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2013年5月14日 歌舞伎町弁財天祭礼―歌舞伎町弁財天の由来話など。 [祭]

2013年5月14日、歌舞伎町弁財天祭礼が執り行われた。ここは秋に行われる熊野神社例大祭(今年は9月14日15日)で歌舞伎町睦の御酒所が設置される場所でもある。

歌舞伎町はかつて、この地が、肥前国(長崎)大村藩主だった大村家の別荘があったことから(明治~大正期)「大村の森」と呼ばれる場所だったそうです。真ん中に池とそれを湿地と森が囲み、明治期は絶好の鴨場だった。大正二年、上野寛永寺の不忍弁天様の分祀として本尊を勧請、池のほとりに祠が祀られたのが始まり。
明治26年東京の市民に飲み水を提供する淀橋浄水場が建設された時にその残土で残っていた鴨場の池が埋め立てられ、さらに大正9年には旧コマ劇場の辺りには東京府立第5高等女学校ができ、徐々にこのあたりはひっそりとした住宅街になっていった。池が無くなるも弁財天の祠はあり続け、やがて、大正十二年に土地の所有権が尾張屋銀行頭取の峯島家に移転した頃を機に、「峯島家 尾張屋銀行 町内篤志家乃淨財で」本堂改築を行う。昭和20年4月の空襲で消失、その際、熱心な信者の方(岡安たか子氏)が自身で本尊を持ち帰り、その後、峯島家に返還され、改めて、戦後復興期、消失した弁天堂の用地に仮殿を建設、その後、弁天堂用地は歌舞伎町商店街振興組合所有に、現在の公園用地は新宿区に寄贈され、現本堂は昭和38年に歌舞伎町商店街振興組合所有地に建設された建物に設置されたもの。
以来、歌舞伎町商店街振興組合は毎年5月、組合員の古希の祝いとあわせ、上野寛永寺から僧侶を招き、この弁財天で祭礼を行っている。


以下、弁天堂公園(歌舞伎町公園)に設置された弁財天像に記載されている由来碑文。


弁財天の縁起と歌舞伎弁天の由来

弁天様は佛教以前に賢者聖人の信仰厚き 宇賀神と稱する天地創造乃神のお一方で 佛教能始祖は天部の神登し佛教の守護神として崇がめられた尊神である
宇賀神はもと淨流水源等水を司る神で妙音天と云われ又美音天とも稱せられた文化神で 信仰すれば知恵が授かり芸術に長ずると古ろから 弁才天登云われ更に戝寶が授かる霊験のある処から 才乃字が戝能字に替り弁財天と云われるようになった
而して天部の神が垂れ賜う博愛を 美麗なる弁天のお姿で表現せられ信者は 弁天様乃愛稱で合掌する福の神様である

歌舞伎町は昔大村乃森と云われ広大な沼があって沼の邉りに 弁天様が祀られてあった
淀橋淨水場の建設に当り其の残土で沼は埋められ 峯島家で現在の場所に 弁天様は祀られ 大正二年堂宇の改築再建に当り不忍弁財天より現在安置乃 御本尊を勧請して九月巳の日に盛大な祭典が行われ爾来九月の巳の日を 歌舞伎弁天の祭日とせられた
大正十二年に至り町内有志の発議により 峯島家 尾張屋銀行 町内篤志家乃淨財で大改装がせられたものであったが昭和二十年四月の大空襲で本堂及びお守家も罹災した
其の時熱心な信者の一人岡安たか子氏は苛烈な空襲下に於て 弁天様の厨子を脊に奉戴し堂守の梅原氏が付添ひ笹塚に避難しアパートの一室に安置をした
間もなく岡安氏は 弁天様が峯嶋家に移り度いとの御告げがあったので梅原氏夫妻に挓して峯嶋家にお移し申した
混乱した戦災時に於けるこの記録は信者乃田中次郎吉氏に依って明らかにせられたものである
而して昭和二十一年復興協力會では全町戦災した歌舞伎町の計画建設に当り区画を整備せられた際 弁天様の敷地は寸尺も変更せず以前のま〃を保存し復興協力会々長鈴木喜兵衛氏は街建設に魁がけて仮殿を建設し峯嶋家に安置せられてあった 御本尊をお移し申し現在に至ったものである
此の度 有志相寄り 弁天堂再建奉賛會を結成し大方の淨財を以て 永久不変の耐火構造に依り 御本堂を再建し 境内の改装を行ひ面目を一新して この霊験あらたかなる 歌舞伎弁財天を当町及び近隣の 守護神として永遠に崇め奉らんとする次第である

