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“歌舞伎町案内人”こと李小牧が日本上陸20周年 [人]

眠らない街「歌舞伎町」、この街で外国人専門のガイドとして立ち続けた中国人、李小牧氏。彼がこの地に訪れたのが1988年2月26日、それからちょうど20年。彼が昨年8月にオープンした湖南料理専門店「湖南菜館」では李小牧来日20周年の記念パーティが催された。 DSC00326.JPG「歌舞伎町案内人」"A Guid of the Sleepless Town" 李小牧 Lee Xiao Mu 来日20周年記念パーティ、歌舞伎町一番街「湖南菜館」にて2008/2/28

李小牧、1960年8月27日、中国湖南省長沙市生まれ。二人の兄と一人の姉がいる。両親はすでに他界。 13歳から20歳まではプロのバレーダンサーとして活躍。1980年より経済特区になった広東省深圳に83年より移り住む。その間に文芸新聞記者、貿易会社社員などを経て、また広東語を覚えたこと(湖南省は北京語)が彼の後の人生に大きくプラスになったと思われる。また、この深圳の地で彼の恋愛とその行方が実は“李小牧”の人生をきわめて決定づけている。(ポッドキャスト参照)

1988年2月26日、李小牧は日本にやってきた。日本外国語専門学校への私費留学生としてであるが、その最初に日本にやってきたその日に彼は歌舞伎町の地にやってきた。その日ラブホテル泊まったのだが、一週間後にはそのラブホテルでバイトをしていたという。これを約3か月続け、そしてそれをやめた後、のちに歌舞伎町ビル火災で44名の死者を出す明星56ビルの地下にあったお見合いパブ「メルヘン」でのテッシュ配りのバイトを始める。お見合いパブのテッシュ配りが時給1,000円。 歌舞伎町にはこのころから特に中国観光客、とりわけ広東語圏の中国人観光客が非常に増加していた。1979年以来中国では改革開放政策により、とくに香港・マカオとそこに隣接する広東省側の深圳・珠海という経済特区を中心に大きく経済発展が起こっている。そうした時代の経緯の中で、日本にやってくる中国人も広東語を話す人が多く、李氏も深圳でマスターしていた広東語がこのときに役立つことになる。団体で歌舞伎町に訪れる中国人観光客たちの目に飛び込んできた“変な気さくな中国人”李小牧。彼は気兼ねのない、今と変わらない笑顔で中国の観光客に声をかける。すると、「どこかいい店を知らない?」と当然かえってくる言葉に、最初は何気なくお店を紹介したりしていた。一言二言親切程度の感覚で行った店の案内、観光客は李にチップを渡す。ものの五分で1,000円、2000円・・ところが仕事のテッシュ配りは1時間延々配り続けてやっと1,000円・・・。「これは商売になる」と思ったのも不思議ではない。テッシュ配りを3か月でやめ、李小牧は一人歌舞伎町に立ち、外国人観光客専門の歌舞伎町ガイド、いわゆる“歌舞伎町案内人”としての人生がここからスタートする。1988年の夏のことである。 李小牧というとどうしても、この“歌舞伎町案内人”のイメージが強くそのほかの顔を想像しにくいが、彼は一方で優秀なジャーナリストでもある。これも深圳の時代にさかのぼるが新聞記者としての職歴を経験している。日本に来て、“歌舞伎町案内人”として活動を始めたと同時に、89年からは東京モード学園に入学(93年卒業)、ファッションの勉強を始める。ファッションの勉強をしながら中国の人気ファッション誌『時装』の東京特派員としても活動。また、在日中国人向け新聞『僑報』発行人を務めるなどをしている。ファッションジャーナリストとしての活動は約11年に及んでいる。

その後の“歌舞伎町案内人”としての活動は彼の著作で見てもらえばいいとして、特筆すべき彼のキャリアは何といっても“結婚歴6回”、つまり離婚歴も5回あるわけで^^;彼の結婚観がそもそも彼の人生観を表していると感じる。最初の二回は中国人、二番目の奥さんとの間に最初の息子(現在19歳)がある。三番目は日本人、彼女との間に設けた息子は現在13歳、天才テレビ君などに出演している。4回目から6回目は同じ中国人の方。彼女との間には、つい半年前、李小牧氏自身の誕生日である8月27日に生まれたばかりの李一龍(イーロン)がいる。

DSC00303.JPG李小牧の家族。奥さんと真中が昨年生まれた李一龍(イーロン)。一龍の誕生日は李さん自身と同じ8月27日。出産予定日が李さんの誕生日に偶然近かったことから、じゃぁ同じ日にということで帝王切開で。それからちょうど半年、元気にすくすく育ってます^^ 「たとえば、人間一生で6回ぐらい恋愛するのは普通でしょ。好きになったら必ず結婚する。よそに手を出さないようにね(笑)、で、嫌いになったらすぐ離婚。だって、お互いに対して良くないでしょ、我慢して一緒にいて、で浮気してね^^;オープンで遊べる、自由に生活できるのは大事だから離婚する。でも、離婚すると大体お金がなくなっちゃう;;ずーっとお店出したかったけどお金がなくて出せなかった。」と李氏。でも、そんなこんなで昨年8月、ついに念願の李さん自身のお店として、また“歌舞伎町案内人”のルーツでもある歌舞伎町劇場通り一番街に“湖南菜館”がオープン。 DSC01895.JPG DSC00319.JPG 「歌舞伎町は自由。良いことも悪いこともできる。外から見ると良いことってあんまり見えないかもしれないけど、ビジネスちゃんとやってれば良いことでしょ。細く長く、一つひとつプラスしていけばいいこと。でも、ワタシ誰かにあーしろこーしろ言われるのは大嫌い。自分考えたこと、儲からなくても必ずやるから。在日中国人向け新聞『華報』をやったとき毎月50万80万の赤字だヨ。夜歌舞伎町で稼いだお金を全部つぎ込んで埋めてた。3年間やってた。でも、やりたいことをやる。ビジネスも、生活も、人生も、でも必ず女性がそばにいないと落ち着かない(笑)^^友人はたくさんいるけど、でも、誰にも言えないことを寝た女の子には相談できる。一番私のことを考えて、私の立場で考えてくれる。だから、女の子に対しては最初からカッコつけない。ありのままの自分を説明する。で、それを理解できなかったら付き合っている意味がない。でも、ワタシはキミが好き、これから結婚したい、としたらワタシがんばりますから^^最初はみんな大体信用しない。でも頑張って頑張って・・4番目の奥さんは3年間不倫だった、我慢して、もうちょっと待ってもうちょっと待って、(2番目の奥さんの)子供が小学校に上がったら離婚するって、、でもなかなか聞かないワケよ、もう。。で、3番目の奥さん、せっかく結婚したのに10か月後に離婚^^;で、一年後に再婚・・・でまた今度6回目の結婚・・・まぁ、そうゆうことよ。」 彼が愛してやまない歌舞伎町、しかしその街がいま大きく変化の時期を迎えている。2016年、東京オリンピック誘致の時期にすべてのゴールが設定されているかのように新宿駅周辺が次々と再開発の計画を進めている。歌舞伎町でも、今年いっぱいでコマ劇場が閉館、2013年までには着工ということでこちらもおおよそ2015~16年ごろには建て替えが完成する。これを引き金にして、新宿TOKYU MILANOなども建て替えの方向にあり、地域の軸となってきた映画館街の再構築はいよいよ佳境に入ってくる。映画館街の集客力は年間200万人、26億の興行収益を生んできた。歌舞伎町全体から見れば26億/3000億、いってみれば1%程度のマイナス程度とはいえ、映画を中心とした文化、飲食、そしてもっとも大きい産業構造を形成する風俗業界のバランスに変化が生まれることは間違いなく、当然歌舞伎町自身の姿にも変化が起こるだろう。ある意味2009年から2016年までの約7年は歌舞伎町の姿において予想がつきにくい時期を迎える。

「歌舞伎町をどういう街として見るか、歌舞伎町はみんな思うように風俗の街ですから、それで繁盛してきてもちろんいろんな事件あったけど、そこで悪いやつらはちゃんと把握して排除して、でも風俗は大事なことでしょ。それがなくなっちゃったら歌舞伎町の文化の半分以上オワッちゃう。いくら劇場街とかやっても、確かに意味はあるよ。でも歌舞伎町としての意味は小さい。形ばっかりの文化の街にしようといっても、そんなのどこの街でもできる。せっかく歌舞伎町は雑居ビルがいっぱいある。これから全部壊せる?オーナーさんたちはどうするの?本当に国がお金くれるの?その問題解決するには、やっぱり今までやってたことを警察・行政は一回認めて、そして管理して排除じゃなくて許可証出してやってればいいんだよ。自由な特別区としてやっていければいいヨ。言葉使いと一緒、綺麗な言葉ばかりじゃなく汚い言葉もあっていいでしょ?汚くても面白い言葉あるね、いっぱい。面白ければいいでしょ。歌舞伎町らしいはやっぱり風俗、風俗=犯罪じゃないし、犯罪=風俗でもない。歌舞伎町じゃなくても事件いっぱいあるから。30万人50万人いる凄い人口密度のこの街で犯罪は少ないですよ。大きな事件は、霞が関や永田町だって、しょっちゅうある。あれ、歌舞伎町の住人がやったわけじゃないでしょ。自分よく言うけど、三大欲『物欲』『食欲』『性欲』、一つもなくなっちゃったら人間じゃない。その三大欲ができる街っていったら歌舞伎町じゃないですか。映画だとか文化性もあり、食事もあり、そして風俗もあり、その上多文化性もある。こんな面白い街はない。毎日がパーティね、大きなステージで。生きている街なの。だから前ニューズウィークでも書いたんだけど歌舞伎町を世界遺産にしたらいいと思うね。」 「歌舞伎町は多文化でしょ。華僑も韓僑もいて、警察も国も都も区役所もあって、でいろんな人たちがいる。そして人が正直に求めるものがここにある。だから、それを白い目で見てほしくない。格好つけてほしくない。区役所の人とか区議のだれかにしても会議に出て格好つけて話して、でも彼だってセックスはするし、まぁいけないことはあるのかもしれないけど。でも、もっと人間らしくした方がいいじゃない。中国の社会主義一党制じゃないんだから。」と李さん。細かいところでつっこみどころがないわけではないが、彼の感性という意味では正しいのではないか。多文化と飲食、そして風俗、これらがあいまっての歌舞伎町、どれが欠けても歌舞伎町ではない。映画や演劇ばかりになっても(なるわけはないが)おかしいし、逆に風俗ばかりになっても歌舞伎町じゃない。2016年以降において、これらのバランスは復活できるかもしれない。しかし、2016年まで、歌舞伎町はどう生きるのか、ある意味サバイバルな時期を予想できる。 その時、行政が、国が一体何をしてくれるのか?なにもしてくれやしない。そんなことは明白なはず。であるなら、街をどう生き抜かせるか、これを決めるのは街自身、民間の力によるのは確かである。だったら、いずれにせよ街の経済のやはり一番のコンテンツを持ち、ポテンシャルでもある風俗産業を適正化しながらも支えていくというのがやはり街を元気にし、来るべき2016年を笑顔で迎えられる、自分もそう感じている。 李小牧は今年48歳になる。全然見えないほど若く元気な彼を、自分は友人であると同時にこの街の貴重な資源だと思っている。難しい話は苦手、でも誠実に正直に生きている彼を素敵だと思う。自分の感性に素直に、しかし大事なのは自由、自由を奪おうとするものには決して媚びない、そういう生き方は決して楽でもないし簡単でもない。だが、“生きている”と実感させてくれる。李さんは最後にこんな話をした。「みんな悪い人はいない。自分と付き合った人、ヤクザも警察も含めて、悪い人はいない。ただみんな人間なんです。ただ一部分悪いかもしれない。でも、この人全部完全に悪い人じゃないから。詐欺する人もいるけど、私も何回もだまされたりしたけど、でもあいつらも完全に悪いじゃないの。取り調べした警察官、当時は嫌いだったけどでも友達になった人いっぱいいる。この人絶対嫌い、一生待っても嫌いはないから。ちゃんと自分のハートだして、何回も頭下げて、そしたら絶対相手も頭さげる。ね、人はどんな人でも笑ったら可愛いの。ワタシは、だから人間大好きです。一時的に嫌い、三か月嫌いとかある。でも1年以上嫌いだったことはない。みんな大好きです。」


