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新宿東口に沖縄がやってくる!7月28日(土)2007 新宿エイサーまつり開催 [祭]

今年も新宿東口に沖縄がやってくる!7月28日(土)、2007年の「新宿エイサーまつり」が開催。

▲2007 新宿エイサーまつり公式パンフレットPDF版▼2006年第5回新宿エイサーまつりより

 

すっかり新宿の夏の風物詩となった新宿エイサーまつり。三代目高野吉太郎氏が「新宿東口の4商店街でなにか一緒になってイベントをやろう。」そんな言葉から始まったこの新宿エイサーまつりも今年で6回目になる。三代目高野吉太郎氏が亡くなってからは当時新宿駅前商店街振興組合の理事長だった平正幸氏も昨年7月に亡くなり、今年からは新たに実行委員会会長に小柴和正氏(㈱伊勢丹 代表取締役会長)を、実行委員長に四代目高野吉太郎氏(㈱新宿高野 代表取締役社長)という体制で開催される。会場もこれまでの新宿大通りの4会場(Aアルタ前・B新宿高野前・C三越アルコット前・D伊勢丹前)に加え、新宿大通りイーストビル前を新たにE会場とし、また18時以降はモア4番街・東口中央通り・歌舞伎町シネシティ広場をそれぞれ会場とし21時まで真夏の夜を盛り上げる。

エイサーとは?沖縄の盆踊りともいえるエイサーは、旧暦7月15日に舞う念仏踊りです。沖縄のお盆は7月13日から15日までの3日間。13日のウンケー(お迎え)でご先祖の霊を迎え入れ、14日のナカヌヒー(中の日)を経て15日のウークイ(お送り)には親族が集まりご先祖様をお見送りします。エイサーはご先祖様をにぎやかにお送りするために踊られるのです。

今年の新宿エイサーまつりは参加チームは15、演舞者数は約700名、警備・スタッフが約300名、そして来場者数は約80万人という新宿では最大級のイベント。また新宿駅東口4商店街が合同で行う唯一の催事でもある。

◆新宿と沖縄エイサーの不思議な縁

エイサーの歴史・由来について調べてみると、1603年、琉球王国時代に仏教が伝わり、葬儀や法事でニンプチャー(念仏者)が念仏歌を歌って霊を供養するようになったのが、エイサーの原型であると言われている。そして、更にエイサー踊りの由来について、「袋中(たいちゅう)上人」というお坊さんが沖縄で始めた念仏踊りが定着したという説が有力とある。実は、その袋中上人の末裔と言う方が、なんと新宿の、それも新宿誕生ゆかりの寺の住職だという。

太宗寺住職・問川良元氏

「私の実家は、福島県浜通りのいわきと言うところなんですが、袋中(たいちゅう)上人というのは、そこの実家の寺(浄土宗)の十三代住職、安土桃山から江戸初期にかけていたのが袋中上人なんです。」と、新宿・太宗寺(新宿区新宿2-9-2)の現住職、問川良元氏。
「住職が経典を求めてインドに渡ろうとしたんですね。三蔵法師のように。17世紀初頭、最初、中国に渡ろうとして、まず琉球にたどり着いた。琉球で、中国に渡る準備をしていた矢先に当時の江戸幕府から鎖国令(1630年代)が出るんです。鎖国令が出ると、海外から帰ってきたものはいいよと、しかし、それから出国したものは帰国できないということになり、袋中上人は渡航を断念するんです。当時、日本本土には北伝の仏教(中国・朝鮮経由)が広まっていたが、南伝の仏教(インドからタイなどを経由)はほとんど入ってきていなかった。そこで当時はまだ琉球には仏教が根付いていなかったそうです。北伝の仏教は、本土から琉球にやってくるものを薩摩の密偵とみる習慣があったこともあると思います。しかし、袋中上人は、やがて時の琉球王に認められ、琉球の地に仏教を広めることになったようです。もともと、袋中住職の出身であるいわきには、じゃんがら踊りという所謂念仏踊りがありまして、彼はそれを琉球の地で広め、それらが下地となり、もともと琉球にあった集団舞踊と融合してエイサー踊りになったといわれてるんです。」
新宿は甲州街道に1699年に開設。新宿はもともと新宿御苑一体を下屋敷としていた信州高遠藩主で譜代大名内藤家の土地の一部などをあててできた新しい宿場町=内藤新宿がその由来である。そして、その内藤家の菩提寺として歴代当主・一族が葬られている由緒ある大名寺である。

新宿区指定史跡 内藤正勝の墓(内藤家墓所)
江戸時代、信州高遠藩主譜代大名内藤家の墓所で、かつては約300坪・57基の墓塔があったが、昭和27年東京都の区画整理事業に伴い現在地に改葬された。墓塔は中央が五代正勝、右が十三代頼直、左が内藤家累代の墓塔となっている。
問川住職はこの太宗寺の娘婿にあたる方だが、新宿のルーツが今も眠るこの寺に、なぜか沖縄エイサー発祥のDNAを持つご住職がいまここにいる、そして新宿エイサーまつりは今や新宿最大のお祭りとして成長しているというのも、なにか不思議な縁を感じずにはいられない。

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7月28日(土) 2007 新宿エイサーまつり開催~新宿東口に沖縄がやってきた!~ [祭]

7月28日(土)、新宿駅東口において2007年度の新宿エイサーまりつが開催された。新宿エイサーまつりは、新宿駅東口四商店街が合同で行う唯一のイベントとして、故三代目高野吉太郎氏、沖縄出身で沖縄料理店「やんばる」のオーナー東(あずま)氏らの呼びかけによって始まり、今年が第6回目の開催となる。(関連記事:昨年開催、7月29日(土) 新宿エイサーまつり2006(第五回)開催~新宿が沖縄色に染った一日 おととし開催、7月30日新宿エイサー祭 新宿エイサーより、その2

 

2007年 新宿エイサーまつり:平成19年7月28日(土)13:30~21:00開催

場所:新宿駅東口一帯(新宿通り[大ガード~新宿2丁目交差点])、新宿東口中央通り、モア4番街、歌舞伎町シネシティ広場
主催:新宿エイサーまつり実行委員会(新宿大通商店街振興組合、新宿東口商店街振興組合、歌舞伎町商店街振興組合、新宿駅前商店街振興組合)
後援:新宿区、沖縄県、那覇市、財団法人沖縄観光コンベンションビューロー、東京商工会議所新宿支部、財団法人東京観光財団、新宿区観光協会、新宿文化・国際交流財団

新宿エイサーまつり公式パンフレットPDF版

↑写真右より小柴和正氏(新宿エイサーまつり実行委員会会長、㈱伊勢丹代表取締役会長)、四代目高野吉太郎氏(新宿エイサーまつり実行委員会実行委員長、㈱新宿高野代表取締役社長)、竹之内勉氏(新宿大通商店街振興組合理事長)、安田眞一氏(新宿東口商店街振興組合理事長)、新村雅彦氏(歌舞伎町商店街振興組合理事長)、蛭川和勇氏(新宿駅前商店街振興組合理事長)。

