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歌舞伎町の由来話とDNAについて [その他]

歌舞伎町一丁目の真ん中に弁天様がある。中央通り脇、ラーメンの神座のところを入っていくと11チャンネルの並びにある。弁天様は水の女の神様で、その下に11チャンネルがあるという構図がなんとも歌舞伎町らしい。

 

弁財天の縁起と歌舞伎弁天の由来

弁天様は佛教以前に賢者聖人の信仰厚き 宇賀神と稱する天地創造乃神のお一方で 佛教能始祖は天部の神登し佛教の守護神として崇がめられた尊神である 宇賀神はもと淨流水源等水を司る神で妙音天と云われ又美音天とも稱せられた文化神で 信仰すれば知恵が授かり芸術に長ずると古ろから 弁才天登云われ更に戝寶が授かる霊験のある処から 才乃字が戝能字に替り弁財天と云われるようになった而して天部の神が垂れ賜う博愛を 美麗なる弁天のお姿で表現せられ信者は 弁天様乃愛稱で合掌する福の神様である

歌舞伎町は昔大村乃森と云われ広大な沼があって沼の邉りに 弁天様が祀られてあった 淀橋淨水場の建設に当り其の残土で沼は埋められ 峯島家で現在の場所に 弁天様は祀られ 大正二年堂宇の改築再建に当り不忍弁財天より現在安置乃 御本尊を勧請して九月巳の日に盛大な祭典が行われ爾来九月の巳の日を 歌舞伎弁天の祭日とせられた 大正十二年に至り町内有志の発議により 峯島家 尾張屋銀行 町内篤志家乃淨財で大改装がせられたものであったが昭和二十年四月の大空襲で本堂及びお守家も罹災した 其の時熱心な信者の一人岡安たか子氏は苛烈な空襲下に於て 弁天様の厨子を脊に奉戴し堂守の梅原氏が付添ひ笹塚に避難しアパートの一室に安置をした間もなく岡安氏は 弁天様が峯嶋家に移り度いとの御告げがあったので梅原氏夫妻に挓して峯嶋家にお移し申した 混乱した戦災時に於けるこの記録は信者乃田中次郎吉氏に依って明らかにせられたものである 而して昭和二十一年復興協力會では全町戦災した歌舞伎町の計画建設に当り区画を整備せられた際 弁天様の敷地は寸尺も変更せず以前のま〃を保存し復興協力会々長鈴木喜兵衛氏は街建設に魁がけて仮殿を建設し峯嶋家に安置せられてあった 御本尊をお移し申し現在に至ったものである此の度 有志相寄り 弁天堂再建奉賛會を結成し大方の淨財を以て 永久不変の耐火構造に依り 御本堂を再建し 境内の改装を行ひ面目を一新して この霊験あらたかなる 歌舞伎弁財天を当町及び近隣の 守護神として永遠に崇め奉らんとする次第である

鈴木喜兵衛謹書

昭和三十八年四月 歌舞伎町弁天堂再建奉賛會建之               

奉賛會々長 藤森作次郎

建設委員長 小松太良八

これを読みながら、ふとこの街のDNAについて考えてみた。

歌舞伎町という地名は、戦後についた地名であり、それ以前は三光町とか角筈だったという。もともと屋敷町だったようだが、もっと古い歴史を紐解くと、鉄道の駅が開業したのは120年前の明治18年(1885)年。駅の周辺にはまだ武蔵野の田園風景が広がるばかり。新宿駅の北東、現在の歌舞伎町辺りには、元九州長崎の大名であった大村家の別邸があったとか。当時このあたりは湿地帯で格好の鴨場だったそうです。その後、尾張銀行の元頭取峯島家のものになり、森林は伐材され平地に。鴨場の周辺は“尾張屋の原”と呼ばれた。明治26年東京の市民に飲み水を提供する淀橋浄水場が建設された時にその残土で残っていた鴨場の池が埋め立てられ、さらに大正9年には現在のコマ劇場の辺りに東京府立第5高等女学校ができ、徐々にこの歌舞伎町あたりはひっそりとした住宅街になっていった。
太平洋戦争末期昭和20年4月13日の米軍の空襲によって新宿駅周辺は焼け野原になってしまう。終戦を迎え、当時淀橋区角筈一丁目北町会の会長だったのが鈴木喜兵衛。疎開先からこの地に戻った鈴木氏は、家や家族を失いつつも散りじりになっていた当時の住民たちを訪ね、「復興協力会」を結成。戦後復興の鍵は観光にあるとして、地主・借地人・居住者をまとめ、区画整理をし、道義的繁華街をつくるというまちづくりの計画を立てた。劇場を中心に、映画館、演芸場、ダンスホール、ホテルなどを建設するという計画。占領下にあって存続が危ぶまれた伝統芸能を守ろうと、演劇関係者らが発起人になり菊座という名前の歌舞伎劇場建設も計画された。折から、新興文化地域にふさわしい町名を、との声が起こり、都の石川栄耀都市計画課長が提案した歌舞伎町に決まった。昭和二十三年のことで、「語呂もよし感じもよく、この町の建設目的にもピッタリとして居るので」と、鈴木氏はその著「歌舞伎町」(昭和三十年)で回想している。

 

昭和23年4月1日、新宿に歌舞伎町が誕生する。しかし、GHQによる大規模施設の建築禁止令が出て、歌舞伎の劇場計画は中止になってこの計画はいまだに実現していないし今後もないだろう。

 昭和24年都電の終点が新宿駅東口から歌舞伎町の入り口に移転。さらに昭和25年産業文化文化博覧会の会場に歌舞伎町が名乗りをあげ、これが大成功。そして、昭和29年大規模施設の建築禁止令が解除され、産業文化博覧会用に建てられた施設を改築して映画館やスケートリンクが誕生、いまの歌舞伎町の原型が出来上る。昭和31年には、歌舞伎町の中心に新宿コマ劇場が誕生、当時の住民達の歌舞伎劇場誘致への想いが歌舞伎劇場ではなかったにせよ一つの目標達成だったかもしれない。映画館、劇場、スケートリンクを中心に多くの人たちがあつまった歌舞伎町には飲食店も増え、「大衆娯楽の街」として繁栄の時期を迎える。

昭和30年代は戦後生まれの若い世代がこの街に集まった。ツイストで踊り明かし、歌声喫茶で歌い、酒を酌み交わす当時の最先端の文化・流行発信の街として栄えた。

ビジネスチャンスも多く、戦勝国として利権を与えられていた台湾華僑は歌舞伎町の一等地を手に入れ盛んに商売した。一等地といえば、戦後の区画整理で鈴木氏のやりかたにすべての住民が賛成していたわけではない。ただ、その際に鈴木氏側についた人たちがいわば利権を手に入れた。今の靖国通り側や一番街通りに面したビルオーナーたちである。