流離いの手相師、ふかマンがゴールデン街ギャラリー・バー"COLORS(カラーズ)"でスピリチュアルカウンセリングをスタート 自分がたびたび通い詰める、というか割と高確率に深夜おじゃましてたりするゴールデン街のバー"COLORS"、昨年11月、友人のアーティストである玲(あきら)ちゃんが始めたギャラリー・バー。玲ちゃん自身の作品もあるが、これからという新しいアーティストたちの個展をたびたび開催しながらというスタイルのカフェ・バー。2Fと3Fがあり、3F部分が展示スペースということになっている。で、ここにこっちも知り合いだったのだが、“流離いの手相師”ことふかマンが毎週金曜夜にここCOLORSでスピリチュアル・カウンセリングを始めた。というわけで、“流離いの手相師”ことふかマンをちょっとご紹介。 DSC00401.JPG“流離いの手相師”ことふかマン ふかマンと知り合ったのは、やはり友人の紹介だったのだがほぼ1年くらい前かな。。あまり定かではないが^^。彼は聴力障害、つまり耳がまったく聞こえない。生まれて3か月で聴力を失ったそうだ。いまでこそ、唇を読めるので会話はかなり自然にこなすのだが、そうは言っても健常者とのコミュニケーションに比べればちょっと気を使うので、そんなこともあって正直あまり話をする仲でも無かった。自分の仕事上、毎日いろんな人と会うことが多いこともあって、その逆にプライベートは実はそれほど社交的な方じゃないもので。個人的には占いというものにあまり興味は無い。嫌いじゃないが、あえてそこに時間を使うという価値観はない。最近のスピロチュアルブームや霊的なものもなんだかな~ぁという感じだったのだが、どうも最近、というか際立って今年に入ってからなぜだか身の回りにそういう世界のことが感じられるという人たちが増えてきた。まぁ、確かに“気”とか“気配”というぐらいのレベルでなら分からなくもないんだが、霊能的な話はどうしても科学的に説明をつけて理解できることは理解するし、でも見えないものは見えないというか、まぁその辺はどうでもいいというか。で、ふかマンの話だが、「そう、玲んとこ(COLORS)でやるんだ~」ということになったもんだから、ちゃんと話をしてみようかという気になった。正直彼がどの程度の霊能者で占いがどうなのか、まったくわかりません。ではあるが、先週の金曜、とりあえずふかマンのいるCOLORSに顔を出す。で、2Fのバーのほうに座っていた女の子に声をかけ、彼女を連れて3Fのふかマンのところにあがる。 DSC00381.JPG彼女はOLさん、だが趣味でカメラマンとして写真を撮っているコだとか。ふかマンも彼女もまったく予備知識のない状態で、まず手相占いがスタート。ふかマン「何を見ますか?」彼女「じゃぁ、恋愛のことで。」・・・最初は取材の絵づくりぐらいの気分で軽いノリで始めたんだが、だんだんふかマンと彼女の波長があっていくのがわかる、で、突然、「実は私も、霊感があるんです。。」!? 彼女「人の心が読めてしまう。それで、逆に人と付き合うのが怖くなった。」ふかマン「女は30歳までは潔癖でなかなか受け入れない。でも30歳を超えるとまったく違う生き物になる。そしたら変わってくるヨ。」ふかマン(手相を見ながら)「自分の直感を信じていけばいい。」とかなんとか。そして、徐々になんだか占いじゃなくて霊能者同士の相談みたいな状態に・・・しばらく話を聞いていたり、時々混ざってみたり、でいつのまにか時間が過ぎていった。   話を聞いてて思ったのだが、ふかマンが使う言葉は確かに心にストレートに響く。そしてあったかい。“占い”という文字が与える印象とは違う、やっぱりこれはスピリチュアルカウンセリングといったほうが正しいなと思った。彼女が去ったあとふかマンと二人で少し話をしたのだが、「今のスピリチュアルブームを懸念している。」と彼も言っていた。見えるとか見えないとか、あと占いは当たる当たらないとか、実はそういうことではない。未来というものは決して一つでもないし決まったものでもないと彼は言う。答えを出すものではなく、それを望む人にヒントを与えるというか導くというか、たぶんそういうことなんだろうなと思う。彼らのような霊能者流にいえば「見えるものには責任がある」ということになるのかな。自分のような仕事がらだと、やはり同じように普通では知りえない見えないだろうものを見、あるいは知ることが多い者としての責任、たぶんこれは同じかもしれない。   ふかマンはこのあと、次の日にパステルアートの何とかで電車のある時間に帰ったのだが、なかなか深い話ができて楽しい時間だった。一度ふかマンが自分の手相を見てくれたことがある。「てらさんの手相は変わってる。トラブル多いね。でもトラブルがあったほうがいい。」って言われたときはギクッとした・・・^^;「お金はたまらないよ。」ガクッ・・

  占いを取材させてくれた彼女、そのあとに「うるう年の日に出会えたのも何かの縁ですね」というメールにちょっと救われたけども。そうか、取材日はうるう年の日、4年に一日しかない日だったのかと改めて。ギャラリー・バー"COLORS(カラーズ)"でのふかマンのスピリチュアルカウンセリングは、毎週金曜21時位からだそうで30分3,000円~が料金、ってことでやるようだ。   map.jpg

DSC00415.JPG DSC00416.JPG ↑新宿ゴールデン街・ギャラリー・バー"COLORS(カラーズ)"、ふかマンの名刺をみんなで持って・・なんか変な店みたいじゃん。。いたって普通ですが。右はこの店をやってる玲(あきら)ちゃん。営業時間/ 月~土 19時~last 日曜   15時~23時(搬入出などでお休みをいただく場合もあります)チャージ700円・ワンドリンク500円~


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荒川祐二(あらかわゆうじ)君からの手紙~2008年3月30日 [人]

荒川祐二(あらかわゆうじ)君からの手紙~

arakawayuji_答え.jpg荒川祐二作「答え」

大学4年間、ご縁を頂き、支えてくださいました皆様一人ひとりに、心からの感謝の気持ちでいっぱいです。
未熟な若者であったにも関わらず、丁寧に優しく、多くのものを教えてくれた皆様、
失礼な事もたくさんした事と思います。
皆様とのご縁があってこそ、今私は心底幸せを感じながら生活をさせて頂いております。

本当に、本当にありがとうございます。

私は、2006年11月から新宿駅東口の清掃活動を始め、多くの方々に支えて頂いたお陰さまで、今日まで何とか続けてくる事が出来ました。
今回報告させて頂きますのは、大学卒業という節目を迎えるに当たりまして、今日まで続けてきた新宿駅東口の掃除も共に卒業させて頂きますという事です。
私の今後の進路は、就職はせずに、自らの「書」と「詩」を主体とした創作活動を通して、アーティストとして道を歩んでいく決意を致しました。
約1年4ヶ月前より掃除を始め、ただゴミを拾う中で、たくさんの事を経験させて頂き、気付けば若輩者でありながら、教育機関を中心とした人様の前で講演をさせて頂く形になりました。

しかし、講演をする中で、子どもたちの顔が余りにも暗いことに気付きました。
その時、「この子達は誉められてなさ過ぎる!!」と感じ、「じゃあ、自分が少しでも、その子達にとってプラスになる言葉を贈ればいいんだ!!」という思いの下、『あなたの目を見て、インスピレーションで言葉を書きます』という活動を始めました。
やがて、その活動も皆様に支えて頂いたお陰で、自らの生計を立てる事が出来る水準に達し、今日、その道で自分の人生を表現していこうという思いに至りました。
今後は拠点を東京に留まらず、全国を中心に活動をしていく事もあり、新宿駅東口を離れる決意を致しました。
当然、それと同時に清掃活動自体も終わりにする訳ではありません。

これからは場所に関係なく、全国各地で清掃活動を継続させて頂きます。
当然ながら、東京にいる時は、新宿駅東口に行かせて頂きます。

まだ新宿駅東口にはゴミが大量にありますし、跡に引き継いでくれる人間がいる訳ではありません。
そういう意味では、自分自身の力が及ばなかった事への悔やみ、これから定期的に続けることの出来ないジレンマはあります。

今まで支えてくださった皆様には、本当に申し訳ない気持ちです。

私は4月1日から日本縦断の旅に出ます。
「今、この目で日本という国を見てみたい。」
そういう思いで、路上詩人として人様に言葉を書かせて頂きながら47都道府県全てを回ろうと決意致しました。
当然、北海道から沖縄まで南下する中で、各都道府県で清掃活動もさせて頂きます。

「日本全国の方に言葉を書かせて頂く事」
「日本全国のゴミを拾う事」

そして、
「この目で日本を見てまわる事」
がこの旅の目的です。

新宿駅東口の毎朝の清掃は形上卒業する事になりましたが、僕自身の気持ちは何も変わったつもりはありません。
まだまだ未熟者ですが、どうかこれからもよろしくお願い致します。
心からの感謝を込めて。

荒川祐二拝

758576061_215.jpg路上で書き下ろしをする荒川クン。これも神出鬼没に原宿他いろんなところで活動を続けている彼の姿。

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一昨年の11月、朝の6時、新宿駅東口駅前の広場にガチャピンのかぶり物を着て、ダンボールに書いた「一緒に掃除してくださる方募集」というプラカードをぶら下げ、ゴミを拾う一人の青年が現われた。彼の名は荒川祐二(あらかわゆうじ)君。当時上智大学経済学部の3年生の学生だった。それから雨の日は除くほぼ毎日、この場所でゴミを拾い続けた。最初は、なんか修行じみた感もなくはなかったが、「これを続けることで何かが変わる、何かを変えられる」という彼の強い信念に心を揺さぶられて、それ以来の付き合い。変わったヤツだけど、どこか突き抜けている感があって面白い男だった。

DSC06444.JPG

当初は一人で始めた彼の活動も、彼の学生仲間らが交わり、徐々に大きくなっていくかに見えたが、難しい問題も出てきたりした。新宿東口広場というとホームレスの人たちも数人いる。彼らも荒川クンの行動を見てそれに参加、だがそれがむしろ学生たちがなじみにくい状況を作ったりしてしまったということもある。

DSC04296.JPG昨年5月3日、同時多発ECOと銘打って、全国でゴミ拾いのムーブメントを起こした。新宿東口には88名が集まり、新宿駅周辺や歌舞伎町などのゴミを拾った。(関連記事

DSC02328.JPG昨年8月22日には中山弘子新宿区長も朝早く新宿駅東口広場を訪れ、荒川クンらと一緒にゴミを拾い、また荒川君からみた地域の課題や問題点について話を聞く機会があった。(関連記事)結局いまの段階で、区長が視察してくれたおかげで何か新宿東口に変化があったのか?といわれれば無いわけで。でも、そうは言っても希望は抱かしてくれた出来事ではあった。

昨年後半ぐらいからは、やはり荒川クン自身がこういった活動を通じ有名になってきた関係もあって、講演や書き下ろしなどの活動などが随分と忙しくなってきていた様子だった。「後進を育ててよ。」という自分に対し、「それは難しいです。今の子たちは、なかなか継続できない。」なんて漏らしてたなぁ。その荒川クン、当初はNHKの就職をしようとして落ち^^;、で環境コンサル系企業に就職ってことで決まった様子だったのだが、「やっぱやめました。」って話を聞いたのはつい最近のこと、「書き下ろしのアーティストとしてやっていきます!」と。