新宿エイサーまつり実行委員会会長小柴和正氏

「東京では東京ミッドタウンという旧防衛庁跡に大きな再開発が行われまして多数のお客様がお集まりいただいている。また、丸の内では新丸ビルが建て直しをし、立派な商業施設、飲食施設を備えオープンしました。大変話題を提供しているわけですが、わが新宿もですね3丁目のイーストビルの完成が2月にございまして、そこにテナントとしてマルイさんですとか、東宝と東映のシネマコンプレックスであるバルト9という映画館が9つある、そういうものが新たに誕生しまして沢山のお客さんに楽しんでいただいている。また、来年の6月になりますと副都心線という地下鉄が完成をいたしまして、ますます新宿にお客さんを運んでくださるかと。我々も、お客さんがたにいかにサービスをするか、いかに楽しい思いをしていただくかということで、これからも日夜努力をしていきたいと思っているところでございます。この新宿エイサーまつりは、新宿駅東口には四商店街があるのですが、この四商店街の皆様方が本当に研究を重ね、新宿エイサー隊(チーム)などを作り、沖縄などのチームと一緒になって見ていただくということをやっているわけですが、これからもこういう催し物を一生懸命、新宿として、大通りとして、あるいは商店街として創り上げていきたいと思っています。」

中山弘子新宿区長。「このエイサーまつりは今年で6回目を迎えます。もう、すでに新宿の夏の風物詩として定着をしてまいりました。これも、この新宿駅周辺の4つの商店街の方々が手を繋ぎ、そして力一杯運営をしている、そこに沖縄の皆さんをはじめ多くの皆さんのご協力によってこのように開催できている。私は新宿の街を大好きな者として心から皆様に感謝を申し上げます。永い歴史に裏打ちされた沖縄の伝統芸能エイサーの魅力を鮮烈にアピールするそんな場として東京のまんまん中の新宿、その中でも日本最大の繁華街、新宿駅東口という最高の舞台を提供できることは新宿区民の誇りでもありますし、とても嬉しく思っております。年々参加団体も増えまして、今年は16団体が参加し、もちろん沖縄からも、都内、それから神奈川からもご参加いただいています。また、地元からは新宿エイサーチームはなんと90名の総勢です。最初の頃、祭りは参加型じゃなくちゃねってことで、新宿エイサーチームを作ったときにはこんなに多くはありませんでした。きっと素晴らしい演舞を見せてくれるでしょう。私はこの新宿の街が大好きです。新宿の街が、賑わいも一番で暮らしやすさも一番の街になる、エイサーまつりのエネルギーをもっといただいて、この街が活気溢れる懐の深い街、そんな街でありたいと思っています。エイサーの楽しい、力ある踊りを期待しています。今日おいでいただいた皆様、本当にありがとうございます。エイサーを楽しんでいただくことはもちろん、沖縄を知っていただき、また、それと合わせてこの懐の深い街新宿をもっともっと好きになっていただけたら幸せです。」

新宿エイサーまつり実行委員会実行委員長の四代目高野吉太郎氏「おもてなしの心、これを大事にして新宿エイサーまつりを盛り上げ、今後も育てていきたい。」

ミス沖縄の3人。左から2006ミス沖縄クリーン・グリーン・グレイシャスの嶺井仁美さん、2006ミス沖縄コバルトブルーの中島茜さん、2006ミス沖縄スカイブルーの上地佳乃さん。ミス沖縄は沖縄の観光親善大使として全国の観光キャンペーンや公式行事等に出席するのだが、毎年8月1日からが任期なので、言ってみれば沖縄県外での彼女達の本当の最後の仕事がこの新宿エイサーまつりになる。

オープニングセレモニー後、最初に新宿大通りA会場(アルタ前)で演舞するのが結成4年目になった新宿エイサーチーム(安田眞一新宿東口商店街振興組合理事長が監督を務める、新宿地区活性化のために公募によって結成されたチーム↓演舞前に集合写真)

そして演舞開始。気温35℃、今年最高。ソールの薄いパンプスじゃ多分辛いだろうなというくらいアスファルトの上は暑かった^^;湿度はやや低め(それでも60%程度はあったかな、体感です)

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9月15日(土)16日(日)新宿十二社熊野神社例大祭【告知】 [祭]

9月15日(土)16日(日)、新宿総鎮守で歌舞伎町もその氏子である十二社熊野神社の例大祭が行われる十二社熊野神社は、由来に拠ると14世紀、室町時代の応永年間(1394年~1428年)に中野長者と呼ばれた鈴木九郎が故郷である紀州の熊野三山より十二所権現をうつし祀ったのが始まりとある。この説をとって1997年には御鎮座600年を記念して二ノ宮神輿が製作されるなどあったが、実質現在の「熊野神社」と呼ばれるようになったのは明治維新以降のようである。十二社(じゅうにそう)の地名は今はなく西新宿4丁目にあたるわけだが、この十二社熊野神社は新宿西口から新宿駅周辺、歌舞伎町までを氏子の範囲としている。やや複雑なのが歌舞伎町の中であって、歌舞伎町一丁目はこの熊野神社の氏子であるが二丁目は鬼王神社、歌舞伎町1-1にあたるゴールデン街のエリアは花園神社の氏子になっている。これは、もともと歌舞伎町二丁目は西大久保から、ゴールデン街は三光町からそれぞれ町名改正で現在の歌舞伎町に組み入れられた名残である。

毎年、秋の9月中旬に行われる新宿十二社熊野神社例大祭だが、本年は9月15日と16日に行われる。15日は神輿の御霊入れなど祭礼のみ。16日は昼ごろから夜にかけ神輿渡御が行われる。3年に一度陽祭として宮神輿渡御が行われるが、これは昨年だったので、今年・来年は陰祭として町内神輿連合まで、宮神輿は出ない。

昨年の歌舞伎町内神輿渡御、セントラルロード付近

平成19年度熊野神社歌舞伎町睦町内東部連合神輿渡御予定

  • 13:15 宮出し(弁天堂・歌舞伎町公園より)~町内渡御、靖国通りへ。角一東部、南部連合みずほ銀行(モア4)前に
  • 14:00 アルタ前にて三睦にて神輿差し上げ
  • 14:30 東部睦とモア5番を靖国通りへ
  • 15:30 靖国通り三平前より、歌舞伎町睦は桜通り入り口よりあずま通りへ~町内渡御
  • 16:30 花道通り~シネシティ広場へ
  • 15:15 シネシティ広場から桜通りより西町会西武駅前~えび通り~一番街
  • ~19:00 一番街からセントラルロード周回~宮入へ(弁天堂・歌舞伎町公園)

お神輿 一緒に担いでみませんか?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

平成19年9月16日(日)、歌舞伎町を含む新宿駅周辺地区をお神輿が練り歩きます。神輿渡御には、一般の方でも参加できます。参加してお神輿(町神輿・子供神輿)を担いでみたい方は事前に歌舞伎町商店街振興組合03-3209-9291までご連絡またはお問い合わせください。

  • 神輿渡御日程 9月16日(日)午後1時~8時ごろまで
  • 担ぎ手集合時間 午後1時

昨年9月17日開催関連記事 一昨年9月18日開催関連記事


 

memo φ..."岸信介にもなれなかった安倍晋三"

9月12日(水)午後2時、首相官邸で緊急の記者会見が行われ、「総理の職を辞すべきだと決意した」という安倍首相退陣のニュースが流れた。報道によると、首相は参院選惨敗後、内閣改造による政権立て直しを図っていたが、臨時国会でテロ対策特別措置法の延長問題の展望が開けないことなどから、政権維持は困難と判断したとある。