その後の歌舞伎町の姿をみて鈴木氏はどう思うのだろうか。彼が目指した「道義的歓楽街」というコンセプトといまの歌舞伎町の姿。鈴木氏が与えたこの街のDNAが大衆娯楽の街だとしたら、もう一つのDNAはむしろ露骨な資本主義の側面をもった姿がある。ここの部分は、決して道義的とはいえない、むしろ儲かるならなんでもアリ、といったDNAである。そして華僑や半島系の人たちも多く関わり、多文化の共生した街という部分も併せ持つ、許容性の高い街へとなってきた。許容性の高さは同時に対立も生み、結果暴力団が介在できる余地を与え、ここらへんに暴力団をときに利用し利用される根深い構造がいまの歌舞伎町を築いてきた。大衆娯楽と許容性、これが歌舞伎町のDNA。

今の歌舞伎町のまちづくり、大衆娯楽の企画生産と消費発信の街といったコンセプトと暴力団のインフラの徹底排除は、ときにこの街のDNAである許容性という部分でぶつかるのかもしれない。暴力団員も一人になればただの人、そんな彼らもシノギがきつく最近は自殺するものもいるそうだ。ある寿司屋の社長がこんなことを言っていた。「ウチは上の連中しか来ないが、彼らは普段いきがってるから一人になると意外とウツなんだよ。拳銃もってるから、めんどくさくなっちゃうんだろうなぁ、つい自殺してしまうってのがけっこう多いんだよ。」

この許容性を失ったら歌舞伎町は歌舞伎町でなくなってしまうという人たちもいる。いまのまちづくりが完全に実行されればそれはまったく違う歌舞伎町になる。やや違法なものまで許容性のある旧態然の歌舞伎町のほうがいいのか、あるいは意志をもった許容性の範囲でのまったく新しい歌舞伎町のほうがいいのか、どっちに向かうのかそろそろはっきりしそうだと思っている。


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12月13日 スタンリー“トーキー”ウィリアムス 死刑執行へ [その他]

 スタンリー・トーキー・ウィリアムス 1953年12月29日生まれ

スタンリー・トーキー・ウィリアムスは1979年、強盗事件によって4名を殺害した罪により、81年に死刑の宣告を受けている。現在、カリフォルニア州サン・クウェンテン連邦刑務所に死刑囚として収容されているが、カルフォルニア時間の12月13日午前0時1分(日本時間午後5時1分)に死刑執行が予定されている。

スタンリー・トーキー・ウィリアムスは、ロサンゼルス市内のストリートギャング団クリップスを結成。ギャング団「クリップス」は、全米で最も凶暴なギャングとして知られ、対立するギャング団「ブラッド」などとの抗争で、数百人が死亡した。1979年に強盗殺人など(コンビニ店員殺人、中国系アメリカ人経営のホテル経営者家族3人の強盗殺人)を犯したとして死刑判決を受けたが、サンクエンティン刑務所に収監中の24年間に暴力反対を訴えたり、児童書を執筆するなどした。このことにより、アメリカではギャング団などの犯罪インフラ撲滅に大きく貢献、その社会貢献度によってノーベル平和賞に5回、ノーベル文学賞に4回ノミネートされている。

彼の死刑執行中止を求める運動が起きている。元「クリップス」のメンバーでもあるスヌープ・ドッグらも参加した死刑執行中止を求める運動が全米各地で行われ、11月19日には収容されているカリフォルニア州サン・クウェンテン連邦刑務所にて死刑執行中止を求め数千人規模のデモ運動が行われた。

米カリフォルニア州地裁は12月11日夜、元ギャングメンバーのスタンリー・トーキー・ウィリアムス死刑囚(51)について出されていた死刑執行中止請求を却下した。最終的に死刑執行に関する恩赦・減刑の権限はシュワルツェネッガー州知事にゆだねられたわけだ。

スタンリー・トーキー・ウィリアムス死刑囚の支援者らは11日、新たな助命嘆願集会を行い、同死刑囚の無実を裏付ける新証人がいるとシュワルツネッガー州知事のスタッフに伝えた。同知事は「正確に判断し最終の決断をする」とコメントを出していたが、12月13日早朝に死刑執行を決断しサインをしたという情報が入ったのでここに記事を書くことにした。同知事は「検討をしたが、恩赦を出す余地は見出せなかった」とコメントを出した。

この24年間、同死刑囚はこの殺人を否認し続けてきた。また、裁判係争中に人種差別問題などが取り上げられたことがあったようだが、差別を訴えた黒人の陪審員3名ははずされ現在の陪審員12名は全員白人であるという事実もある。

彼の半生(ギャング団時代から、刑務所に収容~ノーベル平和賞にノミネートされるまで)を描いた映画「クリップス」(2004年アメリカ)原題:REDEMPTION: THE STAN TOOKIE WILLIAMS STORY では「Ray」でアカデミー主演男優賞を受賞したジェイミー・フォックスがスタンリー・トーキー・ウィリアムスを演じている。ジェイミー・フォックス自身も死刑執行中止の運動に参加している。

 24才の頃のスタンリー・トーキー・ウィリアムスの写真

クリップス

クリップス

  • 出版社/メーカー: エスピーオー
  • 発売日: 2005/07/08
  • メディア: DVD

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アメリカは日本とならんで先進国で唯一、死刑制度のある国である。50州のうち9州を除いてこの死刑制度は実施されており、凶悪犯罪の多いアメリカでは、3000人もの死刑をひかえた囚人がいるという。アメリカでは、刑の執行について事前に様々な情報が公開され、マスコミの注目を集める中で処刑はとり行われる。日本の死刑が外部にはまったく秘密にされ、ひとにぎりの関係者しか知らない中でひっそりと刑が執行されるのとはまったく対照的。死刑制度がある、ということは国家が国民の生死与奪の権限をもつということである。これは、すなわち国民の生命を預けるに値する国家に他する信頼がなくてはならないということである。

はたして、日本の国家にそれだけの信頼関係があるのか?あるいはコンセンサスがとれているのか?

先進国の中で、日本とフランスは比較的警察権力の強い国といわれるが、フランスの場合個人主義と権利意識が一定の歯止めを生んでいる一方、日本はつい50年前まで治安維持法があったいわば全体主義の国であるために歯止めがかかりにくいという実体がある。

アメリカで死刑制度の是非についてこのスタンリー・トーキー・ウィリアムス死刑囚の件が利用されている感は否めないが、日本における「秘密主義的」な死刑執行のありかたはどうかと思う。個人的な意見として、死刑執行によって、被害者家族にとっては一定の区切りになるかもしれないし、復讐心がいくらか晴らされるというのもわかるが、そもそも「人が人を殺人的に罰する」権利があるのか。

歌舞伎町には関係ない話だったが心にメモを置くつもりでちょっと書いておきたかった。

 

 


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2006年 元旦 歌舞伎町からあけましておめでとうございます。 [その他]

 花園神社をにぎわう初詣参拝客の列。 歌舞伎町二丁目にある鬼王神社は歌舞伎町の奥座敷というだけに人はぱらぱらと。

2006年 元旦、ということで年が明けての初詣に花園神社と歌舞伎町二丁目の鬼王神社にお参り、鬼王神社では宮司の大久保氏や二丁目町会の井上町会長とお会いしたもので、ご挨拶。今年は戌年ということでかペットの犬を連れての参拝が目に付いた。