上智を卒業してフリーですか、でもついその話を聞いた時に「おめでと。」って言ってしまった自分がいた。自分もかれこれ17年ほどフリーでやってきたので、なんとなく仲間を得た気がしたり。「いや、ぶっちゃけ、結構(書き下ろしの)仕事があるんですよ。」ということだった。ラーメン店の看板を書いてほしいとか、メニューを書いてくれとか、あるいは警察から依頼されて講演してくれとか。まぁ、でも同じクリエイティブの世界の人間として活躍してくれることを素直に嬉しいと思う。「新宿東口広場のゴミもまだまだ減ってなくて心残りもいっぱいありますが、新宿でのことは、本当に感謝でいっぱいです。」とそう言ってくれたことが心にしみた。

arakawa_心.jpg荒川祐二作「心」

明後日4月1日に東京を出発し、全国書き下ろしの旅に出る荒川クン(旅日記はこちらで)、とりあえず3か月ほどで東京の戻り、そのあとのことはまだ何も決まっていないという。荒川祐二君の人生はいよいよこれからが本番、彼の門出を祝し、また皆さんもどこかで彼を見かけたら、ぜひ声をかけてあげてくださいね^^

★荒川祐二オフィシャルウェブサイト
★「誰にでもできることが 世界を変えるということを伝えたい。」荒川祐二オフィシャルブログ『日本縦断旅日記


3月29日(土)第一回デジタルショートアワード本選開催~新宿TOKYU MILANOにて

2003年の東京国際ファンタスティック映画祭よりスタートし、過去3回開催されてきたこのデジタルショートアワード。ソニー・ミュージックとニッポン放送がサポートし、次世代の映像クリエイターを発掘すべく、「600秒」、つまり上映時間がジャスト10分の短篇映像作品のコンペティションとして行われている。グランプリ作品には80万円の賞金、各部門(笑い・泣き・驚き)の優秀賞には20万円の賞金が贈られる。なお、グランプリ受賞者には翌年のデジタルショートアワードに秒数を問わない招待作品としての枠が与えられるほか、主催者側から各アーティストの才能にあわせそれぞれサポートを行っていく。

DSC01804.JPG審査委員長のいとうせいこう氏。 「600秒、10分間、つまり600秒ジャストのデジタルショートが本コンペの対象です。600秒はあらゆる可能性を秘めた時間です。アイデア一発ではもたないので構成力が必要となり、反対に長い作品では見えにくくなる『コンセプトのキレ』『編集力』が如実になるからです。長編へと変化していく可能性と、ショートという分野それ自体を突き詰める可能性。その双方を我々は作り手に見出したいと考えます。グランプリ受賞者が作る次回作を、自動的に翌年の秒数を問わない招待作品とするのも、新しい才能の可能性のためです。」

作品は昨年末、2007年12月31日を〆切として一次選考(事務局)→二次選考(事務局・審査員)を経て本選出品ノミネート作品(各部門5作品、計15作品)を決定、今回の本選において観客と審査員の総合投票で各部門優秀賞とグランプリを決定。

第一回デジタルショートアワード本選ノミネート作品.jpgDSC01775.JPG

★各部門優秀賞

秘仏.jpg【笑い】部門グランプリ:『秘仏』 モッカモッカ

黄金.jpg【泣き】部門グランプリ:『黄金』 永野宗典

Tokyo Street.jpg【驚き】部門グランプリ:『TOKYO STREET』 岡村裕太

DSC01793.JPG『黄金』でグランプリを受賞した永野宗典監督「感無量ですねぇ・・・といいつつ、賞金の使い道で頭がいっぱいです。僕の作った作品は、映画史の中でもそんなに新しいこともやってないし、もっと新しいものを見たかったんじゃないかなと思ってたんですが、でも僕に票をいただけたのはすごくうれしいんですけれども、これからも俳優業やアニメ界でも、また何か新しいことでも頑張っていきたいと思います。」

黄金.jpgグランプリ作品:『黄金』 永野宗典監督:「黄金クライミング」という山登りイベントに参加することになった男が、賞品である黄金の山の権利を手に入れるために奮闘、自問自答する姿を描いた山岳ヒューマンドラマ。

かつてより東京国際ファンタスティック映画祭で開催され、昨年は一時休止になっていたこのイベント。現実にはライブドア騒動のときにニッポン放送が赤字事業からの撤退を余儀なくされた際に東京国際ファンタスティック映画祭は休止(のちに東京国際シネシティフェスティバルとして再スタート)、同時にこのデジタルショートアワードも休止となった。しかし、本音として聞こえてくる声として「映画祭はもはやその意味を失っているが、このデジタルショートアワードの継続には意味がある。」ということもあって、今回の第一回開催に向けニッポン放送とソニー・ミュージックがこれを支えたという経緯はある。実際、東京国際映画祭にしてもシネフェスにしても、映画祭とはいうものの、実態は有料試写会にすぎない。かつてのような有望な才能を発掘するコンペといった色合いは失われ、イベント開催期に合わせての興業側の単なる宣伝の場になり下がっている。かつてより何度か映画祭でオフィシャルのスタッフとしてかかわっている自分が言うのもなんだが、カンヌやサンダンスのようなものこそが映画祭であって、今ある「映画祭」は実質有料試写会。。そこが非常に残念でもある。

たしかに、こういったデジタルショートアワードのようなコンペティション主体の映画イベントは集客が難しいし発信力も少ない。イベント主催側にしてれば苦しいという側面もある。だが、自分も映像クリエイターの一員として、やはりクリエイターが広くプレゼンする機会があることは、優秀なクリエイターが育つためにも、また才能を探しているプロデュース側にしても必要なことだし、やはりあり続けてほしいと思う。これだけ自主制作映画(映像)を作る機会や環境がそろいつつある現在、すそ野の広がりはあるものの、安かろう=悪かろうな作品がまだまだ多い。だが、一方で、こういった厳正なコンペと世に出るチャンスがあってこそ、すそ野の広がりの意味を与え、才能の開花を促す。「来年(デジタルショートアワードは)あるの?」という問いかけに対し返事に難しそうな顔をするイベント主催側に、自分としてもなんとなく複雑な心境ではあった。


【告知】higaco photo exhibition/#0 Identity Crisis

identity crisis_higaco at colors.jpg DSC01744.JPG

2008/3/30 sun.-4/13 sun. CAFE*BAR COLORS
新宿区歌舞伎町1-1-9ゴールデン街G2通り2F
Mon-Sat 19:00-Last/Sun 15:00-23:00
Drink¥500~+Charg¥700

新宿ゴールデン街にあるギャラリー・カフェバーのCOLORS(カラーズ)で、写真家higcoの個展が今日から始まったようです。開催期間は3/30より4/13まで。higacoは、何というか不思議な空気感を持った作品を撮る人です。(参考:彼女の作品)ちなみに、このCOLORS、友人の玲(あきら)さんのお店でもあるんですが、時折こうして店内のギャラリースペース(3F)にこれからっていうようなアーティストの作品の展示をしてます。よかったらお立ちよりください^^自分は月曜あたり顔出す予定です。


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「歌舞伎町のジョーで~す!」歌舞伎町商店街振興組合事務局町城克(じょうまさる)氏のオフィシャルブログスタート! [人]

歌舞伎町商店街振興組合事務局長の城克(じょうまさる)氏のオフィシャルブログがスタートした。タイトルは「歌舞伎町のジョーで~す!」、東洋一の歓楽街「歌舞伎町」、そのまさにど真ん中で「歌舞伎町のジョー」がこの街の街づくりを通じ、真実と本音と軌跡を赤裸々に語る。

DSC04308.JPG

城克(じょうまさる)

誕生日:1954年1月12日
出身:新宿区
育ちも新宿
最終学歴:慶応大学経済学部
趣味は釣り
家族は4人、奥さんと二人の子供。子供は二人とも大阪に転勤で今は夫婦水入らず。

歌舞伎町商店街振興組合事務局長、ほか新宿繁華街犯罪組織排除協議会、新宿カラオケ業防犯協力会、新宿歌舞伎町ホストクラブ協力会などの事務局を兼ねる。今後も各業界団体の組織設立と歌舞伎町商店街振興組合とのパイプ役として歌舞伎町の扇のまさに要にいなくてはいけない存在。また歌舞伎町の街づくりについて、日本全国の繁華街に出向いて各自治体などからの依頼で講演も多数行っている。

「新宿生まれ新宿育ちで、ウチは3代新宿なんですよ。ものすごく新宿に対する愛着があって、サラリーマンやってた時も新宿を離れたくない、転勤したくないとわがまま言ってた。その愛着で、将来的には新宿に恩返しをしたいなというようなつもりでいたし、その時に歌舞伎町の商店街振興組合というのは昔から知ってたし、選択肢の一つとしてもまちづくりとか新宿に役に立つことだったらボランティアでもいいからやりたいというのは持ってた。
それがちょっと早まっただけの話で。5年前かな、商店街振興組合の事務局長の声がかかったときはぜひやらせてくださいって言っちゃいました。今やっている仕事は、これまでやってきて、もしかしたら一番やりたかった仕事になっているかもしれない。そう言う意味では、今掲げている「24時間特区」は最大の目標だし是が非でも実現したいと思う。」と城氏。

DSC01945.JPG歌舞伎町商店街振興組合事務局長城克(じょうまさる)氏

城克(じょうまさる)オフィシャルブログ「歌舞伎町のジョーで~す!」http://jo-kabukicho.blog.so-net.ne.jp/

城さんと自分の関係は、かれこれ5年くらいになるかな。当初、制作物関係の仕事で商店街振興組合に出入りするようになってからであるが、特に2005年、歌舞伎町ルネッサンスという行政主導のまちづくりにかかわるようになってからは、どちらかと言えば城さんが表顔、自分が裏方で情報を集め、また分析し、そういった裏付けの中で議論を重ね、まさに民間側においての「核」としてお互い関わってきたという感じだろう。自分は街を歩き、城さんは歌舞伎町商店街振興組合というオフィシャルな組織を背景に、お互い生の情報を手に入れる立ち位置にいるから、それを合わせて議論を重ねていくことで、また、よくしよう委員会などでその議論を多くの人の前で喧々諤々と重ねることで、どちらがどうということではなく、少なくとも歌舞伎町に内在している課題を浮き彫りにし、また目指すべき方向性のコンセンサスへの足がかりを作ってきた。

現在、よくしよう委員会ではまさに「眠らない街歌舞伎町」24時間特区の実現(何業も営業時間の規制を受けない特区)という構想をもち、これを最大目標としている。つまり、歌舞伎町24時間特区を実現できるような街へとまつづくりをすすめていく、というのがテーマとなっている。いわばこの目的のために、迷惑行為排除パトロールやさまざまなロビー活動を進めている。ここで、明確にしておかなくてはいけないのは、行政が進めている歌舞伎町ルネッサンスと、よくしよう委員会を中心とした民間が進めている歌舞伎町のまちづくりとは今のところ決して同義ではない。