7月の参院選の自民大敗後、それでも総理の席を降りなかった安部首相であるが、その後8月27日には内閣改造、今月9月に入っては8-9日とAPEC(アジア太平洋経済協力)首脳会議に出席、会場のシドニーでは日・豪・米の首脳が集まっての意見交換があった。そこでアメリカ、ジョージ・ブッシュ大統領とオーストラリア、ジョン・ハワード首相と安倍総理が話したのは、「テロとの闘い」におけるこれまでの評価と今後の継続、つまり日本的に言えばテロ対策特別措置法の延長の約束であることは明白、あるいは国会運営上11月1日の期限まで間に合わないにしてもその1ヶ月後くらいは・・なんて話をしてきたかどうかまでは分からないが、そして帰ってきて10日に秋の臨時国会スタート、所信表明演説とあれば、そう、誰が見たって今そのタイミングで退陣するのはないだろうっていう時に、遅すぎるのか早すぎるのか、どちらにしてもありえない時期の退陣表明。

安倍首相は、故・安倍晋太郎元外務大臣を父に持ち、第56・57代内閣総理大臣の岸信介を祖父に持つ。かつて安倍晋三が内閣総理大臣になり「美しい国」を掲げ戦後レジームからの脱却を唱え、憲法改正(~自主憲法制定)を目指す彼の姿を当時の岸信介となにかがだぶって見えた気がした。といっても自分は岸信介の時代に生まれているわけではないが、つまり当時の60年安保闘争の時代、岸信介が日米安全保障条約の改正案を衆議院で強行採決、「民主主義の破壊」と国民に反安保(反岸内閣ともいえるが)の運動が高まり、これに乗じて国政も大混乱を招き、結果的に岸は強行採決から約1ヶ月後に総辞職をする。この時、岸が目指した安保改正は、一つにはサンフランシスコ講和会議時に締結された旧日米安全保障条約における不平等部分の修正(いわば日米地位協定)である。戦後混乱期に、アメリカとの単独講和という究極の選択によって現在の日本国の国の形をなんとか残し独立国としての体裁を保った吉田内閣が残した負の遺産部分がこの旧日米安保における日米の地位にあたる部分で、これを岸内閣は明記しようとした。また、戦後混乱期、わらをもつかむ思いで独立(の体裁かもしれないが)を果たすに比べ、国防という最も大きな経済的リスクをアメリカが背負うことによって、いわば日本の経済発展を優先しようという軍事同盟というより経済的な側面の強い特徴もあったと思われる。結果として安保改正は参議院の審議を行うことなく自然成立し、そのまま現在の日本の国の経済発展における礎ともなったといえる。

さて、60年安保闘争の本題はむしろ戦後間もない日本人の戦争に対するアレルギーとも言える「戦争に巻き込まれる可能性の増大」からくる反戦と、岸内閣の強行採決による民主主義の破壊に対する闘争という部分があるが、一方で世界の潮流は第三の流れ、つまり冷戦下における第三の選択、つまり中立を模索した潮流が巻き起こっていたということもある。この流れ、いわば日本は本来的に独立国なのかどうか?あるいはアメリカの属国なのか?もしくはアジアの中の一つの国なのか?という問いかけでもあって、吉田内閣にしても岸内閣においても、そしてその後の歴代内閣が答えを出せていないもっとも重要な議論である。安倍内閣が「戦後レジーム」からの脱却とは、いわばこれに対する議論の投げかけであったのではないか、と思う。

これに対する一つの答えとして、自主憲法制定、つまり完全なる独立国である日本国となりうる条件とは何か?50年後の日本が「美しい国」としてあるべき姿は何なのか?これを大上段に構えたのが安倍内閣が目指した本来の方向性だったはずだ。その最初のハードルとして、たまたま日米の利益が合致していたテロ対策特別措置法の延長、つまりこの国の国際貢献のあるべき姿へと向かうベクトルに整合性を併せようとしていた矢先だったと考えられる。吉田・岸両内閣が残していった宿題、独立国としてあるべき姿を安倍晋三は答えを出せなくてもせめて議論に乗せようとしていたのではないか。

安倍総理が仮に続投していたとしても、国会は紛糾しつつもテロ対策特別措置法は衆院通過→参院秘訣→衆院2/3で成立、というかなり激しい強行採決に向かったであろうし、そうなると考えていた。まさに、岸内閣の安保改正の強行採決の流れとだぶる。そして、さすがにそれから総辞職なり解散総選挙なりという形になるんだろうな、多分そう予想していた人も多かったのではないか。あるいは、安倍総理本人もその覚悟があったのではないか。それが、APECでオーストラリアに飛んでいた最中に、安倍総理抜きで麻生幹事長・与謝野官房長官らによるテロ対策特別措置新法の案が突如として表に出る。安倍総理にしては完全に寝耳に水だったのではないか。総理抜きで完全に政治が動き始め、もはやお飾りにもならない自分の立場を思い知る、そして辞意表明へ。これがこの数日の出来事だった。まさに岸信介にもなれなかった安倍晋三といったところか。

日本は国連重視?アメリカ重視でいくのか?あるいはアジア(中国)重視でいくべきなのか?そもそも独立した国家といえるのか。

インド洋上における補給・給水は集団的自衛権の範囲にあり、違憲、これが民主党のテロ対策特別措置法反対の理由である。集団的自衛権とはいうが、いわばアメリカの戦争を日本が支援するのかしないのか?という議論であり、つまるところ日本はアメリカの庇護の下にある準独立国というか、はっきり言ってしまえば属国なのか?という議論に答えを出さずに戦後ずーっとやり過ごしてきたツケが今回ってきていると言える。

  • 仮に国連重視で行くなら、反米国家と協働する可能性を残しているが、それが可能なのかどうか?
  • アメリカ重視で行くなら、現状のままだが、その場合国連とアメリカがねじれた場合、国連を無視してでもアメリカと同盟関係を維持することが可能かどうか
  • そもそも、日本は独立国と言えるのか?

この答えを民主党も自民党もいまだ持ち合わせていない。あるいは、心に思っていても言葉に出来ないでいる。そして、そんな重要な課題に取り掛かろうとした安倍内閣は、最初に北朝鮮政策で失敗し(そもそも横田めぐみさんの遺骨騒動の顛末、つまり遺骨は横田めぐみさんの遺骨であった可能性を残せば回避できた外交的リスクをまともに受け、一方でその可能性を打ち消す政治的判断による大失策、その後の北朝鮮政策において政治が漂流せざるをえなくなったのは、政治が横田めぐみさんの遺骨であった可能性を言及できなかった、つまり民意に日和る政治能力の脆弱さから来ている)、さらに政治と金の問題で引きづり下ろされた。しかし、マスコミは政局のみをワイドショー的に捉え、必要な議論を国民に投げかけてこなかった。そして先の参院選の結果を「直近の民意」と民主党支持があたかも民意であるかのごとく捉える小沢一郎党首の言い方はかなり横暴で、民意はそもそも反自民ではあったにせよ民主支持ではない、つまりアンチ自民がたまたま他になかった受け皿として民主に票が流れたに過ぎないのではないか。