深夜の3時ごろにもかかわらず、歌舞伎町の街では居酒屋やカラオケ店のキャッチが初詣客に声をかけている。警察の取り締まりもやや緩めなのか露店が目に付いた。コマ劇場前ではクレープ屋が店を出していてそれなりに人が集まっていた。ミラノ座で行われていた「カウントダウン映画でお正月2006年!」のほうは大体6割程度の客入り、まぁこんなものかなと。映画の番組もそうだが、もうすこしゲストに力を入れてほしいなぁと思ったり。

 

歌舞伎町ルネッサンスも本格的に稼動していよいよ2年目を迎えるわけだが、やることはまだまだたくさんあります。今月の27日には第三回歌舞伎町ルネッサンス推進協議会が行われます。第一回・第二回ではどちらかといえば治安対策に重点をおいた議論が多かったのですが、今度の第3回はおそらくより活性化にシフトした地域再生にむけての議論になっていくかと思います。

このBLOGを見ていただいている方々には、今後とも是非率直な意見・コメントをお願いいたします。まちづくりは街のみなさんでやるべきもの、フリーペーパーやBLOGはそういった中でどうまちづくりを進めていけばよいか、議論を生んでいくための題材提供と思っていただけたら幸いです。

今年もよろしくお願いいたします。

てらたにこういち  2006年 元旦

 

 

花園神社の境内にある芸能浅間神社は芸能の神様だとか、右は藤圭子さんの歌碑、「圭子の夢は夜ひらく」。裏新宿さんのサイトで紹介されていたものでよってみました。芸事といえばエンタメ、つまりルネッサンスということで。まぁ、歌舞伎町は二丁目は鬼王神社、一丁目は西新宿にある熊野神社の氏子なんだそうですが、本当は^^。。


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鈴木喜兵衛氏と歌舞伎町について [その他]

1698年(元禄11年)、「新宿」は誕生したといわれてる。甲州街道において日本橋と高井戸の距離15kmにそれまでなかった「新しい宿場町」=「新宿」として誕生したわけです。徳川家康の時代に内藤家(高遠藩主=信州の高遠町、新恵那市あたり)が拝領した21万300坪の土地の屋敷として使っていた場所に、当時浅草安部川町の名主の高松喜兵衛らが申請し、民間主導で新しい宿場町をつくったことにより「内藤新宿」と呼ばれていた。高松喜兵衛は新宿の初代名主となり、その後いろいろ紆余曲折(色町としての色合いが濃く、風紀の乱れなどでたびたび廃止などがあったのは、昔から同じなのかもしれません)はあったようですが、街道筋の物流・旅人なども多く繁栄した。第二次大戦後、空襲で焼け野原になったこの地域で、興行街実現を目指し歌舞伎町を興したときの中心人物が当時の地元の町内会の指導者だった鈴木喜兵衛氏。この「二人の喜兵衛」にあやかり、歌舞伎町ルネッサンスの推進における白看板対策特化チームにKabukicho International Hotspot of Entertainment Industriesの頭文字にかけてKIHEIプロジェクトと名づけられた。実は会議などでたびたび「キヘイ」という単語がでてくるのを、街の人たちの中では意外に複雑な想いもあるという。

鈴木喜兵衛氏(明治24年生まれ、昭和42年1月20日没)

戦後、日本の主要都市は空襲で壊滅、国は特別都市計画法を制定し行政主導で戦災復興事業を推進した。そんなご時勢に東京では地元の民間主導によって計画が進められ行政が追随する形で支援にまわった得意な例がいくつかある。六本木、恵比寿、そして歌舞伎町などである。その中でも、区画整理事業にとどまらず興行街実現という将来ビジョンを掲げてその実現を目指した「歌舞伎町」はその最たるものだ。この民間主導による戦災復興事業のまちづくり(新宿第一復興土地区画整理組合)を推進した地元の町内会の指導者だったのが鈴木喜兵衛(すずき・きへい)である。

歌舞伎町は当時、角筈一丁目といわれていた。もともと、尾張屋銀行頭取の峯島家がこのあたりの大地主で、鈴木喜兵衛氏は借地者としてここにいた。借りていた土地の広さはもともと借地者のなかでは一番広かったよう。敗戦後、疎開先から戻った鈴木喜兵衛氏は「今、心あるものは自分の事など考えている場合じゃない、商店街や住宅は土地使用については再編成すべきである。町会は計画復興をする、私らの町では借地権は私が一番多く持っているが、借地権をたくさん持っているものは納得のいく方法があれば進んで開放して土地利用を再編すべき。」と、また「東向きに芸能施設をなし、道義的繁華街を建設する」という構想も訴えた。当時、新宿という大きな繁華街にあって、おそらくその中でも特徴のある他の地域にないビジョンとして描かれたといわれている。

この鈴木喜兵衛氏の構想に、当時のこの街の最大の地主であった峯島茂兵衛が納得し協力を約束したことで一気に実現性がたかまり、また歌舞伎座の誘致を目指していたことから「歌舞伎町」の名前がついた。

 歌舞伎町一番街通り入り口付近からの区画整理工事現場

歌舞伎町の復興事業について、構想段階では民間主導でありながら国と東京都は行政主導型のものと同等に手厚い支援を行ったようで、9割が国庫補助、残り1割について組合と東京都が負担という形であったようだ。鈴木喜兵衛氏の誘致活動によって、ついに歌舞伎を公演する菊座や映画館、演芸場、ダンスホールの誘致計画は決まり、いよいよ着工・建設という段階になって突然の臨時建築等規制や預金封鎖の金融緊急措置令が発動、一気に計画は不可能となり頓挫。当時、すでに着工されていた地球座(いまのHUMAXの前身)のみが建設を許可され続行されたという。先に完成した地球座は、その入場者の行列が駅まで続いたそうだ。

 新宿第一復興土地区画整理組合は、その後地域の人たちが出資した形で復興協力株式会社に。上の株券は、現歌舞伎町商店街振興組合理事長の町田氏の父上(当時峯島家の大番頭)の株券現物。取締役社長に鈴木喜兵衛氏の名前がある。

 復興後の歌舞伎町俯瞰図の絵

この状況を突破するための打開策として行われたのが昭和25年4~6月に歌舞伎町・新宿御苑・西口広場特設会場で開催されたのが東京文化産業博覧会である。「民の力を以って都市計画事業の実施に協力することとともに都市計画の建設と建築の結びつきを策し、文化施設、社会施設の整備を図る」というのが目的であったが、これによって会場に建設されたいわゆるパビリオンが今の劇場街の原型となった。産業館は後にスケートリンク(新日本興行=今の東急レクリエーション、ミラノ座)、社会教育館はオデオン座(いまの東亜興行)、婦人館はのちのジョイパックビル(いまのHUMAXパビリオン)へと転用されその後の歌舞伎町の繁栄の基礎となった。

この博覧会の際、計画は鈴木喜兵衛氏の意図した方向に結果的に進んだものの、博覧会のイベント自体は大失敗であり、私財をなげうって奔走していた喜兵衛氏は破産状態に追い込まれ急速に力を失った。当時の博覧会失敗による負債を埋めるために、誘致条件も破格な安さでいまの四葉会は土地を得たという。「坪50円とかそのくらいだった記憶があります。」(当時を知る方の証言)、誘致とはいえほとんどタダに近い地価で来て貰うという感じだったというのは実体としてあったのだろう。