2005年、歌舞伎町ルネッサンス推進協議会が立ち上がったころ、この活動の軸はなんといっても二つ、一つは日本全国の繁華街治安対策のモデルとして徹底した暴力団対策を総合行政で進める、そしてもうひとつがシネシティ広場周辺興業4社共同(四葉会)の劇場街再開発を軸とした都市再生にあった。しかし、現実には当初2000人と言われていた暴力団員の数はいまだ変わらず、また四葉会の共同の劇場再開発は先日の東宝(コマ劇場・東宝会館)単独再開発の方針によって、四社合同の再開発は決定的に頓挫することになった。(関連記事)劇場街再生を中心軸に置いた都市再生故に、エンターティメントの街、あるいは大衆文化・大衆芸能の街なんていう言葉が飛び交い、あたかもそれ自体がDNAであるかのようなあやふやな街づくりに縛られ、本質的な街のポテンシャル、あるいは懐の深さ、多様で多面的な魅力が軽視されがちな行政主導によるまちづくりが進み、それがやっと誰もがボタンの掛け違いだったということを認識し始めたというのが実態だろう。とはいえ、民間ほどフレキシブルに動けるほど行政は柔軟ではない。一度かけたスイッチを切れぬまままさに硬直した状態で、それこそ7月10日にはTMO(歌舞伎町まちづくり組織)の発足を迎えようとしている。

城氏曰く、「それだけは避けたい」、区が勝手にとはいえ少なくない予算をつぎ込み、結果は無意味の積み重ねというのでは何の正義もないということで、近く行われる歌舞伎町ルネッサンス推進協議会のスタッフ会議では、もう一度考え直そうということを提案するつもりだという。

もちろん歌舞伎町ルネッサンスにでは何の成果もなかったかと言えばそういうわけではない。歌舞伎町の未来像についてあーでもない、こーでもないといういろんな議論をしたことによって街の人たちが「このままじゃまずい」と、ある意味では反面教師的にかもしれないが街の未来に対する関心を持つきっかけにはなったのではないか。「それは、かなり大きな効果があるかもしれない。というのは、これもいろんな商店街に話を聞いてたりすると、商店街の街の人って10年先20年先の発想ってみんなないよね。で、成功している商店街というのは、ある誰かがそこに着目をしてみんなを集めて今日明日のお金勘定じゃなくて5年先10年先のことを見据えて、今、頑張ろうよ、ということなんですよ。だから、歌舞伎町もどちらかというと人がいっぱい来てシャッターさえ開ければ儲かっていた時代を過ごしてた人たちがいるんだけど、確かに歌舞伎町でも明日明後日の儲け話にしか興味がなかった人たちが、おや、そうだよね。5年先10年先を想定して今を考えなくちゃいけないよね。という風に考え方が変わってきていることは事実だろう。でもまだ全部じゃないんだけど。」と城氏は評価している。

一方でルネッサンスの活動は評価し、しかし、これによって完全に硬直した状態の部分を一回リセットし、あるいは一度解散し、改めて街の人たちが同じ目的を共有できる求心力のあるテーマとして「歌舞伎町24時間特区実現」を掲げ、では、それを実現するために必要なまちづくりを、たとえば治安・安全面ではどうか、民間の役割、コストはどうか、若い人たちが集まることが予想できるからこその対策はどうすべきか、環境配慮はどうあるべきかなどをクリアして、歌舞伎町24時間特区が実現できるような街にしましょう、そしてそのことで行政の理解を求め、さらに街を一つにまとめようというのが今の課題である。

歌舞伎町を好きではない、あるいは何の愛着もない、それでもここに居続ける、あるいはいざるを得ない人たちが行政に、企業に、組織にそれぞれ似た形で存在し、その人たちが高い所にいて議論している今の歌舞伎町ルネッサンスのあり方は否定せざるを得ない。ではなくて、街を愛し、望んでこの街に立つ人たち、それは来街者の目線と同じものなのだから、そこを中心に置いた本来あるべきまちづくりの在り方がようやく見えてきたのだから、今こそその姿に進化させなくてはいけないという点で、自分と城氏は同じ考え方を共有している。

まずは、自分からの城氏へのロングインタビューという形で、その内容を一文逃さず掲載するという記事から「歌舞伎町のジョーで~す!」はスタートした。歌舞伎町のまさにまちづくりの核であり、ど真ん中にいる城氏の歌舞伎町への想い、まちづくりへの考え方が伝わると思う。ぜひ、とくに歌舞伎町に関わる人たちには愛読してくれたらと思う。


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7月7日(月)グリーンバード歌舞伎町の活動-チームリーダーの杉山文野クン久々の帰国、インタビュー- [人]

グリーンバード歌舞伎町チームの活動報告も兼ねて。ポイ捨てはカッコ悪いよ、ということで街の路上に散乱しているゴミを拾う活動を続けるグリーンバード、その歌舞伎町チームが発足したのは一昨年の8月6日。チームリーダーは、ちょうどその年に自身の性同一性障害をカミングアウトした「ダブルハッピネス」(講談社刊)を出した杉山文野クン、歌舞伎町で生まれ育ち、また戦後焼け野原から歌舞伎町を創った鈴木喜兵衛氏の親戚筋にもあたる。

それからぼちぼち2周年を迎えつつあるこのごろ、自分もこのグリーンバード歌舞伎町チームの活動をサポートしながら、またそのコミュニティとしても楽しませてもらってきたわけだが、実はこのチームリーダー、杉山文野クンは昨年9月以来ほとんど活動には参加していなかった。というのは、本人がいつも「ゆる~い感じで」と言うわけではなく、彼自身が海外に語学留学を兼ねて“自分探し”(プチ中田英寿風:本人談)の旅に出ていたからである。昨年9月、イギリスのケンブリッジに語学留学、その後休みの合間に欧州を回ったり、また学校を終えてからは欧州から東欧、アフリカへと“オナベ一人旅”・・・最初イギリスに行った時は4ケ月ほどなんて言ってたような気がするんだが、それからかれこれ10ケ月、2月に仕事の関係で一時帰国はしたけど、それからまた海外のとんぼ返り、そうしてしばらくぶりに彼が日本に帰国した。

DSC04377.JPG7月7日のグリーンバード歌舞伎町チームの七夕ゴミ拾いにて

DSC04385.JPGこの日のゴミ拾い参加者は44名・・相変わらず大所帯な歌舞伎町チーム^^;

たまにはゆっくり話でもしようかってことで、インタビュー風に。

DSC04343.JPG杉山文野クン(ブログ、NHKハートをつなごうハートネットブログ

Q、どうだった?海外は。

「自分と向き合う機会も多く、なんで向こうに行ったのかとか、向こうで何が見たかったとか、逆に行ってから見えてきたり自分が何にこんなにモヤモヤしてたのかが見えてそれがスッキリした。性同一性障害とは一生関わるのかもしれないですけど、そことのケリは今年でつけれるかなと。」と文野クン。帰国してすぐNKH教育の番組「ハートをつなごう」などにも出演し、その際にも言ってたことだが、文野クンは来年早々にでも手術をする決心をしている。ようは脳は男で体が女のアンバランスにケリをつけるという意味。「戸籍上での男か女かというのではなく、自分の中でのケリは今年でつける。自分の心がそこに囚われてた割合が多かったので、そこがなくなったらだいぶ違う事がもっと楽しく生きれるんじゃないかなと、そう思った時に、何がやりたいの?と言えば、この町(歌舞伎町)に関わってなんかやっていきたいというのは強いし明確なビジョンはまだもちろんないけど、面白いことをみんなでワイワイ出来たらいいな、どういう風に形にし、どういう風に収入に結びつけるかというのが来年からかな。」

Q,海外に出ていろんな縛りやしがらみが消えて自分を見つめなおしたってことかな?

「一回全部それがなくなったのは大きい。グリーンバード、シブヤ大学、フェンシングを教える、ダブルハッピネス・・中途半端にメディアに出ちゃったから、自分がどうしたいかよりも、どう見られたいかをむちゃくちゃ気にしてた・・それが一番の迷いの原因だったというのがわかったし、わかってたのか、分かってなかったのか、なんだかよく見えなくて、何にモヤモヤしてたのかもわからなくなってたし。アジア人には女に見られることはまずないんだけど、結構欧米系の人には女に見られる。体が小さいというのもあるとは思うが。最初イギリスに行ってすべての自信を喪失した。」

Q、自身喪失とは?

「日本だと、ダブルハッピネス出しましたとか、ある程度社会的に受け入れられましたとか、前は表に出せなかった部分がそれでも認められたよというのがあった。
まず、言葉がしゃべれない。中学生のコとかと話してたって、しゃべれるコのほうが賢いというか、意見が言える。自分の意見が言えないというというバカさ、こんなに言いたいことがあるのに自分なんて外見にもろコンプレックスがあるじゃないですか。でも、中身を外に出してコントロールすることで保ってきた部分が、言葉がしゃべれないからまず中身を外に出せない。そうすると、そこにあるのはただの『女体』なわけで。だから、コンプレックスしかないんですよ。
それがまず一つですね。
それで、言葉通じない、最初入ったクラスでは30点満点でみんなが25点、24点、26点・・・でフミノは11点、一人だけかろうじて二桁取れましたみたいな。
そこからスタートで、ましてしゃべれない分、まわりもコイツ男なの?女なの?Sheなの?Heなの?と、彼らも聞いてこないしこっちも言えない見えない壁みたいなのが、カミングアウトする前にもどったかのような悶々としたものもあり、余裕もないからしゃべることもできないし、みたいな兎に角ベッコリ凹んでたんですよ。
ひたすら勉強もしなきゃ、恋愛も引きずってる部分があったりとか、すべてがウダウダで、ウダウダしてる自分も嫌だしどんどん自信も無くなり、その自信の無さがまた女体化するんですよ・・・で、女体化してまた女に見られ、女として扱われ・・・

日本だと、男扱いされることが多かったので、男としてのフィードバックがもらえるんですよね。それで作れてた自分がそのフィードバックが無くなるとどんどんまた女体化していくんですよ。それが気になって気になってしょうがないし、気になっている分、どんどん自分が女に見えるんですよ。その辺の感情というのは自分でもよく分からないんですけど、明らかに女体化しているというのをひしひしと感じてた。もしかしたら女なんじゃないか・・・?あれ???

そこから、ある程度言葉がしゃべれて、中身を外に出せるようになってきて、とはいえ男と対等に渡り合えない感がまたあって、やっぱりそうは言っても女に見られてるんじゃないか、回りが気を使っているだけじゃないかとか、そう言うのを気にしている時やっぱり女(ニョ)なんですよ。徐々にはコミュニケーションが取れるようになって自信回復してたんだけど、それがまた旅でべっこり凹んで。
イスラム圏に行った時とか、日本人の女というだけで兎に角オッサンたちが寄ってくる。イスラム圏の人たちって、自国の女の人がガードが硬く、日本人の女は軽いと思われてるらしく、自分も女に見られてオッサンとかが寄ってくるんですよ。まず質問がどこから来た?日本からだって言うと、一つめの質問が結婚してるのか?ですよ。こんなにオッサンたちにセックスの対象として見られるという、こんなに屈辱的な思いはそれこそピラミッドどころじゃないんですよ。。。。
で、とにかくお茶しようみたいな、ナンパされるんですよ。『うわぁぁ・・;;』と思って、その屈辱、とは言っても本気でやりあったら体的に負けちゃうというオナベ一人旅の恐怖というかその時悔しさを思ったりとかあったし、それから仲良くなって海行こうとか言われても脱げないしとか、常にそんなことを気にしたりとか。それが、日本に帰ってきたら、それまで凹んでた部分が急に無くなって、ギンギンに、というか、ふつふつとパワーが湧いてきて、たぶん反動みたいのが出て、なんの自信だかわかんないですけど無駄に自信がみなぎって来ててレベルアップした感じですよ。今は男体化している自分を感じていて、感情を自分でうまくコントロールできなくてコレですよ。いろいろあって、でもおかげで自分が何に囚われ、何に縛られてるのかに気付いた。性同一性障害云々ていうのは、今年ケリを付けて、来年年明けに手術しようと決意した。」