そして、国民は参議院を軽視したんだろう。6年任期の解散なし、そのことを重く考えていなかった。軽はずみに反自民を票として反映させ、結果としてネジレ国会という状態を作ってしまった。国のあり方が問われている今、本来議論すべき問題を先送りして軽率な政局に載ってしまった国民と、それに乗せたマスコミの罪は重い。

国と国が戦争する、そういう時代からテロの時代に入ったというのは、教育レベルや科学に対する情報共有によって例えばEMP等を含む「核兵器」が国でなくとも持ちうる時代に入ったという意味だ。人を一人も直接殺さずに国家を転覆させる方法は、ちょっとした組織であればすぐにでも簡単に入手できる時代がすぐそこまでやってきている。そういう時代に突入しつつある今、国防というインフラにおいて日本という国はあまりにも脆弱すぎるのではないか?性善説にたって「戦争放棄」を掲げ、これを一つの精神的支えにした中立・独立論というのもあるかもしれない。でも、その選択に対する平和への担保はどこにあるのか。

その担保と思われがちな「日米安保条約」、その第5条には、Each Party recognizes that an armed attack against either Party in the territories under the administration of Japan would be dangerous to its own peace and security and declares that it would act to meet the common danger in accordance with its constitutional provisions and processes.とある。either Party in the territories under the administration of Japanとは、条約締結をした日本とアメリカをさすのではなく、日本の主権に対し治外法権を持つ施設(アメリカ大使館や米軍基地)と、そうじゃない部分(つまり日本固有の領域)がそれぞれPartyであり、つまりアメリカ軍の活動範囲は自国の施設およびその周辺の日本国内の一部に対する危機が日米両国共通の危機であり、この共通の危機に限定された行動をすると規定されているわけで、日本本国の危機に対するアメリカ軍の行動義務はない(しかしアメリカは集団的自衛権を認めている)。日米安保条約は、そもそも日本国内における在日米軍施設の防衛を規定・宣言していると言ってもいい。

個人的には安倍政権がめざしていた「美しい国」づくりもコンセプトは正しいと思っていたし、ストレートではないにせよこの国のあり方がどうあるべきかを問う、いわばするべき議論を誘導するであろう大事な施策を打ち出していたと評価していた。それがこういう形になったのは、やはりそこは岸信介と似ているのか民主主義の捉え方を間違ったというか、あるいは民度を読み違えたというか。。。。さて、兎に角、安倍さんは去った。自民党の総裁選は14日告示19日投票の日程で進められているようだ。麻生幹事長最有力とはいえ安倍さんを支える裏では蚊帳の外に置こうとした罪は重いか、古い自民党の体質そのもの、小泉元総理の再登板の声もあるようだが、どうだろう。小泉さん自身が「一回民主にさせてみればいい」と言ってたくらいだし。いずれにせよ、誰がなっても国会は衆参ねじれたままで運営は今後も非常に難しい。再編に向けて小沢一郎をひきずり落とし民主党を割れる人材か、あるいは建前はどうであれ裏で協調できる人材がいるのかどうか、なければ来年早々あたりにくるであろう総選挙までのつなぎ政権になる可能性も高い。つなぎなら与謝野官房長官あたりが適役か。咽頭癌からは復帰したばかり、体力的には不安はあるものの、一番クリーンで足が引っ張りにくいタイプ。福田さんもそうだが、引退前の最後に一花ってこともあるかな。短命政権→総選挙→民主政権→再編??と、少なくともあと2回程度の総選挙を経てまったく今の形と違う自民・民主のあり方へと繋がっていく、なんとなく政治的混乱期がまだじばらく続くことは読めてしまう。

ただ、だれがなるにせよ、日本のあるべき姿は何なのか、国益上アメリカの属国という姿でいいと言う意見もあるだろうし、いや、ちゃんと独立国としての姿・中身をそろえていくのか、やや国益に反したとしても独立国としてのポリシーと正義を持った国とするのか、そして今世紀中に来る地球全体の環境、食料危機における日本国の生存権をしっかりと得られる施策とビジョンを国民に分かりやすく説明できるものが国のリーダーであって欲しいし、そうあるべきと思っている。政治自体も、表面の民意に迎合し票になる施策のみを打ち出すことから1日でも早く脱却し、本来必要な施策を国民に説明し打ち出す政治へと生まれ変わって欲しい。その上で、国益にそう施策を政治に反映すべきであり、また、それをちゃんと国民に伝えるという意味でメディアにもその責任がある。それが叶わないのならばこの国は、多分沈む気がする。


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9月16日(日)熊野神社例大祭神輿渡御 [祭]

9月16日(日)、十二社熊野神社の例大祭が行われた。歌舞伎町1丁目はこの熊野神社の氏子であり、熊野神社の13睦の一つとしてこの祭りを盛り上げた。9月15日、歌舞伎町公園(弁天堂公園)にて歌舞伎町睦の神輿の御霊入れが行われ、16日には神輿渡御。宮出しが13時で、宮入の19時まで歌舞伎町及びその周辺を神輿が練り歩いた。

 

今年の熊野神社例大祭は陰祭で宮神輿は出ない。その分町神輿が祭りを盛り上げる。新宿駅東口周辺の3睦(歌舞伎町・角一南・角一東)は、それぞれの神輿を担ぎながら新宿アルタ前を目指し合流。

丁度今月の21日より30日まで秋の全国交通安全運動が始まることもあって、新宿警察署・新宿交通安全協会として「新宿の街から飲酒運転をなくそう」の横断幕を掲げ、3睦合同で記念撮影。

 

アルタ前での3睦連合が済むと、神輿はそれぞれ各町内へと向かう。

歌舞伎町に入って花道通りで鬼王神社の神輿と出会う。歌舞伎町2丁目は鬼王神社の氏子で、今回鬼王神社の氏子連合の方から歌舞伎町睦に申し出があり、花道通りにおける連合での渡御が実現した。最後に、歌舞伎町交番と振興組合ビルの前の交差点で、二基の神輿が交番に向かって差して分から分かれた。

夜になると、熊野神社の流儀である千鳥担ぎから江戸前担ぎに変更。担ぎ手も江戸前になると一気にテンションが高まってくる。このまま19時の宮入を目指し、町内を練り歩く。

 

↓宮入の景色、19時半ごろ。

300人を越える担ぎ手が集まり、例年以上に盛り上がった今年の祭り。気温は33℃まで上がったものの風もあり、気持ちのいい1日だった。祭りはもともと出会いの場であり、またもっとも原始的な街づくりのスタイルでもある。自分が歌舞伎町の祭りに関わるようになってこれで3年目であるが、商店街の構造が疲弊した疲弊したとは言うものの、町内の人たちが自分達の手作りで祭りを取り仕切れる歌舞伎町は、まだまだポテンシャルの高さがあるなぁと感じる。来年は六睦連合、そして再来年はいよいよ陽祭として本社神輿がでることになる。


9月17日(月)歌舞伎町グリーンバード

毎月第一・第三月曜の19時より行われているボランティアゴミ拾い活動のグリーンバード歌舞伎町チーム。そのチームリーダーであった杉山文野クンが18日よりイギリスに留学することになった。ケンブリッジに語学留学ということで、ひとまず4ヶ月。ということで、しばらくグリーンバード歌舞伎町は、杉山文野クンが居ない間は、文野クンの同級生の砂押悠子さんがチームリーダーを努める。