鈴木喜兵衛謹書

昭和三十八年四月 歌舞伎町弁天堂再建奉賛會建之          
奉賛會々長 藤森作次郎
建設委員長 小松太良八


歴代の商店街理事長・副理事長らとともに、かつてここらの土地大半を所有し、“歌舞伎町”建設の楚となった旧尾張屋銀行・峯島家の当代当主峯島茂兵衛氏は左から二人目。皆さん、碑文に彫られた歌舞伎町を築いた方々のご子息、ということになります。

太平洋戦争末期、昭和20年4月13日の米軍の空襲によって新宿駅周辺は焼け野原になってしまう。終戦を迎え、当時淀橋区角筈一丁目北町の町会長だったのが鈴木喜兵衛氏。疎開先からこの地に戻った鈴木は、家や家族を失いつつも散りじりになっていた当時の住民たちを訪ね、「復興協力会」を結成。戦後復興の鍵は観光にあるとして、地主・借地人・居住者をまとめ、区画整理をし、道義的繁華街をつくるというまちづくりの計画を立てた。
劇場を中心に、映画館、演芸場、ダンスホール、ホテルなどを建設するという計画。占領下にあって存続が危ぶまれた伝統芸能を守ろうと、演劇関係者らが発起人になり菊座という名前の歌舞伎劇場建設も計画された。折から、新興文化地域にふさわしい町名を、との声が起こり、都の石川栄耀都市計画課長が提案した歌舞伎町に決まった。昭和二十三年のことで、「語呂もよし感じもよく、この町の建設目的にもピッタリとして居るので」と、鈴木氏はその著「歌舞伎町」(昭和三十年)で回想している。

昭和23年4月1日、新宿に歌舞伎町が誕生する。しかし、GHQによる大規模施設の建築禁止令が出て、歌舞伎の劇場計画は中止になってこの計画はいまだに実現していないし今後もないだろう。
昭和24年都電の終点が新宿駅東口から歌舞伎町の入り口に移転。さらに昭和25年産業文化文化博覧会の会場に歌舞伎町が名乗りをあげ、これが成功。そして、昭和29年大規模施設の建築禁止令が解除され、産業文化博覧会用に建てられた施設を改築して映画館やスケートリンクが誕生、いまの歌舞伎町の原型が出来上る。昭和31年には、歌舞伎町の中心に新宿コマ劇場が誕生、当時の住民達の歌舞伎劇場誘致への想いが歌舞伎劇場ではなかったにせよ一つの目標達成だったかもしれない。映画館、劇場、スケートリンクを中心に多くの人たちがあつまった歌舞伎町には飲食店も増え、「大衆娯楽の街」として繁栄の時期を迎える。

昭和30年代は戦後生まれの若い世代がこの街に集まった。ツイストで踊り明かし、歌声喫茶で歌い、酒を酌み交わす当時の最先端の文化・流行発信の街として栄えた。ビジネスチャンスも多く、戦勝国として利権を与えられていた台湾華僑・韓僑を筆頭に、露骨な資本力は歌舞伎町の一等地を手に入れ盛んに商売した。今の歌舞伎町の、許容性の高い多文化的な賑わいはこういった経緯がもたらした。