やはりコミュニケーション力というのは本当に大事なんだなと。しかし、一方で、そのコミュニケーション力を奪われたことによって自分自身とまともに対峙することによって改めて自分の心の声を聞くことができたということなのかな。「人と話すことで、自分を確認しているとしたら、相手と言葉でコミュニケーションが取れないと
何やってるか自分の中でよくわかんなくなるんですよ。」と文野クン。帰国して、自信回復というか無駄に元気な彼が言うには「またヒゲが濃くなってきたりして、人間の体って面白いなと・・」へ~・・・そういうものなんだ^^;

DSC04393.JPGグリーンバード歌舞伎町チームにも、文野クンと同じFTM(Famale to Male、体は女性であるが性自任は男性という性同一性障害)のコたちがわりとたくさん参加してくれている。7月7日のときは、なんと10名。ここではセクシャルマイノリティじゃなくてマジョリティだよ(笑)と。彼ら個々にそれぞれ事情も違うだろうし、プライベートではレディとして生きている人達もいる。それでも、ここでは自分でさえ平気で「どっち?」と気軽に言えるような環境ができている。ややデリカシーの欠けたかのような会話も、むしろお互いに気づかいすることもなく、また少々辛辣でもここだけならとある意味免疫にもなっていけばいいんじゃないかと、これは個人的に思うことだが。文野クンは、内側をさらけ出すことで認められ、それによって自分を成立させたと言っていた。しかし、現実的にはそれすらもなかなか許容されない、あるいはされないかもしれない恐怖があるのであって、ありのままの自分でいたい一方で、そのことができない現実社会の中で生きていることを思えば、言葉というコミュニケーションツールを失った海外に立ったばかりの文野クンとそう変わらないようにも思う。そう言う意味で、グリーンバードの中でも歌舞伎町チームだけの特殊性ではあるが、これはこれでいいコミュニティを形成しているのではないか。

「眠らない街」歌舞伎町、歓楽街としての魅力と低炭素社会実現との矛盾、そして両立に向けて

文野クンとは、そのあと歌舞伎町の景色を眺めながら環境問題に話が及んだ。ちょうど洞爺湖サミットが開催中(7月7日より9日まで)、今回のサミットの主要テーマは食品や燃料の価格高騰やアフリカの貧困問題、そして地球温暖化対策に主要先進国がどう取り組んでいくのかということである。とりわけ、議長国である日本は、先だって6月、福田総理が表明したように、日本としても温室効果ガスの排出量を2050年までに60~80%の削減を目標としているということもあって、焦点は長期目標に盛り込むことに慎重なアメリカを巻き込み、またG8以外のインドや中国をも開きこみ世界的な目標として2050年までにCO2排出量を50%削減という目標を「検討」から「合意」へと格上げできるかどうかというところにある。現実として、50%、あるいはそれ以上のCO2排出量削減となると既存の技術だけでは到底及ばない数値であることは明白で、そういった意味で化石燃料へのエネルギー依存からの脱却し低炭素社会への変革、CO2排出量0の原子力や太陽光発電へと大きく舵を切り替えることだけではなく、いわば政策そのものがライフスタイルの在り方にまで踏み込んでいかざるを得ない、そうでなければ地球はもうもたないというのが国際社会の共通認識ではある。

そういった中で、東京都もはじめとして全国各地の自治体で24時間営業のコンビニエンスストアの深夜営業規制が検討されている。今のCO2排出量削減のベースは電力消費量にあるから、そもそも電力消費を減らすことでCO2排出量を削減していこうというもの。だが、一方で、深夜営業のコンビニが特にローカルでは防犯上の役割を果たすほか緊急時の物資供給等のライフラインとしての防災上の機能などもある。業界側の試算であるが、深夜営業が規制された場合のCO2排出削減率は4%(日本全体から見て0.009%)にとどまるという。深夜の営業を規制しても冷蔵庫などは稼働しつづけ、また物流が日中に集中することの不効率によってこの程度の削減率にしかならない上に、既存雇用者の失職などといった問題につながるとして業界は反対しているようだ。

丁度、この話の流れ、歌舞伎町「24時間特区」構想に非常に酷似しているように思える。

※歌舞伎町「24時間特区」構想(簡略)

歌舞伎町をかつての「眠らない街」としての再現を目指す。現在、風適法及び関連都条例によって営業時間が規制されている社交飲食業(営業可能な時間は日の出から深夜1時まで)。これを規制緩和し、歌舞伎町は営業時間の規制を受けない特区を目指そうという構想。

現実として、深夜の社交飲食業の営業は違法であるがゆえに暴力団の脅し材料になりやすく、ミカジメ料などの暴力団資金源インフラになっている。この時間を合法化することで暴力団の資金源を枯渇させる。また、とくに繁華街の治安維持は警察力よりも民間の衆人環視がもっとも有効であり、日夜人が絶えない街、あるいは特に路面店のシャッターが閉じない街であれば治安は飛躍的に向上すると考える。昨今の繁華街対策において、法令遵守ということでかつては見逃されていた社交飲食業の深夜時間外営業の規制強化によって、むしろ昼間に風俗店が営業時間を延ばすケース(朝キャバ、昼キャバ、あるいはホストクラブの1部2部制など)が目立つ。これによって、かつては昼間は昼間の、夜は夜の顔として差別化ができていた繁華街の風景が昼夜混在し、むしろ風俗色の強い印象を全日を通じて醸し出されている。これにより、多面的な顔を持ってこその街であったはずの歌舞伎町はその魅力を損ないつつある。むしろ、昼間の営業自体を規制してでも夜の景色を復活させ、昼と夜の顔をそれぞれ取り戻す必要がある。現在、歌舞伎町よくしよう委員会としては、この24時間特区の実現を最大目標に掲げ、これを実現しうるような街づくりをすすめている。

杉山文野クンとお茶しながら、ふとネオンで明るい、そしてタクシーで渋滞している深夜の区役所通りを眺めながら、ふと彼が話し始める。

「たしかに、日本のコンビニって異常な世界だなって思いますよ。海外にないもん・・みんな夜寝るし。夜買い物する必要ないし。便利便利って言うけど、じゃぁ便利ならいいのかというと、たとえばケンブリッジにいて、夜なんて何もやってないんですよ。でも、そういうとこに行けばそういうライフスタイルになるだけなんで、酒呑みたいけど酒売ってないよって、なったらなったでしょうがねえなってなるし、じゃ、呑むんだったら今度早いうちに買っとこうってなるだけで、別にいつでも買える必要はないと思うんですよね。環境環境って、言いすぎなのかもしれないけど、でも本当にヤバイですから。
たとえばたった0.01%かもしれないけれど、その積み重ねが必要なわけで、じゃこの0.1%はいいよ、あそこの0.01%はいらないよって言ってたら結局どうにもならない。自分26歳で、自分の人生の範囲くらいだったらまぁなんとかなるかもしれないけど、じゃぁ、このままみんなが好き放題やってたら次の世代はないな。日本で環境環境って言ってるけど、自分思ったのは世界中問題だらけなんですよ。日本のように恵まれてる国こそやらなければならないと思うんですよ。ナミビアとかエジプト行ったって、みんな自分たちのことで精いっぱいな暮らしをしてる人たちに環境って言ったって無理だし、そういうところと比べて、やっぱり日本は豊かな国だなと思うわけですよ。何がニートだ引きこもりだって言ってるんだって。そういう国に生まれたからこその責任みたいなのが絶対あるし、こんなに恵まれた国のヤツが自分のためだけに生きてたら多分バカだと思うだろうし。

自分思ったのは世界中問題だらけなんですよ、ホントに。世界中に物乞いの子供たちがいるっていうのは、日本にいて実感はわかないけど、実際に街を歩いてて子供たちに金をクレって言われて、断わってけられたり唾はかれたりすると、ああ、やっぱり人類みな平等なわけないなと。平等なわけ無い中で、だからと言って罪悪感を感じる必要は全然無いとは思うし、豊かな国に生まれて本当によかったなと。そういう国に生まれたからこその責任みたいなのをもう少し感じるべきと思う。
考えるべきは、こういう国に生まれて自分が嬉しい楽しいハッピーなだけで、そこは確かに大事で充実してなかったら次にはなかなか行けないけど、そこはある程度早めに自分を保てるだけのものがクリアできれば、環境とかそういう違うものにアプローチするっていうのは当たり前のことだと思うんだけどなぁ。」

環境のことを真摯に考える、たとえば街づくりにおいても低炭素社会への変革という命題はこれから絶対に避けられないテーマだし、あるいはそこにビジネスチャンスだってありうるかもしれない。しかし、街が掲げようとしているこの「24時間特区」という構想は、まさにその正反対にあるようにも思える。そもそも、よくしよう委員会で議論している時もそうだったが、文野クン自身はむしろこの構想に異を唱える側で発言するケースはかつてからあった。

「歌舞伎町は眠らない街でいいじゃんって言うのと、でもそこに環境を絡めると全然ま逆に行っちゃうというのが結構悩んでたんですよ。歌舞伎町を24時間特区にして世界一の繁華街にしましょうって言って、その世界一の繁華街が人もイッパイいて混沌としてるけどめちゃきれいだとか、モデルケースになるような、あの街でこれができるんだみたいな、たとえば24時間特区にしたけど、電力は全部クリーンエネルギー使ってるとか。
でも綺麗になっちゃったら歌舞伎町じゃないというのはあるんだけど、でもそういう人間ってすべてのことで矛盾を抱えてる。矛盾してて当たり前だし、その矛盾の中の落とし所は、たしかに24時間特区やろうって言うならやったら絶対面白いと思うし、でも、環境にやさしい24時間特区というか、全然矛盾してるようだけどここを考えるべきなんじゃないかな。」

低炭素社会実現という意味で、繁華街の存在ってどうなのか?と考えてみる。これはやや個人的な考えではあるが、そもそも繁華街のニーズは減っていくだろうし、あるいは減っていった方が環境には優しいのかもしれないなと。一つは、ネット社会の高度化と普及が、いわゆる対面接客を伴う繁華街の必要性は減っていくだろう。たいていのものはネット通販で手に入る。クレジットカード社会がキャッシュレスを生み、つまるところ繁華街に残るのはリアリティのあるもの、たとえばコミュニケーションの場であったり、それこそ風俗かもしれない。物販なら、アンテナショップ的なものだけが残る。となると、繁華街って、これほど広範にたくさんある必要もないし、むしろ減っていった方が環境には優しいように思う。その意味では歌舞伎町も同じ。リアリティのあるものだけが残るだろう。

だが、一方で歓楽街というもののニーズ、あるいは欲望の受け皿とでもいえばいいか、そう言ったものは必要だろう。ちょっと心理学的な話に飛ぶが、そもそも人間は外的要因によって心が上げ下げする、波が生まれるのが健全であって、逆に外的要因なしで心が上げ下げするのを一種の病、つまり躁鬱と言える。だが、現実社会には、どうあがいてもレールの上にしか生きていけない人、望むと望まざるとその職場なり環境に身を置かざるを得ない人たち、そしてそこには望まない外的要因だけが存在するから心を閉ざさざるを得ない人たち、よってストレスを内側にため込み続けている人達が多数存在する。たとえば公務員、志を持って職場に入るも、時とともに魂を失っていく、そのような人たち。彼らは、ほっとくと心の病気になる。それを、ある程度矯正する場所が、いわば外的要因にあふれ、猥雑と魅力が混然としているたとえば歓楽街などの存在意義である、と考えている。つまり、ライフスタイルの多様化による深夜娯楽というマーケット的側面もさることながら、いろんな意味で受け皿なのではないか。

だがしかし、今の時代、もはやそれ以上に地球温暖化に対する対策、つまり環境にやさしいまちづくりは最重要なテーマになりつつある。となると、その時歌舞伎町を見回すと、まだまだ手つかずの悪環境が放置された状態。ゴミ問題、下水、老朽化ビル、そして無駄な電力消費。ふと思ったのが、これって何かのビジネスチャンスがあるかもしれないということだ。