今では考えられないほどの強引で強力な指導力あっての実現の背景に、地域内に反対勢力も多く、特に博覧会の失敗で復興協力株式会社を倒産状態に追い込み、またエンタメ業主導のまちづくりにやや偏った喜兵衛氏をよく思ってなかった人もいたのだろう。急速に力を失い追い込まれていった喜兵衛氏に代わって、あらたな影響力を発揮しだしたのが藤森氏(当時グリーンプラザのオーナーであった藤森氏=初代の歌舞伎町商店街振興組合理事長、現在グリーンプラザは破産整理などや相続などいくつかのプロセスを経て外資ファンドの傘下にある)である。ある意味、鈴木喜兵衛氏を追い落とし、新しい勢力として台頭してきたのが今の歌舞伎町商店街振興組合の最初の姿であったと言うのはやや皮肉でもある。その後、鈴木喜兵衛氏は自殺?にまで追い込まれ、しかし、藤森氏を中心とした歌舞伎町商店街振興組合と今の四葉会(興行4社=東宝、東急レクリエーション、ヒューマックス、東亜興行)が上手に折り合って昭和30~40年代の歌舞伎町隆盛期を築いたのは確かでもある。ヒューマックスは華僑、東亜興行は在日韓国系企業で、特にこれらに代表される華僑グループや在日韓国・朝鮮人たちとともに、いろいろな町会や企業、地元の実力者との微妙な影響力をそれぞれ発揮したり、時々に反~勢力とかいろいんな紆余曲折・台頭を経て今の姿になったわけだ。この街のDNAを語るとき「歌舞伎町をつくったのは鈴木喜兵衛氏」「いや、その後の勢力。喜兵衛氏ではない」という意見、見方の相違はあるのは事実で、とはいえエンタメゾーンとしての「歌舞伎町」を興したのは間違いなく鈴木喜兵衛氏ほかならないのは事実であろう。

鈴木喜兵衛氏が唱えた「道義的繁華街」というコンセプトは当時の赤線・青線(売春街)の廃止を指していたという。興行各社を誘致する際のひとつのネックと捉えたのか、あるいは本気でそういうものを拒否していたのかは定かではないが、今の歌舞伎町ルネッサンスとも共通点もある。

個人的な印象だが、その後の歌舞伎町の隆盛の軸はなにか、自分が始めて歌舞伎町に足を運びはじめた昭和50年代までは映画(ETは今でもミラノ座の最高興行成績=東急レクリエーション)とディスコブーム(ゼノン、ニューヨーク・ニューヨーク、カンタベリーハウスなど=恵通ジョイパック(今のHUMAX)や東亜興行のビルにディスコがそろっていた)、昭和60年代~(キャッツ=レジャーラスはキャバレーハワイの出身者、ミントハウス=大星商事は今のメトロのグループで在日系)などのキャバクラ第一期ブーム、とファッションヘルス・テレクラの登場による性風俗色の強い街に、この頃森下グループのテレクラ第一号店が出現)、一時期不法残留の中国人等によって最も治安の悪い時期(風林会館での発砲事件、平成6年の青竜刀事件など、またこの時期にテレクラがダイヤルQ2のツーショット、インターネットの出会い系に転換、巨大なブーム期があって性にまつわる事件が一気に低年齢・ボーダレス化した。)を経て、ここ数年がカラオケと居酒屋の街というイメージと第二期のキャバクラ・ホストクラブブーム、あとデリヘルと案内所の増殖期~今は一気に減衰期、そして職安通りの韓流・エスニックブームが徐々に歌舞伎町に浸透し始めているのが今の変化だろうか。歌舞伎町は常に激しい変化に揉まれ、露骨な資本主義と猥雑さがあり(自分はここが好きです、なんか探検地的なところが)またそれが新しいビジネスチャンスをつくる、それぞれの時期にそれぞれのベンチャーが生まれ、時代の寵児もあらわれてはやがて消えていった。

デリヘルブームの初期は、時としてはオウム事件の時期に重なっている。これはあくまで推測で「そうだ」なんてだれも証言してはくれないが、オウム事件以降、在家信者や脱会者を追跡、泳がせて情報収集を警察や公安が意図したのか、単に捜査員を取られて風俗を監視できなかったからかはともかく、一気にいま言うデリバリーヘルスが急増した。昭和の時代からあったホテトル・ホテヘル、あるいはマンションヘルスといって日陰の存在(当然多くが無許可、当時許可を得て都内でマンヘルをやっていたのは目黒とか浜松町、六本木など数えるほど)が突然日の目を見て「届出制」になるという、変な事態が発生。これを機に一気に急増し、性風俗店営業への敷居がいきなり低くなったことがある。当初、インターネットと一部風俗情報誌程度が宣伝媒体にすぎなかったわけだが、当時からあったチケットセンターや割引情報センターにヒントを得て、ここに「風俗案内所=受付所、サービスルーム=自社レンタルルーム」という形態をもちこんで時代の寵児となったのが当時1時間800円の価格破壊テレクラを営業していた森下グループである。その森下氏も昨年11月23日に風適法違反で逮捕、歌舞伎町の案内所は一斉に閉鎖の方向に向かっている。

個人的には、復興当時やその後の人間関係など知る由もなく、いいとかわるいとかいえませんが、鈴木喜兵衛氏がもし今生きていたら、いまのこの街の姿、そして歌舞伎町ルネッサンスの推進、そして「キヘイ」の名前が会議などで度々連呼されるのを見てどう思うのだろうねぇ、フミノ君(←鈴木喜兵衛氏のひ孫さん^^


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3月24日 東京地裁にて風適法違反容疑の森下景一(54)に対し判決公判 [その他]

←歌舞伎町一番街にあった、摘発前の森下グループの違法一体型性風俗店。

昨年11月23日に新宿歌舞伎町にて風適法に定める禁止区域内で店舗型性風俗店を営業していたとして、風適法違反で逮捕された森下景一容疑者=会社経営、新宿区百人町1丁目(54)についての判決公判が3月24日、東京地裁において行われた。判決は以下。

罪状:風適法違反(禁止区域営業)

判決:(森下景一)懲役6ヶ月 執行猶予5年 罰金50万円 (同経営する㈱新宿ソフトについても罰金50万円)、なお罪状についての不法収益に対する追徴没収(刑法19条)として7,065万円が判決として言い渡された。

懲役6ヶ月に対し執行猶予5年(通常は2年程度)というのはかなり重い。また、風適法違反による不法収益に対する追徴没収は今回はじめての事例である。7,065万円が高いか安いかはいろいろ見方があるかもしれないが、当面裏付けがとれたものについてのものであり、また今後風適法違反によって摘発された場合にも同様に裏付けされた場合は追徴没収が行われるという前例になったと見てよいだろう。

