうも最近、というか際立って今年に入ってからなぜだか身の回りにそういう世界のことが感じられるという人たちが増えてきた。まぁ、確かに“気”とか“気配”というぐらいのレベルでなら分からなくもないんだが、霊能的な話はどうしても科学的に説明をつけて理解できることは理解するし、でも見えないものは見えないというか、まぁその辺はどうでもいいというか。で、ふかマンの話だが、「そう、玲んとこ(COLORS)でやるんだ~」ということになったもんだから、ちゃんと話をしてみようかという気になった。正直彼がどの程度の霊能者で占いがどうなのか、まったくわかりません。ではあるが、先週の金曜、とりあえずふかマンのいるCOLORSに顔を出す。で、2Fのバーのほうに座っていた女の子に声をかけ、彼女を連れて3Fのふかマンのところにあがる。 DSC00381.JPG彼女はOLさん、だが趣味でカメラマンとして写真を撮っているコだとか。ふかマンも彼女もまったく予備知識のない状態で、まず手相占いがスタート。ふかマン「何を見ますか?」彼女「じゃぁ、恋愛のことで。」・・・最初は取材の絵づくりぐらいの気分で軽いノリで始めたんだが、だんだんふかマンと彼女の波長があっていくのがわかる、で、突然、「実は私も、霊感があるんです。。」!? 彼女「人の心が読めてしまう。それで、逆に人と付き合うのが怖くなった。」ふかマン「女は30歳までは潔癖でなかなか受け入れない。でも30歳を超えるとまったく違う生き物になる。そしたら変わってくるヨ。」ふかマン(手相を見ながら)「自分の直感を信じていけばいい。」とかなんとか。そして、徐々になんだか占いじゃなくて霊能者同士の相談みたいな状態に・・・しばらく話を聞いていたり、時々混ざってみたり、でいつのまにか時間が過ぎていった。   話を聞いてて思ったのだが、ふかマンが使う言葉は確かに心にストレートに響く。そしてあったかい。“占い”という文字が与える印象とは違う、やっぱりこれはスピリチュアルカウンセリングといったほうが正しいなと思った。彼女が去ったあとふかマンと二人で少し話をしたのだが、「今のスピリチュアルブームを懸念している。」と彼も言っていた。見えるとか見えないとか、あと占いは当たる当たらないとか、実はそういうことではない。未来というものは決して一つでもないし決まったものでもないと彼は言う。答えを出すものではなく、それを望む人にヒントを与えるというか導くというか、たぶんそういうことなんだろうなと思う。彼らのような霊能者流にいえば「見えるものには責任がある」ということになるのかな。自分のような仕事がらだと、やはり同じように普通では知りえない見えないだろうものを見、あるいは知ることが多い者としての責任、たぶんこれは同じかもしれない。   ふかマンはこのあと、次の日にパステルアートの何とかで電車のある時間に帰ったのだが、なかなか深い話ができて楽しい時間だった。一度ふかマンが自分の手相を見てくれたことがある。「てらさんの手相は変わってる。トラブル多いね。でもトラブルがあったほうがいい。」って言われたときはギクッとした・・・^^;「お金はたまらないよ。」ガクッ・・

  占いを取材させてくれた彼女、そのあとに「うるう年の日に出会えたのも何かの縁ですね」というメールにちょっと救われたけども。そうか、取材日はうるう年の日、4年に一日しかない日だったのかと改めて。ギャラリー・バー"COLORS(カラーズ)"でのふかマンのスピリチュアルカウンセリングは、毎週金曜21時位からだそうで30分3,000円~が料金、ってことでやるようだ。   map.jpg

DSC00415.JPG DSC00416.JPG ↑新宿ゴールデン街・ギャラリー・バー"COLORS(カラーズ)"、ふかマンの名刺をみんなで持って・・なんか変な店みたいじゃん。。いたって普通ですが。右はこの店をやってる玲(あきら)ちゃん。営業時間/ 月~土 19時~last 日曜   15時~23時(搬入出などでお休みをいただく場合もあります)チャージ700円・ワンドリンク500円~


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