深夜のネオンを見ていて二人でこれかもしれない、と思ったのが看板や照明類、煌々と夜空を照らすこのネオン類。これは先日ニューヨークのあるマンションの話を思い出した。やや家賃は相場より高いのだが、室内照明からすべてがLED(発光ダイオード)を使用している。LEDは一般的に白熱電球に比較するとほぼ7%の電力消費である。しかも寿命はかなり永久的。これによってCO2排出量を大幅に低減させ、またこういったマンションに住居を持つことがそもそもステイタスになっている。この話を文野クンにすると、「看板とかあれだけ点いてるけど、エネルギー効率とかを考えるとか、全部発光ダイオードに変えるとか。たとえば24時間営業の店を出してもいいけど、室内照明から看板まで全部LEDにするとか、そういうことを街のルールとしていくとか、あるいはお金がある事業者はどんどんそういうところに金を使うっていうのもありじゃないかな。古き良きも残しつつ、でも新しく店を出すとか作るとなれば、多少コストがかかってもそういうルールのもとで出したいって人は出したらいいし。歌舞伎町の産業構造で、おそらく中核になりつつあるホストクラブなんて、たとえばホストクラブも夜営業していいかわりに看板から室内照明から全部LEDにしろとか。それめちゃ面白いじゃないですか、夜のロハス。で、そういうところが一番儲かっててってなれば、みんなマネするじゃないすか。」と。

たしかに、現在ホストクラブやメンキャバなど、確かにいろいろヤンチャな部分は多い業界ではあるが、その経営範囲は結構多岐にわたっていて、酒屋やバー、美容室やデザインオフィス、そしてイベント主催やテナントコンサルタントなど幅はどんどん膨らんでいる。それはそもそも業界そのものが否が応でも街の中心になってきていることの証であり、だったらその業界から環境を切り込んでいくというのはアリかもしれない。ちょうど文野クンや自分らの仲間でもある手塚真輝クン(夜鳥の界代表、ホストクラブAPiTS&Smappa!Group代表)の話題が出て、彼が掲げてる夜のロハスもこれなら地でいけるかも、なんて話になった。

でも、まぁ歌舞伎町なら歌舞伎町らしく「そういうところはあまり前面に出さないで、だけど裏ではしっかりやってるみたいな街にしたいですね。」と文野クン。たしかに、そうかもしれない、可能であればね。


ハイジア地下の地域冷熱プラント有効活用は、歌舞伎町のCO2排出量を50%削減可能

DSC00548.JPGハイジア地下にある地域冷熱プラント(新宿熱供給株式会社)

平成2年より計画がスタートし、四葉会(シネシティ興業4社:東宝、東急レクリエーション、HUMAX、東亜興業)の総合一体型再開発を想定し、ハイジア竣工(平成5年)とともに地下に設置された地域冷熱プラントがある。現在稼働域はハイジアと大久保病院内に限られているが、そのポテンシャルは西武新宿駅から歌舞伎町全域の地域冷暖房を一体的に供給できるもの。プラントの設備・運営は新宿熱供給株式会社。

ハイジア地域冷熱資料03.jpg ハイジア地域冷熱資料02.jpg ハイジア地域冷熱資料01.jpg

地域冷熱というと、池袋のサンシャインなど都心の大規模再開発などに採用され、広範なエリアの建物の熱供給を一体的に提供するプラント。排熱利用などその都度最新の熱効率の高い設備で運営するもので、実際に計算上では現状のインフラがこれに更新出来れば地域のCO2排出量は50%以下に抑えることができるという。現実には、コスト面で、設備投資のイニシャル分がランニングコストに反映されるため、事業者負荷は大きくなるように思われるが、その規模によってであるが、劇場街クラスの規模なら約25年で元が取れるという。

CO2削減だけではなく、メリットは他にも多い。たとえば、建物の屋上活用。通常建物屋上には、電力系統のユニットやら空調室外機などで埋め尽くされ、ほぼ利用不可能な状態。これを地域冷熱を使用すれば、空調室外機スペースはおろか電力ユニットもさらに小規模なものでよくなり、つまり屋上が活用可能になりうる。ワンフロアとして活用するのも一つだし、あるいは遮熱タイルなどを整備してさらに建物自体の熱効率を上げたりCO2削減のための屋上緑化をすすめるなどが可能になってくる。このプラントは、約5kmの配管をめぐって170℃の蒸気が約4℃下がる程度で戻ってくるほど熱効率は高い。四葉会は一体での共同再開発はすでに難しい状況ではあるが、それでもなお未だにこの地域冷熱プラントの採用すら決定できないでいる。

あくまで、建物の更新に伴って一斉に採用した総括的な机上の計算であるが、少なくとも採用したエリアのCO2排出量が50%以上削減でき、またそもそもの電力供給が太陽光や原子力といったCO2排出量0の発電によるものとなれば、福田総理の「60~80%削減」というのも絶対あり得ない数値ではないというのが想像できる。

だが、環境というのはその技術力を裏付けするだけの、さらに言えばインフラそのものの在り方にかかわるだけに、非常ににコストがかかる。このコストを環境先進国のドイツでは政策が先導して電気料金の小幅な値上げによってまさに国民が負担している例がある。さて、日本はどうなるだろう。税負担を重くしても、国民の大多数が政府・官僚を支持していないし信用もしていない。だが、この負担なくして低炭素社会はどう間違っても実現しない。となると、政府・官僚のまずは信頼回復が先ということになるのだろうか。

明日、洞爺湖サミットは終了する。G8の限界というか、最後の提言はどうしたって玉虫色なものになるのは目に見えている。福田総理がどれほどこれに真摯に立ち向かっているのかはともかく、アメリカの合意を最後に取り付けたことは評価できる一方、ときおり見え隠れする『環境対策を全面に出しておけば反対意見が出にくい』からこその低炭素社会実現という政策がそのほかにも様々な課題として山積する国内問題をオブラートに包む一種のスケープゴートに見えてしまうところが政府のどこか覚悟の足りないというか、底の浅さを感じざるを得ない。

そんなことはともかくだが、「24時間眠らない街」を目指す歌舞伎町のまちづくりにも、だからこそこういった「環境にやさしい街づくり」という視点の必要性は高い。一見24時間特区実現のハードルを上げるようなものだが、そうは言っても決して環境配慮なくまちづくりを進めるわけにはいかないだろう。現在、よくしよう委員会では「歌舞伎町宣言」なるものの策定を進めているが、この視点も念頭に含め進めていくつもりではある。

DSC00591.JPGハイジア屋上


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世界のゴミから見るセカイ-南極から歌舞伎町まで-杉山文野君と、5月30日(土)グリーンバード「ゴミゼロ全国一斉掃除」における歌舞伎町チームの活動より [人]

5月30日(土)、グリーンバードでは、「5/30ゴミゼロの日」にちなんで全国一斉そうじを開催。都内チームの表参道や渋谷、歌舞伎町をはじめ、北は札幌から南は沖縄チーム、それに海外にも飛んでパリチームはエッフェル塔周辺を、スリランカチームはスプートニク交流会館から仏教の聖地アヌラーダプラまでと30チーム約1,000人がワールドワイドなゴミ拾い活動を展開。歌舞伎町チームは先月やっと日本に帰国したチームリーダーの杉山文野クンが掃除後、1年4か月50ヶ国(+南極)のバックパッカーの旅の報告会『世界のゴミから見るセカイ』を開催した。

green birdとは、「きれいな街は、人の心もきれいにする」をコンセプトに誕生した原宿表参道発信のプロジェクト。
「ゴミやタバコをポイ捨てしない。」と< 宣言 >すれば、誰もがgreen birdのメンバーです。
主な活動は、「街のそうじ」。でもこれは強制じゃありません。
「街を汚すことはカッコ悪いことだ。」という気持ちを持つだけでいいのです。
個人をはじめ、ショップスタッフや企業・団体など、
ただ今、プロモーションの輪はどんどん拡がっています。

合言葉は“KEEP CLEAN. KEEP GREEN”

自分たちが住む街をもっとキレイで、もっとカッコイイ街にするために。
ひとりでも多くの参加を、お待ちしています。

DSC08450.JPGこの日の参加者は24birds、ゴミ拾い後にシネシティ広場で集合写真。

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DSC08329.JPG DSC08516.JPG今年からグリーンバードサポーターにコカ・コーラが参加。ビブスやゴミ袋、飲料などを提供してくれている。全国で発売されてるコカ・コーラの缶には「コカ・コーラはグリーンバードの清掃活動を応援しています」という文字とグリーンバードロゴが入れらている。

DSC08339.JPG新宿東口駅前広場にて、ポケット灰皿を配る杉山文野クン。あっという間に配りきってしまいます。もらってる側もそう悪い気はしないと思う。この新宿東口駅前広場はとにかくいつもすごいポイ捨ての場所です。死角の多い構造的な問題もある。ポイ捨てをなくすために灰皿やゴミ箱はあったほうがいい面もあるが、ある場所ほど汚れるという現実。

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▲途中クレープの匂いにつられてモア4番街のマリオンに寄り道。女子大生二人組は仲良くシェア、ハーフ組は彼女たちより若干がっつき気味^^;?▼ゴールデン街も通りました。普段見慣れない集団のゴミ拾いながらの通過に小次郎(ゴールデン街の名物ネコ)がキョドってました。

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DSC08418.JPG DSC08421.JPGおっと、文野と悠子(二人ともチームリーダー、幼稚園から高校まで一緒の幼馴染)がホテルに!(この時間だと休憩3時間かな、歌舞伎町2丁目にて)

DSC08434.JPG男子チームはキャバクラの看板前で、「オレこのコがいい」とか。そーいう好奇心って大事^^

さて、ここからが本題。歌舞伎町チームは2006年8月6日に杉山文野クンが立ち上げ、それから約一年文野が率いてやってきたのだが、突然留学するって話になって、2007年の9月からは文野クンの幼馴染の砂押悠子がチームを率いてゴミ拾い活動(&お掃除後の呑みも)を続けてきた。当初イギリス・ケンブリッジに語学留学ってことで半年、そのあと少し世界とか周りたいな~なんて言ってはいたものの、で結局本当にそれから今年の3月まで文野君はバックパッカーで50ヶ国を、そしていわゆるエデュケーションプログラムを含め南極に二回行くことに。(さらに先月はタイに『チチ』を取りにいって無事帰ってきたわけですが。。)

DSC08474.JPG2007年9月から先月帰国するまで文野の留守中チームを率いてきたチームリーダーの砂押悠子。歌舞伎町チームは悠子と文野、そして手塚真輝の3人のトリプルリーダー制をとっている。

このゴミゼロ全国一斉清掃における歌舞伎町チームの活動後、いつも使ってるネパール料理のティハールにて「世界のゴミから見るセカイ」と題した報告会。


「世界のゴミから見るセカイ-南極から歌舞伎町まで-」 於:ネパール料理ティハール(歌舞伎町第二東亜会館屋上アジア横町内)

DSC08487.JPGゴミ拾い後の呑みでよく使うティハールにて。プロジェクターでスクリーンに文野クンが世界を巡って撮ってきた美しい・汚いをスライドで見せながら報告会(スライドに映る写真はロンドン・バッキンガム宮殿前の広場でのもの)

「最初はゴミ拾いをしようとかゴミの写真を撮りためようなんて全然思ってなかった。(歌舞伎町チームを)やりま~すと言って(海外に)行ってきま~すと離れている自分に少し後ろめたさというか後ろ髪を引かれるというかそういうのがあったから、外(海外)にいるときもなんかしようと。で、ロンドンについて三日目くらいにバッキンガム宮殿の前の広場で掃除をしようかと見ていたら人が集まるところというのは普通にゴミがあって、世界中同じなんだなと。拾えばすぐゴミがいっぱいにたまって。