“歌舞伎町”建設時に鈴木氏らがこの街に与えた「大衆娯楽の街」というDNAと、もう一つの、許容性の高さ、言ってみれば、“懐の深さ”ともいうDNAは、同時に、“無関心”や、時に“対立”も生む。誰でもウェルカムな敷居の低さ、そして人生の再チャレンジができる場という“懐の深さ”は、この街の欠かせない魅力の原点である。同時に、良いも悪いも呑み込む、言わば、歌舞伎町の“邪”や“影”の部分をも許容する。歌舞伎町の魅力的なこの、“裏と表の半身浴事情”はそんなところに由来するのだろう。


東京都新宿区食品衛生協会 平成25年度通常総会 関矢会長「食材食品に消費税をかけぬよう」自民党に強く要望 2013.5.13


社団法人東京都食品衛生協会の新宿区支部、という位置づけが本年より変わり、新たに社団法人東京都新宿区食品衛生協会(関矢多嘉夫会長)として発足した新宿食協の平成25年度通常総会。新宿区の「安全で安心な質の高い暮らしを実感できる町」の方針に則り、新宿区民や新宿を訪れる方々に“食”を介して、楽しい至福の時を提供すると共に、食の「安心・安全」を維持するために、ダイナミックに事業を展開する、とある。食品衛生協会は、飲食業を中心に、食に係る16業種、保健所行政所管にあたる事業を行う企業・店舗が加盟し、衛生講習会やフ食品衛生フェア等イベントを通じ、食の「安全安心」の啓発や指導、PR等を行う。会員収入により、年間約1,000万円程度の事業予算で運営されている。

会長は関矢多嘉夫氏、元々は居酒屋やかつてはキャバレーなども経営していた根本観光グループの役員から、現在は歌舞伎町のパブクラブ・ロータリー等を経営、新宿社交料理飲食業連合会(SRI)の組合長も兼務する。食品衛生(保健所)行政所管の団体ということもあり、都・区議会とも密接な関係にある。先だっての総選挙で、新宿が含まれる東京1区にて自民党から初当選した山田みき氏、さらに今年は東京都議会議員選挙(6月23日)参議院議員選挙(7月28日)があるということもあって、現新宿食協が支持する自民党からの現職・候補予定者らも参加(写真は吉住健一都議会議員、秋田一郎元都議会議員)、関矢会長から推薦状が手渡される場面もあった。
無論、食品衛生行政の補完組織であるだけでなく、政治への注文も忘れない。関矢多嘉夫会長「(円安やアベノミクスによって)景気が良くなるというアナウンスはたくさんあるが、これが輸出関連の企業だけにとどまらないようにしてほしい。飲食業界というのは、なんかやらないとだんだん悪くなる。食材とか食品に、是非消費税をかけないように頑張っていただきたい。」と、挨拶の中ではあるが、来年度より予定されている消費税アップから食品を除外するよう強く要望。


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先日、風俗系の客引きに引っかかりました。
怪しいと思いつつも
ちょっと気が滅入っていたので
また、泊まる場所も欲しくて
24000円を前払いし
これ以上取られないよねと確認しつつ
案内されたレンタルルームへ(風鈴会館近くのフラワーというレンタルルーム)
ここで2000円を払って
中で待ってたら、案の定写真とは違う中国人風の女の子
24000円は入場料だと言い張り
サービスはあと6万円だとかほざく始末
さらにキャンセル料は一万円だと言い放つ。
そんな言葉は無視して、高い授業料だったなと
部屋を出てきました。
早速さっきの客引きを探そうと、元の場所へ行きましたが、
姿はなく…
仕方なくほかのお店で時間を潰し

明け方寄ってみると、また違う男性を客引きしている奴の姿が、
「よー、まだやってんのか、こいつぼったくりだからやめといたほうがいいぞ!」
と、その客に教えてあげました。
まだ気が晴れないので
あと、10件ぐらい奴の仕事を邪魔してやろうと思うのですが、
やめといたほうがいいですか?
上でヤクザ屋さんなんかと繋がってると
こわいので。
そうでなければ、あいつが歌舞伎町で仕事できなくなるまでやってやります!

歌舞伎町にあんな奴らがいることは許せません!
まぁ歌舞伎町に限らずですけどね。

by hide (2013-05-16 00:06) 

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