関連:11月23日 歌舞伎町の違法風俗店摘発、経営者の森下景一容疑者(54)ら風営法違反の疑いで逮捕

森下景一は、歌舞伎町をはじめ池袋などの繁華街においてテレホンクラブ「リンリンハウス」や「漫画喫茶マンボー」などを全国展開しているほか、無料風俗案内所体裁のデリバリーヘルス受付所とその近隣または同建物内にサービスルームを設置、警視庁保安課と新宿署は実体として禁止されている一体型の店舗型風俗店とみなし、風適法違反で摘発を行った。上の写真は、歌舞伎町劇場通り一番街に面する、上高地ビル(所有は㈱酔心=喫茶店マイアミのグループ)。森下グループはこの建物を、1Fに案内所、地下に受付所、上階にサービスルームを経営。11月23日の逮捕以降閉鎖されてきたが、最近になって内装工事の動きがある。

起訴以降、森下景一は罪状をすべて認め、「歌舞伎町からの性風俗事業の完全撤退」を条件に仮釈放となり、第1回公判のあった1月24日以降、歌舞伎町にある傘下の案内所、デリヘルのサービスルームとして使用・または使用予定であったレンタルルームを閉鎖していた。

 

これらについては、最近さくら通りなどでは「森下グループ残党」と称するものが再度案内所を再開、経営そのものが切り離されたということになっているようだが実態は不透明。案内所における性風俗店のパネル表示を宣伝行為とみなす風適法運用強化(禁止区域内では宣伝行為は禁止されている)によって、案内所の運営方法もパソコンをならべてのインターネット情報センター化するところと、一方で現状規制対象になっていないキャバクラ・ホスト等の性風俗店以外の風俗店案内を行う形態に移行するところが見られる。また、それまでデリヘル専用のレンタルルームとして使われてきたレンタルルームなどは、SOHOオフィスなどに経営転換するところも見られるが、一部風適法改正(本年5月1日、猶予期間2ヶ月)による既得権を得るための滑り込み需要(デリヘル受付所、待機場所が改正後、それぞれ禁止区域が適用される。)を狙っていると見受けられる風俗SOHO(デリヘル受付所届出可といったキャッチコピーで賃貸契約を勧誘)などの出現もあり、地域の環境浄化や違法性風俗店の排除を進める歌舞伎町ルネッサンスの側としても監視が必要だろう。

閉鎖直後→最近の姿  

  

↑SOHO化している案内所、レンタルルーム用途予定だった物件の写真。閉鎖になっていた上高地ビル(右)も現在は1Fの同グループ不動産屋も含め取り壊し、改装中。

森下グループについては、もう一つ問題だったのが暴力団の資金源になっていたという点がる。案内所のパネルは一ヶ月20万程度とされていたようだが、パネル一枚に月3万円のミカジメを極東会系桜成会などの組関係者に支払っていた。歌舞伎町ルネッサンスの目指すまちづくりの根本は治安対策、暴力団のインフラ排除である。そういった意味からも、歌舞伎町において暴力団の資金源になる企業・事業者の排除は重要な課題であった。組織末端は違法風俗店や客引きからのミカジメが主たる収入源であり、末端を詰めさせることによって暴力団組織全体の資金源を断つことが課題となっている。もっとも、組織の上層幹部クラスにとっては、実業として表の仕事をもつ者も多い。主として金融や不動産関係、またはファンド、また雇用対策関連の人材派遣業や産業廃棄物処理関係、レジャー産業など幅広く根は深いが。森下グループについても、資金源として池袋のファンドが関与していたことを以前書いたが、これにしてもロンダリングの疑いはどうなのか、また、一部公安の干渉が噂されたことから破防法対象組織との関係などまだ明らかのされていない実体もある。

また、最近の歌舞伎町では、森下グループの風俗撤退(とはいえテレクラ、漫画喫茶などは継続的に営業しているわけだが)の変わりに名古屋から進出してきた新たなデリヘルグループが参入、増加しはじめている。このグループの今後の動きも監視していくべきだろう。

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一般論ではないが、森下景一を歌舞伎町ドリームの寵児と見る向きもないわけではない。ライブドアの掘江容疑者に然り、どうしてもドリームを実現するためには塀の上スレスレを歩かないとならないという意見もある。ある意味、それは当たっているかもしれない。確かに、何の既得権益を持たないものにとって他者と同じことをしていても成功は得にくい。ここで、重要なのは、森下景一がもっと地域と密接に関与しコンセンサスを得ていたらどうだったであろうか?ということである。確かに、森下グループ全盛時のようなハデハデしい奇抜な営業形態は地域にしてみれば受け入れられないだろう。だが、もうすこし地域や周辺に配慮した姿勢があったらどうだったか。きちんと近所付き合いなんかしてたらどうだったのか。

歌舞伎町は人間再生工場のような部分もある。色んな理由でこの街にやってきたイワク付きの人たちもいる。しかし、ここで職を得、自信を取り戻し、自ら商売を起こし、そんな人たちにとって、今でも歌舞伎町には違法でない限りまだまだ自由に商売をできる風土・環境があり、寛容性のある街である。違法な性風俗等を排除するのは、これが暴力団の付け入る隙間を与えるからだ。しかし、その歌舞伎町ルネッサンスの活動が、歌舞伎町のもつ最大の資源ともいえる寛容性を失わせる方向に向いてはいけないとは思う。5月1日に風営法が改正され、また6月1日には風俗案内所規制条例も施行される。動き始めた歯車は止まらない。歌舞伎町の寛容性が森下景一を生み、無関心が彼やそのほかの同類の増殖と違法行為を野放しにした。違法なものは違法として排除しなければなるまい、だが一方で、たとえば規制緩和、これは言ってみればいままである法律や条令、あるいは規制の類を公共の利益や活性化に結びつくことを条件に今までやってはいけなかったことをできるようにするというもので、徐々に色々な風穴が開く時代になってきている。「地域のコンセンサスがあり、地元がよいといえば、本当は新たな規制だとか法律なんかいらないんですよ。」(警察生安関係者)。またある人が「法律を作るのは大変ですが、規制緩和はある意味簡単。一文を添えればいいのですから。」と。

関連法令・条例について

「寛容性の裏返しは、無関心ということでもある。違法性風俗店がこういった状況になるまで放置したのは街です、反省すべき。そういう意味で、歌舞伎町ルネッサンスを軸に、地域の人たちがなるべく情報を共有し、あらゆる動き、変化に対して関心をもとうという機運はやっと今、高まってきている。」(歌舞伎町商店街振興組合町田理事長)、森下グループの存在が今の風俗産業の向かい風を作ったきっかけになったことは否めない。また、街はそれを放置し、今になって一気に規制・排除し結果として地域経済を低迷させたのも事実。歌舞伎町ルネッサンスの進めるまちづくりは「持続可能な経済活動をする街」と訴える。ならば、個人的な意見かもしれないが、歌舞伎町ルネッサンスを進める側とどちらかというとそうではない側にしても、お互い顔が見える関係を築き、話し合い、互いに理解を深めるべきだし、その中で目指すところの「街を良くする」方向にどうベクトルをあわせていくか、これが課題だろう。

アメリカ独立の祖、ベンジャミン・フランクリンはこういう言葉を残している。「ささやかな一時的安全を得るために、基本的自由 をあきらめるような人は、自由も安全も得られはしない