杉山文野クンとしばしのお別れと言うこともあって、17日は50人を越える参加者があった。

文野クンと新チームリーダーの悠子ちゃん。

 

 

↓イギリスの行く文野クンを挟んで、悠子ちゃんと真輝クン。真輝クンは、ホストクラブのAPiSグループの経営者であり、またホストのボランティア活動組織「夜鳥の界」の発起人でもある。これまでも、グリーンバードの活動や杉山文野クン自身の活動で陰に日向に支えてきた二人が、そのままこの後の歌舞伎町グリーンバードを支えていくことになる。

 

 


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10月6日(土)7日(日) 第26回 歌舞伎町まつり [祭]

↑10月7日(日)19時から歌舞伎町まつりのメインイベント、東京六大学応援団連盟による応援合戦より

10月の1日より21日の期間、新宿区では秋の新宿を彩る様々なイベントを主催あるいは協賛している。これを「大新宿区まつり」とし、とくにこの期間中の最大のイベントが10月7日に開催される新宿芸術天国(新宿芸術天国実行委員会主催、大新宿区まつり実行委員会・新宿区・新都心PR委員会が共催)。歌舞伎町では、これらの協賛企画として10月6日7日の土日に「歌舞伎町まつり」が開催された。歌舞伎町まつりは今年で26回目の開催、かつてはふるさと祭りという名で開催されたりといろいろ形は変わってきているが、ここ数年のメインイベントはなんといっても7日に開催される東京六大学応援団連盟による応援合戦。東京六大学応援団の6本の団旗が一斉に並ぶのは日本でここ歌舞伎町だけ、まさに新しい歌舞伎町の風物となってきている。

◆10月6日(土)

15:00よりNPO法人モアナハワイアンクラブによるフラダンス

 

16:15より越王(こしわ)太鼓

 

17:30より日本艶歌歌謡協会による歌謡ショーにはみー&まこの「歌舞伎町インザナイト」↓なども。

◆10月7日(日)

11:00より新宿大通りにて新宿芸術天国のパレード、世界堂前から新宿大通りを経てアルタ前まで小~大学生のマーチングバンドや民族芸能などが参加した。新宿駅周辺の街並みを一つの劇場として見立て、新宿大通りを中心にステーションスクエア、伊勢丹屋上、サブナードや新宿サザンテラス、タカシマヤタイムズスクエア、そして歌舞伎町シネシティ広場などでバラエティ溢れるフェスタが開催された。

 

歌舞伎町シネシティ広場では13:30より新宿区民踊連盟による民踊披露

 

 

中山弘子新宿区長も駆けつけた。なんでも中山区長は新宿区民踊連盟の会長でもあるとか。↑民踊連盟のみなさんと区長を囲んで集合写真。

15:15より高円寺菊水連による阿波踊り

 

16:00よりNPO法人日本バトントワリング協会によるバトン演技実演

 

19:00からは東京六大学応援団連盟による応援合戦

 

「見よや十字の旗かざす~♪」、小学生の時だけなんだが、そのとき覚えた立教の第一応援歌。いやぁ、やっぱり懐かしい^^校歌とはまったく違った、なにか胸躍るモノがある。観客動員も年々増加し、歌舞伎町の風物詩として是非定着していって欲しいイベントです。ちなみに、来年2月17日に開催される東京マラソン2008でも、この東京六大学応援団連盟の協力によって、東京マラソンを応援するイベントをマラソン当日の早朝に開催する予定です。(東京マラソン2007の様子はこちらへ


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7月26日(土)2008新宿エイサーまつり開催◇ダイジェスト動画◇ [祭]

これが7回目の開催となった新宿東口の夏の風物詩ともなった新宿エイサーまつりが7月26日(土)に開催された。

◇ダイジェスト動画◇

新宿エイサーまつりは、新宿通りにてアルタ前からイーストビル前までを5つの会場にわけて13時半から17時までの間に演舞が行われ、また夜の部は歌舞伎町シネシティ広場、新宿東口中央通り、タカシマヤイベント会場、モア4番街でそれぞれだいたい21時まで盛り上がる。今年の出演チームは21、過去最高で演舞者数も約1,000名に及んだ。

この日の新宿は、開会セレモニーの始まる午後1時すぎに気温32℃。若干雲の多い湿度の高い天候であったが風もあり、ここ数年の開催に比較して過ごしやすかったように感じた。新宿東口は先の副都心線開通、あるいは新宿ピカデリーの開業とつづき、また新宿伊勢丹では大沖縄展も開催されており非常にコンテンツが豊かで、この新宿エイサーまつりに合わせポテンシャルの高い状態が続いている。エイサーまつりの動員力は約90から92万人といわれているが、実行委員長の高野吉太郎氏も「100万を超えるのでは」と期待をしていた。

DSC05565.JPG高野吉太郎氏(新宿エイサーまつり実行委員長)が開会宣言を行った。

DSC05506.JPG写真は左から安里沖縄県副知事、中山新宿区長、小柴新宿エイサーまつり実行委員会会長。開会に先立ち、安里沖縄県副知事と中山区長からはそれぞれ挨拶があった。

中山新宿区長挨拶
「90万人の方にお越しいただける、今やすっかり新宿の夏の風物詩として定着しています。
今回7回目になりますが、このように大きなイベントに成長したのは何より新宿駅周辺の四つの商店街が力を合わせて実施したこと、また沖縄をはじめ多くの方々のご協力をいただけたことによるもので心から感謝しています。
長い歴史に裏打ちされた沖縄の伝統芸能“エイサー”の魅力を鮮烈にアピールする、そんな場として東京の真中の新宿、その中でも日本最大のターミナル新宿駅東口という最高の舞台を提供できることは新宿区民の誇りであり本当に素晴らしいことです。
6月には副都心線も開通し新宿駅周辺は益々賑わいを増しています。年々参加団体も充実し、沖縄はもちろん都内に千葉、川越からもご参加いただいています。また、地元からは新宿エイサーチームが元気に参加いたします。
賑わいも暮らしやすさも一番、そんな街新宿がエイサー踊りのエネルギーを吸収しもっともっと元気な街になっていくことを心から期待しています。
それでは皆さん、楽しくにぎやかなエイサーの踊りを存分に披露していただきたいと思います。そして、この街においで頂いた皆さんに、もっともっと新宿の街を好きになっていただきたいと思います。」

安里沖縄県副知事挨拶
「沖縄の伝統芸能として知られるエイサーは、元来お盆の時期に先祖供養として踊られておりました。今日、このように全国的に有名になったのは新宿エイサーまつりの貢献するところが大きく、勇壮な太鼓のリズムと躍動感あふれる演舞は本日ご来場の皆様を魅了するものと期待しています。
地元沖縄では、8月1日から3日にかけて、那覇市の国際通りで“夏祭りin那覇2008 一万人のエイサー踊り隊”が開催されます。最終日には事前に申し込みのあった1,000名様がエイサーの練り歩きに参加することができます。エイサーを観るだけでなく実際に演舞したい方は是非沖縄で体験してみませんか?皆様のお越しを心からお待ちいたしております。」