IMGP0381.JPG(c)Sugiyama Fumino スペイン・サクラダファミリアにて

その時もゴミを拾おうなんてまだそんなに思ってなかっただけど、その当時、このゴミ拾いで一緒にひろったかわいい彼女と付き合ってて、で12月にクリスマスホリデーがあったから、彼女が遊びに来てくれたんですよ。スペインで合流して、実はそこで別れたんだけども・・;、でまぁ、せっかくだから一緒にスペイン行こうかってことで、サクラダファミリア、ガウディの建築物・・・魚介類とかめちゃくちゃおいしくて・・・そんなスペインでゴミを拾いました。なぜかというと、ビックリなんだけどギャグじゃなくていろんなところがやっぱり汚くて、じゃ、掃除すっかと。この頃から世界中のゴミってどんなんだろうなと思うようになった。それでゴミを拾いながら、世界中の綺麗・汚いを撮ってまわろうかと。」と文野クン。

最初は2007年9月留学先だったイギリス、そしてクリスマスホリデーではスペインへ、翌年の春に留学先を卒業、そのままアフリカへバックパッカーの旅はスタート。

まずスペインからモロッコ(タンジェ)へ

モロッコ・ラバト、大西洋に沈む夕日.jpg(c)Sugiyama Fumino モロッコ首都・ラバトにて。大西洋に沈む最高にキレイな夕日が悲しいほどに汚い海岸のゴミ。

・エジプト

P4070064.JPG(c)Sugiyama Fumino 「ラクダ、もちろん乗ったらお金を払うまでおろしてくれません。人によっては馬鹿みたいに一万円も払ったヤツがいるっていう。ピラミッドの中は入ってみたけど、臭くて暗くて何にもない。あっちこっち汚いけど、なぜか地下鉄は綺麗。」

P4080002.JPG P4080014.JPG(c)Sugiyama Fumino

・南アフリカ共和国

P4190010.JPG(c)Sugiyama Fumino おもてなしにビールのようなお酒、あーまちがいなく腹壊すなと思いつつ、案の上お腹壊れっぱなしでした^^;

「ケープポイント、テーブルマウンテンはホントに素晴らしい。アパルトヘイトが終わったといえども、黒人の居住区、隔離政策の名残というのはひどいです。欧米みたいな綺麗な町もある、そのすぐ横で黒人だけが隔離された場所、今はそこに住まなくちゃいけないわけではないけど、まだ沢山そこに住んでる。バラック小屋に人々は生活してる。そりゃ暴動もおきるわけだっていう感じ。」

・ナミビア

ナミビア・サンドボード.jpg(c)Sugiyama Fumino 「ナミビアといえばナミブ砂丘、ふかふか過ぎて何しても大丈夫、でもサンドボードやって頭撃って死にそうになりました^^;

IMG_1292.jpg(c)Sugiyama Fumino ナミブ砂丘に緑が・・

ナミブ砂丘に少し緑があって、こんなところに緑があるんだって言ったら、気候変動・異常気象でこんなに緑が見えたことはこれまでなかったんだって。それからヒンバ族のビレッジに行きました。いまだに体中に赤土を塗って、でここの人たち、産まれてから死ぬまで一度も風呂に入らないらしいです。なんだかスモークするんだって。水とかお湯で体を洗うという概念はないらしく、体をスモークして清める。別に汚いわけでもなく臭いわけでもない。」

P4290054.JPG(c)Sugiyama Fumino ヒンバ族のビレッジにて

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アフリカを無事脱出してヨーロッパに。フランス(パリ、パリではグリーンバード・パリチームと合流してゴミ拾い)

P3150439.JPG(c)Sugiyama Fumino グリーンバード・パリチームと。

ルーヴル、モンサンミシェル)→スウェーデン(ストックホルム、マルメ)、デンマーク(コペンハーゲン)、チェコスロバキア(プラハ)、クロアチア、ドブロクニク(アドリア海の真珠といわれてる)、ボスニア(サラエボ)などを巡る。

P6070478.JPG(c)Sugiyama Fumino スウェーデンにて、北欧ってきれいだと思うでしょ?こんな美しい景色のわきにはこんなゴミが。女の子も落ちてました^^;・・スゥエーデンの人はパーティ好きということで、こんな景色はよくあるそうです。

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P5200030.JPG P5200038.JPG(c)Sugiyama Fumino ボスニア、女子供といえど動くものはすべて撃ち殺されたというスナイパー通りも今では親子が釣りをしてるような景色、丘の上には墓地が。

「サラエボでは変なおばさんに襲われそうになったりとかいろいろあったけど、街は結構ワイワイしてたりするけど、建物とか見ると弾丸がバリバリ撃ち込まれてます。爆弾の爆破された跡とか。ちょっと小高い丘に登ってみるともうお墓だらけ。墓石に刻まれてる年数は、自分より後に生まれてきたコたちが自分より先に死んじゃってるんだっていう、ほんとに何とも感慨深い思いがしました。
スナイパー通りも弾丸の跡がバリバリ、それでも今は親子が平日の昼間から釣りをするようなのんびりした雰囲気もあるんですけど、橋の下を見れば、ペットボトルにビン・・」(文野談)

P5250091.JPG(c)Sugiyama Fumino トルコ・ブルーモスク

美しい景色、そしてそのわきにはゴミ。人の集まる場所はだいたいこんなもの。

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ボスニアを後にし、ヘルツゴビナ、セルビアモンテネグロ、マケドニア、アルバニア、ブルガリアを経てトルコ入り。トルコといえばアヤソフィア宮殿、ブルーモスクが素晴らしかったとか。「一緒に写真を撮ってくださいとかって女の子とかに言われたり、なんだか分からないけどトルコはすごい親日だった。」(文野談)

一旦帰国、再度バックパックに荷物を詰め込み出発するも成田で足止め。なんでもチケットの手配ミスだったらしい。再度準備して出発。まずはシンガポールへ。

P7130077.JPG P7130080.JPG(c)Sugiyama Fumino シンガポールにて。「シンガポール、綺麗だと思うでしょ?」と文野クン。「シンガポール、とにかくびっくりするほど普通に汚い^^;」とか。シンガポールではドミトリ(一泊1500円くらいに泊ってた。ちなみにドミトリはインドだと一泊300円から400円くらい、スイスとか行くと安くて4000円くらい。その後、タイからカンボジアへ。
「国境を越えると急に雰囲気が変わって、道も悪くなって、そしてゴミだらけ。子供たちに好かれて『オカマ、オカマ!』って寄ってこられて、『オナベだよ』って言っても『オカマ、オカマ』って。どうやらオカマは市民権を得ているようです。」そしてベトナム(古都フエ)からラオス(ルアンパバン)へ。

P7310143.JPG(c)Sugiyama Fumino ラオスで飛び入りで日本語先生に。

「ラオスでは、若者が独学で日本語を勉強して子供たちに教えている寺子屋にたまたま発見して、これが素敵なのは、旅の指さし会話帳っていうのを川沿いで拾ってそれをきっかけに日本語をはじめたんだって。この国は貧しいけど日本語を覚え、日本語が出来るってことはこれから友好的になれるってことで、自分が勉強し子供たちに教えている。飛び込みで先生をやらせてもらったりしました。」

8月、中国。北京でオリンピック観戦、元々文野クンは女子のフェンシング日本代表、「太田雄貴がメダルをとったのも見ました」と。そういや太田選手がメダルを取ったときに文野がNHKのインタビューに出たらしい。(自分は見逃したが)かなり先輩ずらしたらしく平安高校(太田選手の出身校)のOB代払えとか言われたとか^^

・モンゴル
P8240214.JPG(c)Sugiyama Fumino 「ゲルで生活したり。みんな朝青竜みたいな顔してました。子供たちに好かれて、そんなコ達とサッカーをするんですけど、無数に散らばるウンコトラップにやられたりしながら。。とにかく食べ物は羊、羊、朝から晩まで羊。で、食べ終わったらその辺に捨てちゃうみたいな。
感慨深かったのは近代化に対応できていないのだろうなと。動物の骨と一緒にビンやペットボトルとかもそのまま捨てちゃってる。それがそこらじゅうにモンゴルの砂漠に拡がってた。」

・インド(ゴミと言えばインドってくらいすごいらしい^^;)

P9130151.JPG(c)Sugiyama Fumino タージマハールにて

「素晴らしかったのがタージマハール、いろんな建築物を見たけどホントに素敵だったのがスペインのガウディ建築とこのタージマハールとトルコのブルーモスク、アヤソフィア宮殿。タージマハールは、昔の王様が世界中の大理石を集めて建てた、お妃さんのお墓。自分の嫁が死んじゃって、どれだけ嫁を愛してたかっていうのを表現しようとして王様がこのお墓を建てるんですが、自分はタージマハールの裏にある川に橋を架けて、その向こうにブラック・タージマハールを建ててそこに眠りにつこうと思った。ただ、あまりにもバカ殿過ぎて、これを建ててお金が無くなっちゃって、国が傾き、息子に幽閉されるというなんともバカ殿っていう、それだけに愛しい王様だなと。」

P9130165.JPG(c)Sugiyama Fumino タージマハール インドはエピソードが多い。「やっぱり足元には結構ゴミとか落ちてて、その王様がブラック・タージマハールを建てようと思った場所の先はスラムになってると。
ここの子供たちがウケるのが、インドのコたちはすごいマネーマネーって言ってくるんだけど、カネがなかったからボールペン持ってるからっていったらボールペンほしいって。あげなかったんだけど、一緒にいたバックパッカーがしょうがないなってボールペンをあげて、最初5分ぐらいそれで遊んでて、楽しんだと思ったらそのあとすぐ20ルピー20ルピーって自分がもらったボールペンを売りつけてくるみたいな、そんなガキどもです、最高^^」

P9140179.JPG(c)Sugiyama Fumino 車窓の景色、見えにくいが線路沿いはゴミだらけ。こんな景色がずっと続いた。

「電車で移動したのだが、窓から見える景色は線路わき全部ゴミ。なんでかって言うと、ご飯とか電車の中で食べるでしょ。終わったら、当たり前のように窓を開けてバッと捨てるんです。」

P9150211.JPG P9150219.JPG(c)Sugiyama Fumino ガンジスのほとりで祈る人 「それでたどり着いた聖地ガンジス川、みんなが身を清めてるすぎわきでは死体を燃やしてその灰を流し、その横で人々が生活してる。インドに行くと生死感が変わるとか言われてたんだけど、デリーで丁度テロとかもあってそっちのが怖いなと、ガンジス川そうでもないなって思いながら小舟でプカプカ揺られてたら、ぱっと見たらドザエモンが流れてて、青とも緑とも言えない赤ちゃん・・やっぱすげーと思いました。ただ隣で死体を燃やしてその横で生活してるってことに関しては、結局人間も自然のものじゃないっすか。だから自然に戻るって意味で燃やされて川に戻るっていうのは汚いとは思わなかったんだけど、ただ川の横ってのはとにかくゴミで汚かったです。

P9280474.JPG(c)Sugiyama Fumino インドにて。ゴミと一緒に寝ている犬

P9290512.JPG(c)Sugiyama Fumino そのあとカルカッタ、マザーテレサハウスで一週間ボランティア。でも街はとにかく汚い。しかし、なぜか地下鉄は綺麗、そしてなぜか地下鉄駅に体重計とかあったり。」マザーテレサハウスでの日記(文野クンの前のブログ)で、「自分の国の中、自分の中にコルカタを探してください。」と最後にシスターに言われたことが書いてあった。文野クン「僕にとってのコルカタは歌舞伎町だな。」ってのが印象に残ってる。