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歌舞伎町の桜開花報告、春です。 [その他]

 歌舞伎町公園(弁天堂)の桜がほころびました。

まだ、7~8輪といったところですが、歌舞伎町一丁目にある弁天堂のしだれ桜のつぼみがほころび始めた。春の訪れを感じさせます。明治のはじめごろは、歌舞伎町一体は旧長崎藩主大村家の屋敷があり、大村の森といわれた広大な沼地だったそうだ。沼にはもともと弁財天が祀られていたが、淀橋浄水場建設の際、その残土によってこの沼地は埋め立てられ、尾張屋銀行頭取でこの一体の大地主であった峯島氏によって今の場所に弁財在天を祀った。大正2年に改築、上野不忍弁天堂より現在の祭神を勧請、その後、昭和20年に空襲で本堂消失。昭和21年に復興協力会(鈴木喜兵衛会長)が峯島家に安置してあった祭神を仮殿に移設、昭和38年に歌舞伎町商店街振興組合によって再建、現在の姿になった。

春を迎え、歌舞伎町ルネッサンスをとりまく環境もいろいろ変化がある。新宿区は歌舞伎町ルネッサンスの推進における専管組織を立ち上げる。これまでも、企画政策部の副参事であった香西一晶氏が歌舞伎町対策の現場の中心にいて、クリーン作戦と業務を連動する環境土木部に席を置き、各関連部署との調整、ルネッサンス協議会の事務局機能を行ってきたわけだが、新年度より香西副参事は健康部衛生課長に移動、新たに歌舞伎町ルネッサンス担当に平井光雄副参事(歌舞伎町ルネッサンス推進協議会事務局次長)が就任することになっている。

←香西副参事にかわり、新たに新宿区企画政策部歌舞伎町担当副参事に就任する平井光雄氏。「歌舞伎町ルネッサンスをきっかけにして、地域が積極的に街をいい方向に変えていこうという機運が育ちつつあると聞いています。18年度はTMOの創設と喜兵衛プロジェクトの具体的な成果を目指し、地域の皆さんと共に一緒にがんばっていきたいと考えています。」

なお、4月3日以降、歌舞伎町ルネッサンス推進協議会、及び喜兵衛プロジェクトの問い合わせ先は下記に変更になります。

  • 新宿区役所企画政策部歌舞伎町担当 平井光雄副参事:℡03-5273-4235

昨年は、東京都治安対策本部からの参加としての歌舞伎町ルネッサンス推進協議会の委員で東京都副知事であった竹花氏が、副知事の任期を終え、警察庁にもどり、歌舞伎町対策を国の警察という立場から応援するという形になった。現在生安局長。後任に、警察庁刑事局捜査第二課長だった舟本馨氏が東京都治安対策本部長(知事本局)に就任、第三回歌舞伎町ルネッサンス推進協議会から竹花氏の後を受けて参加している。18年度は、歌舞伎町ルネッサンス推進協議会会長である中山弘子新宿区長も秋には任期を満了、区長選挙を控えている。小泉総理も総裁任期はあと半年、今後もルネッサンスを取り巻く環境はめまぐるしく変化する可能性もあり目が離せない。

喜兵衛プロジェクトの正式スタートと、四葉会再開発への動きがにわかに忙しくなり始めている中で、現場における「官側」の実質中心的調整役であった香西副参事に代わってその席に着く平井氏の今後の手腕が試される。街場の声は、不安半分、とはいえ、「若くて実力のある人を」と区長が言ったそうだから期待もしたいところだ。歌舞伎町ルネッサンスは、区政の範囲を超えた国家的な活動プロジェクトであり、「ルネッサンス」という言葉がいまや全国の都市・繁華街に波及、いかに持続可能な経済活動を可能とするまちづくりを進めるか、その機運は高まってきている。だが、「官」はあくまでバックグラウンドであり、サポーターである。まちづくりはすべての都市・繁華街に共通するテーマ以上に、各地域の特殊性、資源を考えなくてはいけない。すべての街を六本木ヒルズや表参道にする必要もないし、それを望む声なんて、少なくとも歌舞伎町にはない。では、どういった街を目指すのか、その意思を示すべき主役はあくまで地域事業者、民間の役割だ。それはおそらく、どの都市、繁華街でも同じ思いであろう。「ルネッサンス」の先駆的役割を歌舞伎町は担っている。だからこそ、この街における成功も失敗もすべて一つの成果として明らかにしていく、情報を開示する、どこまでできるかどうかわからないが、これが自分の役割であり、このBLOGの意義であるつもり。

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3月28日、歌舞伎町劇場通り一番街に「ばんから」ラーメン店がオープン。いよいよ一番街ラーメン戦争の火蓋が切られた!

この日、「先着200杯ラーメン10円」を謳い、㈱花研(本社:豊島区南池袋 草野直樹社長)のフランチャイズラーメン店「ばんから」(とんこつ背油ラーメンといったらいいのかな?これが有名)が歌舞伎町劇場通り一番街のあつみビル1Fにオープンした。開店の13時を前に、10円ラーメンを目当てにならんだ客の列は300人ほど、店前から「上高地ビル」の路地を巻いてセントラルロード側につながり、最後尾はカラオケ館セントラルロード店前に至った。

 

↑オープン時の様子、右の写真の草野社長(左端)と社長の友達らしいけどお猿さんがなぜか^^;、右端がフランチャイズ店のオーナー。

 

↑行列の様子、一番街通りからぐるっと一回り。最後尾はセントラルロードのカラオケ館前まで(右写真)

ラーメン目当ての客以外にも、近隣の店主や従業員などがオープンの様子を見に訪れる姿も。ばったりと、目の前の「とんかつにいむら」の新村社長(喜兵衛プロジェクト座長の新村雅彦氏の弟さん)に会ったが、「この場所で商売を始めるという果敢な姿勢に関心。」ばんからチェーン㈱花研の草野社長が「(行列ができて)ご迷惑をおかけしてすみません」と言うと、「街がにぎわうのは大いに賛成、がんばってください。」と語っていた。

←行列を横目に31日のプレオープン準備中の味千ラーメン。

「ばんから」の隣、歌舞伎町一番街ビルの1Fに熊本ラーメンの「味千ラーメン」は4月15日にグランドオープン(31日より毎日限定200杯のプレオープン)。すでに、一番街には光麺が進出済みである上に、えび通り側には「日高」や喜多方ラーメンの「坂内」、さらに割烹あそうの並びにはさらに「光麺」が出店を計画している。違法風俗等の排除と入れ替わるかのごとく、さながら、歌舞伎町一番街通りはラーメン・ストリート化の様相を呈している。歌舞伎町の春の幕開けは一番街ラーメン戦争でスタート!?