安里副知事の挨拶にもあるように、この新宿エイサーまつりは沖縄の文化・観光の発信という意味での場でもあり、毎年沖縄観光のPRブースも設置され、3人のミス沖縄がやってくる。ミス沖縄は毎年6月末に新しいミスが決定し、その期間はそれぞれ8月から1年の間、というわけで新宿エイサーまつりの開催される7月末はその前年度のミスの最後の仕事となるのが恒例化している。今年の開催にやってきた3人も昨年の2007年のミス達。

DSC05412.JPG2007のミス沖縄、左からスカイブルーの山口絢子(やまぐちあやこ)さん、コバルトブルーの渡嘉敷圭(とかしきけい)さん、クリーングリーングレイシャスの新垣絵美子(あらかき えみこ)さん。

DSC05517.JPG2007ミス沖縄スカイブルーの山口絢子さん^^

◇2008新宿エイサーまつり写真あれこれ◇

DSC05512.JPG開会直後、アルタ前で最初に演舞する新宿エイサーチーム

DSC05446.JPGあぁ、この二人を外すわけにはいかないね。エイサーまつり運営にあたる代理店ウィンダムの橘川氏(写真左)、よくも悪くもだがとにかくこのまつりの運営は実質彼におんぶに抱っこと言っていいかな。その隣は東氏(沖縄ふるさと料理のやんばるオーナー)、東さんなくして新宿エイサーは生まれてこなかったという人。

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DSC05670.JPG上は琉球國祭り太鼓、左は心~くくる~チーム

DSC05809.JPG世田谷区用賀小学校エイサーチーム

DSC05945.JPG那覇太鼓チーム、3年連続の出演だが、個人的にはここが一番の見どころチームかなと。△▽

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DSC06036.JPG方南エイサーむるち組より。去年もこのコの写真撮ったな・・1年経つとやっぱり子供は大きくなってる。

DSC06068.JPG横田西多摩エイサー太鼓チームより。

子供の参加者が多いのもこの新宿エイサーまつりの特徴。各チームにそれぞれというのもあるが、小学校の体育の授業などでエイサー踊りを取り入れているところもあるようで、そうしたチームからの参加希望は多い。一方、例年のことではあるが真夏の炎天下、子供の参加者の中で熱中症になって具合が悪くなるというケースもあり、今年も1件そういった事案があった。救護テントで少し休んで元気になって帰って行ってくれたが、イベントごとに心配事の一つではある。演舞者には特に水分や塩分の補給をこまめにということは言ってきており、また各飲料メーカーからの協賛によって演舞会場ごとにドリンク補給場所なども設置している。協賛ドリンクメーカーはコカ・コーラ、アサヒ飲料、日本たばこ産業、伊藤園、キリン・ビバレッジ、サントリーフーズ、ペプシ、サッポロ飲料。

◇歌舞伎町シネシティ広場会場◇

17時までの新宿通りでの演舞が終わると、会場は歌舞伎町シネシティ広場、新宿東口中央通り、タカシマヤイベント会場、モア4番街の4箇所に分かれそれぞれで21時まで演舞が続く。というわけで、歌舞伎町に。

DSC06203.JPG糸満市米須青年会チームの手踊りのコたちとジョーさん(城克歌舞伎町商店街事務局長)・・なかなかおいしい写真^^

DSC06209.JPG歌舞伎町シネシティ広場会場での開会は片桐基次氏(歌舞伎町商店街振興組合副理事長)が行った。

DSC06320.JPG美ら星(ちゅらぶし)エイサーチームの京太郎(ちょんだらー)。オドケ役のちょんだらーを女の子がやるケースが最近非常に目立つ。芭蕉布の着物に白塗りの化粧でエイサーを盛り上げる。

DSC06445.JPGシネシティ広場には常に約2000人くらいの観客が溢れて盛り上がった。


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新宿熊野神社祭礼-9月21日(日)角筈連合睦神輿渡御- [祭]

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9月21日(日)は新宿熊野神社例大祭ということで、熊野神社の氏子になる各睦による神輿渡御が行われた。歌舞伎町1丁目もこの熊野神社の氏子であり、角筈の5睦(西口・西一・角一南・角一東・歌舞伎町)は新宿駅周辺から歌舞伎町を連合で神輿渡御を行った。この日は朝から雨が降ったりやんだり、時折叩きつけるような激しい雨のあいにくの天候ではあったが、歌舞伎町睦には午後1時の宮出しから7時過ぎの宮入りまで約350名の担ぎ手が参加。ちなみに角筈という名は新宿の西口から東口の3丁目の駅前周辺、歌舞伎町エリアの旧地名。歌舞伎町も町名が命名された60年前の昭和23年4月以前は角筈北一丁目と呼ばれていた。

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丁度この日9月21日より30日までは秋の全国交通安全運動。連合睦の総代や役員らが交通安全の横断幕を持って記念撮影。街も警察に協力をし、またイベントなどでは逆に警察に協力を要請する、そういった構図の一つかな。例年恒例になった集合写真。

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5睦は各町内神輿を経て東口のアルタ前に集合、新宿通りを練り歩いた後に歌舞伎町睦の神輿を先頭に歌舞伎町へ向かい、コマ劇場前のシネシティ広場にて解散式を執り行うまで連合渡御を行った。▼途中新宿区役所前にて神輿をさす。中山区長も連合睦の神輿渡御を観におとづれていた。

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DSC02171.JPGシネシティ広場に集合した5睦、下の写真は連合睦解散式の様子。檀上は各睦の総代、役員、そして渡御を取り仕切る渡御長の面々。

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DSC02268.JPG歌舞伎町睦の神輿宮入の様子、上の写真もそうだが連合解散の後は激しい雨の中の神輿渡御となった。熊野神社の例大祭は3年周期で2年の陰祭の後に本社(ほんじゃ)神輿渡御を行う。昨年は東口3睦が連合を行ったが、今年も陰祭で東口西口の5睦連合渡御、来年2009年はいよいよ本社神輿渡御となる。


「街」を語る上で、民間のコミュニティとしては商店街や町会以上に祭りを執り行う「氏子」という存在は大きい。行政区の区分けももともとこうした氏子の区分けに由来する場合が多く、そもそも日本人の伝統的な宗教観に起因していると思われる。しかし、むしろ「歌舞伎町」の場合は600m四方の小さな街に実は三つも氏子が存在するという特殊さがある。一見一つの町であるようで、歌舞伎町1丁目のほとんどが熊野神社の氏子である以外に、歌舞伎町2丁目は鬼王神社、ゴールデン街(歌舞伎町1丁目1番地)は花園神社を氏子とする。60年前に命名された「歌舞伎町」の町名自体は現在の歌舞伎町1丁目だけであり、もともとゴールデン街は三光町、歌舞伎町2丁目は西大久保であった。60年しか歴史が無いとはいえ、歌舞伎町という街はそもそも歴史も由来も違う3つの街の集合体なのである。折につけお互いに相馴染めない議論が表出する時があるのはこうしたところにも理由があるのだろう。

日本人の文化・宗教観に起因するこの氏子という存在は、街づくりにおいても重要な部分といえる。本来、氏子も商店街も旧市民新市民を併せて一体であるべきなのだが、実際はそう簡単なことではない。大抵どこの街にも似たようなケースが見受けられるが、氏子や商店街というものはどちらかと言えば旧市民のやや閉鎖的保守的なコミュニティであり、一方で、その閉鎖的非民主的なコミュニティを新市民は入りたくても入れないか、もしくはそもそも敬遠しがちという場合が多いように思う。歌舞伎町の場合は、この氏子と商店街はほぼ同体であるように思えるが、やはり新市民に対してはやはりなかなか解放されていない。