・ネパール
P9240411.JPG(c)Sugiyama Fumino ヒマラヤをのぞむ(ネパールにて) インド・バナナシからネパールの国境までが12時間、国境からカトマンズまで12時間、計24時間バス。ネパールは、インド人と雰囲気は似ているが急に人が優しくなる感じだったとか。丁度年一回のクマリ祭のときで、その祭りで何か?あったらしく翌日暴動が起きて何もできず、やむなく旅疲れを癒しにティハールの店主のサービの家にお世話になった。

P9190317.JPG P9250433.JPG(c)Sugiyama Fumino ネパール・クマリ祭、お世話になったサービの姉妹たち

・スリランカ
「こんな美味しいバナナ食べたことないってバナナ食べました。」分別という概念はまだないらしい。グリーンバードにはスリランカチームがあるので、そこと合流し一緒にゴミ拾い活動を行った。

PA050659.JPG PA050699.JPG(c)Sugiyama Fumino グリーンバード・スリランカチームと

その後帰国、2008年の冬、再びアメリカに出発。LAから入ってサンディエゴからメキシコ・ラパスへ。中米から南米ペルー・アルゼンチン、ウシュアイアから初めての南極へ。二週間ほどの観光だったらしいが、その後帰国(2009年2月)するとすぐに「もう一度南極へ行って来い」的な話がグリーンバード代表ハセベケン氏から。まるで南極にとんぼ帰りか^^;ってことで3月中旬再度南極へ。

南極へ

南極には1900年代の初頭から結構盛んに行われてた捕鯨基地が使われなくなってそのまま残ってたり、各国の基地が出す産業廃棄物がいっぱいある。それを探検家のロバート・スワンが7年間かけて全部手作業で解体して船でウルグアイに運び再利用した。
2002年にその産業廃棄物や基地の残骸だらけだった浜辺に初めてペンギンが上陸した、というニュースをグリーンバード代表のハセベ・ケンが見つけたらしく、ってことでグリーンバードは杉山文野を南極に送り出すことになったとか。

DSC_0911.JPG(c)Sugiyama Fumino Inspire Antarctic Expedition 主催のロバート・スワンと。

「今回参加したプログラムはInspire Antarctic Expedition 2009というので、ロバートが主催し世界中の若者を集めてリーダーを育成しよう、というのは持続可能な社会をつくるために、環境問題に取り組んでいる人だけじゃなくいろんな分野で環境を視野に入れたリーダーをつくっていこうとい南極合宿のようなもの。なぜ南極なのかというと、南極というのは地球上で唯一国境のない大陸、世界が共有している大陸。だから、環境問題のように国境のない地球全体としての問題を考えるのは一番いい場所なんじゃないかということで、ゴミを拾うのが目的じゃないんだけどロバートがゴミを回収したような場所を見たり、船の中で気候変動やいろんな社会問題をディスカッションをしてきた。」と文野クン。若干補足すると、もともと気象条件の厳しい南極はかつては未踏の地であったわけだが、1900年初頭にイギリスなどが領土主張をするようになると、従来の領土主張根拠である先占ではなくいわゆる定住困難な場所故のセクター主義が主張されるようになる。しかし、科学技術の進歩により先占という実効支配も可能な状況になり、領土獲得競争が激しくなることが予想され、世界が南緯60度以南の氷棚を含む地域を共有し平和のための利用をすることを定める条約を1959年に締結、これを南極条約という。南極条約は1961年より効力が発生し有効期限は30年だった。30年経った1991年新たに南極条約議定書(マドリッド議定書)が採択された。この議定書では南極地域における鉱物資源採取の禁止、在来動植物の採捕・有害干渉の禁止、非在来種の持ちこみ禁止、廃棄物の適正処理、あらゆる活動に関する環境影響評価の実施等を定めている。現在日本を含む33ヶ国が締約しており、その失効は2041年となっている。Inspire Antarctic Expedition 2009の上部サイトは2041.comとなっているが、つまりは来るべき2041年を前に環境保護面で未来のリーダーを育てていこう、そのステージとして南極があることがうかがえる。Inspire Antarctic Expeditionは、コカ・コーラがサポートカンパニーになっていて、ちょうど今年からグリーンバードのサポートカンパニーにコカ・コーラが参加するようになった縁も重なり、実現したようです。

南極へは、オーストラリアやニュージーランドから船で行くのと、もうひとつはアルゼンチンの"End of the world,biginning of everything"と言われる街、ウシュアイアという港町があってそこから船で行く。参加者は全18カ国、85人の参加。日本人はフミノだけだったそうだ。アジアで言うと中国が10人くらい、あと欧米の人が多かったとか。ビーグル水道から世界で一番波が荒いというドレイク海峡を2daysで南極へ。

DSC_0324.JPG DSC_0423.JPG(c)Sugiyama Fumino 南極に新種を持ち込んで生態系を破壊しないようにということで、体中に掃除機。靴も洗います。

DSC_0322.JPG DSC_0413.JPG(c)Sugiyama Fumino そして南極大陸へ。

「南極につくと、基本的には船で寝泊まりするのだが、一日だけ上陸してキャンプをしました。雪を固めて塀をつくったり、テントを建てたりしたんですけど、なぜか外で寝ました。人数が80人くらいいたわけですよ。本当はテントの数からいうと二日間にわけてキャンプをするはずだったんだけど、翌日の天候が分からないと、天気が悪くなりそうだったからもしかしたら半分行けるけど半分無理かもしれない、だったら今日やってしまえってことで一日で80人のキャンプをすることに。だったらテントが足りない、じゃ外で寝ろってことになって、せっかく南極で外で寝るなんて人生で一回だけだと思って外で寝ましたけどもう、そこは宇宙でした。
めちゃくちゃ寒いんだけど、最初天気が悪くて見えなかったんだけど、寒すぎて目が覚めたら、もう満天の星空ですよ。あそこで口説いたらまちがいなく落ちるw
天の川なんてもちろん肉眼で見えるし、サテライトも動いてるのが見えるし、流れ星なんかばんばんだし、もう、宇宙なわけですよ。
そんなとこでこんなキャンプをして幸せ者です^^ありがとうございます!!」という具合だったよう。

DSC_0401.JPG DSC_0507.JPG(c)Sugiyama Fumino 「南極では、夏は11月から3月くらいまでで、その期間、自分らが行ってたころはマイナス5℃からマイナス10℃くらいだった。手つかずの自然ってこういうのを言うんだなって、本当に天国みたいに素晴らしい景色でした。アザラシ、ペンギン、クジラ・・・と。

2041 09-184.JPG(c)Sugiyama Fumino

2041 09-160.JPG(c)Sugiyama Fumino

DSC_1347.JPG(c)Sugiyama Fumino E-baseは再生可能なエネルギーだけで稼働

南極は国単位でしか建物を建てたりできないんだけど、ロバートはゴミを回収したという実績が認められて建てたE-baseという場所をもっている。以前ロバートは環境問題のトピックをゴミとかにおいていたんだけど、今はエネルギーの問題に一番力を入れている。どうやってそういった再生可能なエネルギーを利用していくか、それで生活していくかってことで、E-baseは全部風力発電とかソーラーパネルといった再生可能なエネルギーで賄っている。1500tのゴミを回収はしたが、そうは言ってもまだ細かいゴミもたくさん落ちていた。ということで、掃除をしました。」

DSC_1371.JPG(c)Sugiyama Fumino

ここで本題・・・「ゴミを拾ったわけです。でもゴミ拾いがメインなわけじゃないんで、拾っても拾ってもきりがないと。拾えばすぐゴミは集まるんですけど、ゴミってのは一人で手に負えるものじゃない。今回のメインはデセプションアイランド、ゴミ・ゴミ・ゴミ・・・。

DSC_0080.JPG(c)Sugiyama Fumino 『ここは南極にとって重要文化財です』・・・・・

デセプションアイランドはもともと捕鯨基地として使われてたんだけど、ここは火山なんですよ。火山の影響もあり、捕鯨を本当は続けたかったんだけど断念しました、っていう言訳で未だにゴミ、廃棄物、残骸、美しい自然の傍らこんなところがいっぱいあるんです。ここが変だよ南極っていうのは、廃墟のプレートに書いてあるのは『ここは南極にとって重要文化財です、だから撤去もせずに残してるんです』と。でも、ただのゴミなんですよ。ただ、自分たちが回収できなかっただけ。南極は全部で100くらい各国の基地がある。もちろん新しく基地を建てるのも大変、だけどそれ以上に維持したり撤去したりするのが大変ってことで、いつかかたずけるよとか、そういう理由のもとにゴミを不法投棄したままになってます。

DSC_0119.JPG DSC_0224.JPG DSC_0048.JPG(c)Sugiyama Fumino デセプションアイランドの捕鯨基地の残骸

キャタピラ、タイヤ、鯨油を抽出してたときのタンク・・・これが南極の現状です。
イギリスが基地として使ってた場所があって、生活した頃のそのまま遺してあって、それが博物館ですよって言い方をしてる。自分たちが撤去できなかっただけなのに。
今ある基地では、それぞれ気象学、天文学、生物学などといった研究をしている。地球上で唯一国境の無い大陸って言ったけど、南極での観測とか研究は、その情報も共有されているとか。地球のために情報を共有していこうって。だけど、この前までアルゼンチンの救助隊の基地があって、自分が行くちょうど2カ月くらい前に大きい台風みたいなものが来て壊れちゃったと。それが何も撤去も撤収もされずにそのまま放置されていた。レスキューだからか、薬品とか針とか電気機材とか、放置されて捨てられてる。こういうのが南極の生態系に影響しないわけがない。」

DSC_0983.JPG DSC_0989.JPG(c)Sugiyama Fumino 放置された医療廃棄物、薬品の数々。こんなのが放置されて生態系に影響ないわけがない。

DSC_1001.JPGペンギンもやってられないと・・・(c)Sugiyama Fumino

"Think global, Act local"

最後に杉山文野クン、「こういう会を開いて、だから何?ってことなんですけど、別に今日落とし所も何もない。ただ、一番問題なのはこういう事実があるっていうことを知らないっていうのが問題なんだなと。だから、事実を知っていただいて、よく言われてますけど"Think global,Act local"(シンクグローバル、アクトローカル)っていう、世界規模で考えてやることは足元から、っていうのは本当だなと思っていて。環境問題とか社会のことを考え始めると、あまりに自分の無力さを感じ何もできないと思うんだけど、やれることは自分たちの足元からやろう、だから自分の足元のゴミを拾う、というのもいいかと思うんですけど、でもやっぱり世界規模地球規模で考えると、こんなことが起きてるんだっていう視点も持ってたらいいなと。で、そういう情報を共有できたらいいなということで、今回はやらせてもらいました。皆さん、歌舞伎町から一年半くらい離れましたけど、本当にご迷惑をおかけしてスンませんでした。これからもよろしくお願いします。」

DSC_0219.JPG(c)Sugiyama Fumino 南極にて。手つかずの自然と隣り合わせに廃墟や残骸、それが南極の現実

自分がどうこうコメントするのは邪魔だね、杉山文野君が言ってたように落とし所がどうとかじゃなく、あくまで彼が見てきた“世界のゴミからみるセカイ”-もちろんそれは世界の“ある部分”であるかもしれない。そこにあった彼が感じた見てきた事実、おそらくこれから講演などをするのだろうけど、まずは一足早くざくっとだがアウトプットだけさせてもらった。※口述書き取りのため若干ちぐはぐや不適切な表現があったかもしれませんがご了承ください。

P4070043.JPG(c)Sugiyama Fumino

杉山文野ホームページ:1981年8月10日生まれ、グリーンバード歌舞伎町チームリーダー。歌舞伎町をこよなく愛する27歳。最近ホームページをリニューアル、写真など随時アップしていくとのこと。


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