 


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フリーペーパー「歌舞伎町るねっさんす」第3号は4月27日発行 [その他]

FreePaper Kabuki-cho Renaissance Vol.3 PDF

安心・安全の街づくり、歌舞伎町ルネッサンスの活動に関する広報誌フリーペーパー「歌舞伎町るねっさんす」(歌舞伎町地域活性化プロジェクト発行:発行人 片桐基次)の第三号が4月27日に発行される。1月27日に開催された歌舞伎町ルネッサンス推進協議会の会議概要や同協議会で正式承認された家守事業推進の「喜兵衛プロジェクト」に関する特集、また最近一番街通りを中心に新規出店の相次ぐラーメン店特集が掲載されている。24ページ オールカラーで発行部数は1万部、新宿区の各公共施設やシネシティ各劇場、ビジネスホテル(ヴィンテージ、東横イン)、坂内、わ蔵、喫茶店トップ、ロフト、ハイジアなどに配本、また都市再生の行政関連にも配布される。組合・区ルネッサンス事務局には随時ストックを置き、そちらでも配布。

フリーペーパー「歌舞伎町るねっさんす」第3号 4月27日発行~contents

  • 歌舞伎町劇場通り一番街で、ラーメン戦争勃発!?
  • グルメの街 歌舞伎町
  • 歌舞伎町イベントレポート Pickup
  • 歌舞伎町ルネッサンス推進協議会 活動の概要と報告
  • 歌舞伎町家守事業「喜兵衛プロジェクト」特集
  • 歴史コラム「鈴木喜兵衛氏と歌舞伎町」
  • 歌舞伎町えんため瓦版 映画演劇ガイド
  • 改正風適法、都風俗規制関連の条例等相次いで施行
  • 「歌舞伎町のジョーで~す」
  • 中山弘子新宿区長に聞く(インタビュー)

誌面内容・広告掲載・配本、設置等に関するお問い合わせは下記までお願いいたします。

☆歌舞伎町地域活性化プロジェクト事務局(歌舞伎町商店街振興組合内)「歌舞伎町るねっさんす」編集部 ℡03-3209-9291

PDF版「歌舞伎町るねっさんす第3号 web edition」
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4月28日 沓掛国家公安委員会委員長、夜の歌舞伎町を視察 [その他]

4月28日、ゴールデンウィークを控えたこの週末の金曜日、19時に黒塗りの車が歌舞伎町交番に横付けされ、沓掛(くつかけ)哲男国家公安委員会委員長(防災・有事法制担当大臣も兼務)が歌舞伎町視察に訪れた。

 

シネシティ広場前、沓掛国家公安委員会委員長と案内をする柗木(まつき)義人新宿警察署長。

さすがに昨年の小泉総理の視察ほどではないものの、警察行政のトップの視察ということもあってSPの数はかなり多かった。視察を案内したのは新宿警察署の柗木(まつき)署長。(実は昨日、出来たばっかりのフリーペーパー「歌舞伎町るねっさんす」第三号を配本に街を廻っていたときにも押切生安課長と一緒に歩いていた署長と偶然さくら通りでばったり。)この日の歌舞伎町は新歓コンパなど多くの学生や若いサラリーマンで賑わうなか、さすがに日ごろウロウロしている客引きやカラオケ・居酒屋の客引きも居づらいらしく散りじり、さくら通りの案内所の従業員が店の中からこそっと外を覗く姿がちらほら、まさに風適法改正の施行直前のデモンストレーションにもなっていた。

 歩道拡幅が計画されている花道通りにて。

柗木署長の案内で沓掛委員長は、シネシティ広場からえび通り、一番街通りからセントラルロード、さくら通りから花道通りを経るコースで視察。記者クラブの警察付のマスコミ、SPと行列を作りながらの随行取材となった。シネシティ広場を中心に地元商店街振興組合が地域の活性化のためにさまざまなイベントを警察・行政と連携しながらやっていること、5月1日施行の風適法改正や6月1日施行の風俗案内所規制条例などをいかに有効に地域浄化と活性化に結び付けていくか、違法風俗や暴力団の排除によって増加した空きビル・空きテナントに対する課題、暴力団事務所排除に有効性があった花道通りの車道狭隘化と今年度に計画されている歩道の拡幅化などについてそれぞれ現場を見ながら説明。

沓掛国家公安委員会委員長は「警察と地元の方々が一致団結して治安の良い楽しめる歓楽街をつくっていくことがなによりも大切なことだ。必ず、そういう方向に進みつつあるなぁと思っています。昨日総理から、とくにこのGW中、治安当局としてしっかり対応するようにという話があった。今日歌舞伎町に参りまして、2年前に比較してびっくりするほど環境は良くなっている。しかし、これらをさらに改善しながら、日本一の繁華街、歌舞伎町のこういった取組を全国に拡大、成功させていくいくことが、日本の発展、青少年の育成の面でも非常に重要だ。」とお話されていた。


視察、代表取材(産経新聞)のあと、記者の方たちと少しおしゃべり「歌舞伎町は安全になったと委員長はおっしゃるが、実態はどうなんですか?」と自分に質問。それに対する答え、「正直、安全ですよ。これだけの人たちが常にいて、なおかつ防犯カメラがあちことにある。しかし、それは表面の話。目に見える部分では安全になったと思いますよ。つまり体感治安という意味で。しかし産業構造や拠点という意味でまだまだ根の深い問題は残っている。まして視察の時間帯は19時から20時ですからね。客引きがこの街に大量に出てくるのは22時以降です。こういった問題を提議しつつ、今、地域と行政・警察が協働しながらそれらの暴力団インフラを排除しようといろいろやっているところだ。」と話した。たとえば、実際、27日にも歌舞伎町商店街振興組合で防犯委員会の会合が行われたが、そこでも客引きを徹底排除を行うための行動を具体的に且つ明確に行う話が出ている。一言で客引きといってもカラオケ・居酒屋の客引き(違法とは言い切れない)ものとキャバクラ・ホスト・セクキャバや性風俗・違法風俗・カジノ等の客引き(完全に違法)がある。完全に違法なものは徹底して排除、違法とはいえないもののタバコを吸いながら缶ジュースをのんで客をひくようなマナーの悪い連中の多い居酒屋・カラオケ業関係には外販スタッフの従業員教育の徹底と自主規制等を促していくことが必要である。また、22時あたりから非常に目立つ一番街通り・靖国通り・あずま通りにいるアフリカ系外国人によるキャッチ(セクキャバ・キャバクラなど完全に違法行為)は、いまや歌舞伎町来街者にとっては防波堤になってるので深刻だ。

民間に何が出来るのか、あるいはどういった行動をとるべきか、近いうちに書くこともできるだろう。


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鈴木喜兵衛氏のひ孫さん、杉山文野(ふみの)クンが「ダブルハッピネス」講談社刊で作家デビュー [その他]

  歌舞伎町名物、すずやの「とんかつ茶漬け」

歌舞伎町劇場通り一番街、おそらっくもっとも「歌舞伎町」のシンボリックな存在である一番街アーチのすぐ横のビルの2階に「すずや」という飲食店がある。この建物のオーナーである杉山元茂氏の経営するとんかつ屋さんなのだが、この店の名物は「とんかつ茶漬け」。店主としては3代目の元茂氏なのだが、この「とんかつ茶漬け」は2代目鈴木華子さんの時代に、のこったとんかつをまかない料理としてお茶漬けにして食べていたものがルーツ。以降、試行錯誤を重ねて、しょうゆ味のヒレカツと乱切りの焼いたキャベツをご飯にのせ、熱いお茶をかけて食べる今のメニューになった。