歌舞伎町睦の今回の神輿の担ぎ手は約350名、商店街にある半纏が足りなくなるような事態になったことは、一見睦の広がりがあるように見え、また若い人たちもかなり多く参加しているなどあって、これはこれでいいことだと思う。しかし、その多くは今までの地域の保守的・閉鎖的なコミュニティが次世代に引き継がれつつあるだけで、あるいはその仲間たちであり、一方で歌舞伎町本来の新市民がではどれほど参加しているのかと言えばまだまだまったくと言っていいほど広がりは足りない。戦後以降かつてはこの街にも多くの住民がいて、職住一体であった。それがやがて昭和40年以降大きく崩れ、それでも当時の社会構造を引き継ぐ形で形成されてきたコミュニティの延長に今の商店街や睦の構造がある。一方、この街に住むことなく、単に商売を行い、あるいは働く場所・活動する場として入ってきたのが新市民であるとすれば、旧市民は徐々に街を離れ思い入れは脆弱になっていく一方で新市民は入れ替わ立ち替わり常に新陳代謝はあるもののどんどん拡大してきた。本来「祭り」は最も基本的な街づくりであるわけで、たとえば世代間を埋める一助になるだけでなく、出来るだけ旧市民と新市民の間を埋め、あるいは繋げるものであるべきだし、その機会を双方が積極的にもっと活用出来たらと思う。丁度、こういった議論は商店街の中でも常にある。商店街はどちらかと言えば旧市民型コミュニティで、一方で商店街内組織でありながら既存コミュニティの外にいる新市民が中心に構成している「よくしよう委員会」というのがあり、双方の方向性はまだまだ乖離している部分が多いが、そのどちらも歌舞伎町の貴重な民意である。商店街の中でもこれを許容しようとするベクトルとそうはさせじというベクトルと両方あるが、これがこの日の祭りを見ながら今、まさにその岐路に立っていると感じた。だが、課題は旧市民にではなく、むしろ新市民側のほうが大きい。新市民は旧市民が築いてきた街の歴史を知り、礎を築いたことに感謝を、そうすればこの街に数々ある課題のおそらく半分はその心だけで解決してしまうように思えたりもする。


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9月20日(日)新宿十二社、熊野神社例大祭-三年に一度の本社神輿渡御 [祭]

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9月20日(日)、新宿地区最大の「祭」である新宿・熊野神社例大祭、今年は三年に一度の陽祭で、この日本社神輿の渡御が執り行われた。新宿・総鎮守として知られる十二社の熊野神社、その歴史は14世紀まで遡る。紀州・熊野神社の神官であった鈴木家の末裔である鈴木九郎はこの地で自身の故郷である紀州・熊野神社の十二所権現の一つである若一王子を祀り、その後商売で成功したことを契機に十二所権現を祀る社を建てた。江戸時代は熊野十二所権現社と呼ばれ、この辺りは茶屋や料亭など100軒以上に及ぶ花街として栄えた。明治以降、熊野神社と名称を変えたが、このあたりの花町は戦前まで栄えていたそうだ。十二社・熊野神社のあたりはもともと滝や池がある景勝地だったが、明治の時代に玉川上水を引きこんでの浄水場である淀橋浄水場が造成されて景観は失われた。その淀橋浄水場も昭和40年には廃止、ここが再開発されて今の新宿新都心の高層ビル街へと変貌している。こういった歴史の中で、今でも新宿周辺の総鎮守として信仰を得ている。新宿駅の東口と西口一帯に熊野神社の氏子がおり、これが各地域の睦となって、この睦の連合によってこの熊野神社例大祭は執り行われる。

現在の歌舞伎町1・2丁目は、実は三つの神社の氏子が存在する。歌舞伎町が出来た昭和23年以来「歌舞伎町」とは現在の1丁目を指し、ここが熊野神社の氏子である歌舞伎町睦、2丁目は昭和53年の名称変更までは西大久保という町名で故に鬼王神社の氏子であり、また現在歌舞伎町1丁目1番地にあたる新宿ゴールデン街もかつては三光町だったため花園神社の氏子である。だが、現在はここからここまではどこの氏子だからとかそういうことは薄れ、熊野神社の例大祭では神輿の担ぎ手も一応は熊野神社の氏子らを中心に周辺の祭好きが集まって新宿全域が盛り上がる。この日は3年に一度の本社神輿渡御、歌舞伎町の街御輿も同じ13時に弁天堂を宮出しするのだが、まずは本社神輿の宮出しへ、その後歌舞伎町に戻って街御輿につき、本社神輿が歌舞伎町に入る15時からは歌舞伎町睦が本社神輿を担いだ。セントラルロードから旧コマ前を経て劇場通り一番街へと二基の本社神輿が練り歩く姿は圧巻。

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本社神輿渡御を終え、夜(18時から)は街御輿で町内を練り歩く。熊野神社の担ぎ方の流儀は通常千鳥担ぎなのだが、夜は江戸前担ぎ、19時半の宮入りまで盛り上がった。

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新宿駅周辺の商店街が一体となって行う催しは、7月に行われる新宿エイサーまつり(関連記事)とこの9月の熊野神社例大祭がある。西口東口が融合してという意味では熊野神社例大祭のほうがスケールは大きいが、いずれにせよ前者エイサーまつりは「イベント」であるのに対し後者熊野神社例大祭は「祭り」である。イベントとはいわば来街者向けのPR的要素が強く、一方で「祭り」は神事であるとともに街の内側向けの部分が強いと言える。イベントは予算の範囲でPR効果の高い場所や手法で合理的に企画される一方で、祭りは「見栄」であり、街を仕切る正統性をもつもののアイデンティティを示す場でもある。一年にたった一日のことであるが、ここに全精力を注ぎ込んで“ザ・街”はどこにあるのかを見せつける。これは、今の街づくりにおいて活性化だの更新だの言われる中で最も重要な部分が何かを示している。つまり“街のアイデンティティ”の構築である。そういう意味でいえば、外から見る歌舞伎町のイメージと、それとは大分違った景色がそこにあることを見てもらいたい。言葉のあやかもしれないが、外から見た歌舞伎町の姿を歌舞伎町的と言うとすれば、街のアイデンティティはむしろ非常に“非歌舞伎町的”なものであり、その姿こそ、実は本来“核”たるものにあるべき姿だと思っている。言葉のあやと書いたのは、イメージとしての虚像感によって膨張してきた歌舞伎町の姿と、それを制御するように“非歌舞伎町的”な姿とが存在しあい、互いに拮抗してこそ本来の歌舞伎町らしさを創り出している。一年に一度のことではあるが、この熊野神社例大祭はホント、いい祭りだと思います。

 


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【告知】新宿に沖縄がやってくる!新宿エイサーまつり2010 7月31日(土)開催! [祭]

新宿に沖縄がやってくる!『新宿エイサーまつり2010』7月31日(土)開催!

毎年恒例!真夏の新宿の風物詩の“新宿エイサーまつり”
エイサーとは沖縄の伝統行事で魂を揺さぶる勇壮な掛け声ですべての人の血を熱くたぎらせるイベントです!
今年もこの新宿エイサーと一緒に、沖縄気分を満喫してください!!

shinjuku_eisa_p1.jpg2010新宿エイサーまつり公式パンフレットweb edition(PDF)

新宿エイサーまつり2010、7月31日(土)開催!

今年は、例年の新宿通り会場をメインに、サブ会場として新宿東口双葉通り、モア4番街、歌舞伎町シネシティとともに、初めて新宿西口(西口郵便局付近)でも演舞が開催されます。

◇メイン会場:新宿通り:13:30~17:00
A :アルタ前 B :新宿高野前 C :三越前 D :伊勢丹前 E :マルイワン前 F :東京都健康プラザハイジア

◇サブ会場:18:00~21:00
・双葉通り ・歌舞伎街シネシティ広場 ・モア4番街 ・西口郵便局付近

◇主催:新宿エイサーまつり大会委員会、新宿大通り商店街振興組合 新宿東口商店街振興組合 歌舞伎町商店街振興組合 新宿駅前商店街振興組合 新宿文化街商店街 歌舞伎町二丁目商店街 西新宿一丁目商店街振興組合

◇後援:新宿区、沖縄県、那覇市、財団法人沖縄観光コンベンションビューロー、新宿観光協会、財団法人東京観光財団、東京商工会議所新宿支店、公益財団法人新宿未来創造財団

◇新宿エイサーまつり運営事務局
tel:03-5428-6635 fax:03-5428-6636 対応時間 : 10:00~18:00

◆エイサーとは?
沖縄の盆踊りのことです。一般的に旧暦の7 月15 日(今年は8 月24 日)にあたる旧盆の先祖をお送りする日(沖縄ではウークイという)の夜、青年男女が集落内を踊り巡り、各家の無病息災、家内安全、繁盛を祈り、祖先の霊を供養する行事をいいます。エイサーは15 日の 「ウークイ(お送り)」の夜に踊ります。13 日の「ウンケー(お迎え)」で、下界に降りてきた先祖の霊が帰りたがらないので、太鼓を叩いて脅かし、再びあの世へと送り出したのが、エイサーの成り立ちです。

◆エイサーの歴史・由来
1603年、琉球王国時代に浄土真宗が伝わり、葬儀や法事でニンプチャー(念仏者)が念仏歌を歌って霊を供養するようになったのが、エイサーの原型といわれています。
その後、昭和初期には芸能化を強めたエイサーが踊られるようになり、1956 年にはじまった「全島エイサーコンクール」では、中部の青年会が中心となって技や衣装に工夫を凝らすようになり大きく進化しました。女性の手踊りが華を添えるようになったのもこの頃からです。今日では、旧盆行事以外でも、全島エイサーまつりや一万人のエイサー踊り隊さらに日本各地でも披露されています。
エイサーの由来については実はいくつかの説があるのですが、代表的なものとして、在来の「エサオモロ」という集団舞踊に「袋中(たいちゅう)上人」という京都のお坊さんが沖縄で始めた念仏形式の踊りが定着したものというのが一番有力な説となっており、囃子言葉の「エイサー」からそう呼ばれるようになったと言われています。

▼新宿エイサーまつり2009ダイジェスト


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9月19日(日)新宿・熊野神社祭禮-十二社通りに熊野十三睦が集結、13基の神輿が練り歩く- [祭]

平成二十二年・新宿十二社熊野神社祭禮

9月19日(日)、新宿地区最大の「祭」である新宿・熊野神社祭禮、今年は陰祭(三年に一度は「陽祭」の年は本社神輿が出る)のため、各氏子の街神輿がそれぞれの地域を練り歩くということが通例ではあるが、それ以外に、今回は初めて、熊野神社の十三睦が熊野神社に集まり、十二社通りをそれぞれの街神輿13基による連合渡御が行われた。

新宿・総鎮守として知られる十二社の熊野神社、その歴史は14世紀まで遡る。紀州・熊野神社の神官であった鈴木家の末裔である鈴木九郎はこの地で自身の故郷である紀州・熊野神社の十二所権現の一つである若一王子を祀り、その後商売で成功したことを契機に十二所権現を祀る社を建てた。江戸時代は熊野十二所権現社と呼ばれ、この辺りは茶屋や料亭など100軒以上に及ぶ花街として栄えた。明治以降、熊野神社と名称を変えたが、このあたりの花町は戦前まで栄えていたそうだ。十二社・熊野神社のあたりはもともと滝や池がある景勝地だったが、明治の時代に玉川上水を引きこんでの浄水場である淀橋浄水場が造成されて景観は失われた。その淀橋浄水場も昭和40年には廃止、ここが再開発されて今の新宿新都心の高層ビル街へと変貌している。こういった歴史の中で、今でも新宿周辺の総鎮守として信仰を得ている。新宿駅の東口と西口一帯に熊野神社の氏子がおり、これが各地域の睦となって、この睦の連合によってこの熊野神社例大祭は執り行われる。▼熊野神社、大祭後にここより宮出し。

現在の歌舞伎町1・2丁目は、実は三つの神社の氏子が存在する。歌舞伎町が出来た昭和23年以来「歌舞伎町」とは現在の1丁目を指し、このエリアは、新宿区発足前は淀橋区という地域で、ここが熊野神社の氏子であったことから、歌舞伎町睦は熊野神社の氏子となる。
歌舞伎町2丁目は昭和53年の名称変更までは西大久保という町名で鬼王神社の氏子であり、また現在歌舞伎町1丁目1番地にあたる新宿ゴールデン街もかつては四谷区三光町であったことから、花園神社の氏子である。だが現在は、ここからここまではどこの氏子だからとかそういうことは薄れ、熊野神社の例大祭では神輿の担ぎ手も一応は熊野神社の氏子らを中心に周辺の祭好きが集まって新宿全域が盛り上がるという傾向は強い。▼熊野神社氏子である歌舞伎町睦と担ぎ手さんに集まってもらって集合写真、熊野神社にて。

十二社通りでの十三睦連合渡御の後は、各睦それぞれ自分の「村」に戻っての、街神輿による渡御。


「祭」は本来神事であり、イベントでは無い。そして、イベントは外向きの発信であるのに対し、「祭」は内向き、つまり街の内側に向けてのものである。だが、一方で、祭りは観光資源でもあるし、「街」の一種の「見栄」でもあるから、外向きの部分もある。そのあたりの微妙さから、熊野神社の祭禮は、3年に一度の陽祭は神事色が濃く、陽祭の翌年は各睦はそれぞれの地域で「村」の中だけで自由に仕切り、その翌年は連合渡御として各睦の競い合い、見栄の張り合いを新宿通りを舞台にイベント的に執り行い、そして翌年に再び本社神輿の出る陽祭を迎える、というようなバランスがあった。だが、昨年の陽祭に続く今年の陰祭は、これまでとは趣の違う「十三睦連合渡御」という形を試みた。これには各睦の「祭」に対する考え方、予算、財政事情などの違いから異論もあったが、最後は上手くまとまり、なんとか無事執り行うことが出来たようだ。もしかしたら、こういった十三睦連合渡御はこれが最初で最後になる可能性はある。今日はそういう意味で貴重な一日だったかもしれない。


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