この2代目の鈴木華子さん、すずやの初代杉山健三郎氏の娘さんであり、そして「歌舞伎町をつくった男」鈴木喜兵衛氏の長男喜一郎氏の奥さん(現在も健在)。(参考:鈴木喜兵衛氏と歌舞伎町について)華子さんから現在の杉山家につながるまでの系譜には、喜兵衛氏の長男、喜一郎氏と華子さんの間に子供が居なかったこと、その後、杉山家の血筋から養子縁組などがあったりとやや複雑な事情もあるようなのだが、現在の杉山元茂氏の次女であり(戸籍上)、また歌舞伎町商店街振興組合の「よくしよう委員会」などにも関わりながら、夜鳥の界に混じってボランティアで歌舞伎町の清掃をしつつ、一方で渋谷区議のハセベケン氏と対談したり、乙武さんと一緒にタイに行ったり、ウチのBlogにも時々コメントをいれてくれたり^^;と忙しい毎日を過ごしているのが杉山文野(すぎやま・ふみの)クン。

で、杉山クンが本を書いたので、それをここで紹介~

「ダブルハッピネス」 杉山文野著 5月18日、講談社より発売(予定)

1981年、東京生まれ。日本女子大学付属の幼・小・中・高を経て、早稲田大学教育学部を卒業。現在は大学院教育学研究課修士課程に在学中。2004年度女子フェンシング日本代表という杉山クン。

で、なんで「クン」なのかというと、文野クンの最大の悩みの原因、彼女は「彼」、つまり性同一性障害であるということにある。体は「女」だけど心は「男」というもやもやした感覚と生まれてきたときからづっとつきあい続けてきた。「自殺を考えるほど苦しい心と体の違和感、家族のこと、友人のこと、セックスのこと、日本における性同一性障害の現状・・・ぜんぶキッパリ書きました。」と、女子フェンシング日本代表にして歌舞伎町を創った喜兵衛氏のひ孫さんが赤裸々なカミングアウトを本にしたのがこの「ダブルハッピネス」、「人の二倍、辛いこと、悲しいこともあったけど、楽しいことも二倍経験した」という杉山君の24年間の話、障害ってなに?きっとそんなことを考えて、やさしい気持ちが沸いてくるかも。


「歌舞伎町にいるとなんかホッとするんですよね。それは単に生まれ育った街というだけじゃなく、懐の深さがこの街にはある。」と杉山クンは言う。それは、おそらく性的にマイノリティであるという部分が、普通の人間関係では不自然さを産むだろうが、この歌舞伎町という街では、違った意味でのマイノリティが多いせいか、違和感なく受け入れてくれる寛容さがあるからなのかもしれない。

「よくしよう委員会」にて発言する杉山クン。

「やくざもホストも、生まれながらにしてやくざでありホストだったわけじゃない。みんな、それぞれいろんな事情、背負うものや苦悩があって、それでほかに居場所がなくてこの街にやくざとして、ホストとしているようになったという人も多いのではないかなんて思う。でも、だからといって、この街は何でもあり、好き勝手やって、ルールを破って、というのではいけない。そういう人たちでも受け入れる街だからこそ、ここでがんばってチャンスをつかんで、まっとうな人生にステップアップできる、そんな懐の深い街だと思っているから歌舞伎町がスキなんです。」と、だから歌舞伎町ルネッサンスのなかで進めている地域の浄化活動にも正義を感じつつ、一方でどこか無機質的な空虚感を抱き心が揺れたりもしている。

杉山クンとは今、共同作業で進めているある企画があり、いろいろ話す機会も多い。よくしよう委員会に顔を出すようになって歌舞伎町に真正面で関わろうと思い立ってから、実はまだ間もない。いろんな人たちと会い、話をし、あるいは聞くなかで考え方もまだまだ変わっていくかもしれないが、それでも真剣に「歌舞伎町をどう良くしていったらいいのか」を真剣に考えている貴重な次の世代の若者である。現実にこれから変わっていこうとしているこの街を受け継ぐ次の世代の人たちの考え方は重要だろう。「次の世代にどうこの街を継いで行くのか」ということを組合の理事長はじめ幹部の方々から聞くことは多いが、では「どんな形でこの街を引き継いでいきたいのか?」、残念ながらそれを声にして聞かせてくれる人たちは少ない。

杉山文野クンのブログは「あばうとSEX」、あと最近新宿放送局とのコラボで「僕の歌舞伎町日記」をスタート。

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ゴールデンウィークを境に、一番街ではいくつかの変化があった。まず、平成13年9月1日に44名の死者を出し、その後訴訟における証拠保全のための仮差し押さえで実質塩漬けになっていた明星56ビル(有限会社久留米興産所有)がいよいよ解体を開始した。工期は5月1日より7月15日。

久留米興産は、歌舞伎町内にも他にビルを所有しているが、そちらは既に売りが出ているようで、こちらの明星56ビルについても更地にした後に売却が検討されているという話だ(坪単価2,000万強かと)。ただし、遺族側から年に一回は慰霊できるようにして欲しいといった要望もあるようで、その後どういったものになるのかやや不透明ではある。今回の解体工事は、平成13年のビル火災におけるビル管理会社としての久留米興産と実質オーナーであった瀬川重雄被告と遺族側の間で概ね和解が成立したことを受け、裁判所の仮差し押さえが解除されたのを受けてのもの。

同じく、一番街であるが昨年の11月に風適法違反(禁止区域内営業)によって逮捕、有罪になった森下景一氏のグループが脱法的にデリヘル受付所・サービスルームに使っていた上高地ビルは、5ヶ月の閉鎖を経て改装され、まんが喫茶「マンボー」として完成、オープン。しかし歌舞伎町には「ぼくらは残党です」という森下のグループの元関係者がまだまだ風俗案内所などを運営している実体があり、また風俗SOHOという形でのデリヘル受付所の集積した店舗も点在している。5月1日に施行された改正風適法は7月一杯まで猶予期間があり、また風俗案内所規制条例が6月1日施行を控えている段階というのもあるだろうが、まだまだこんな状態である。また「お見合いパブ」が規制によって締め出されたデリヘル嬢や援助交際を求める女の子たちのたまり場になっていたりと、課題はまだまだたくさんある。

歌舞伎町内には、簡易宿泊所型のレンタルルームが多数存在し、法が施行されてもそれらが存続しているということが実体を物語っている。簡易宿泊所が実質「ラブホテル」として使用されているというのであれば、これは立派な風適法違反である。また、ビルオーナーにも責任が及ぶ上に、そういった業態を仲介した不動産業者も「幇助」になる。すでに埼玉県警では不動産業者が幇助で摘発を受けた事例がある。


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5月23日 新宿繁華街組織犯罪排除協議会 暴排講演 [その他]

5月23日、新宿警察署7F講堂において「新宿繁華街組織犯罪排除協議会 暴排講演」が行われた。この新宿繁華街組織犯罪排除協議会というのは、平成15年7月に発足、新宿駅周辺や歌舞伎町を含むエリアの事業者や町会・振興組合によって構成された民間主導による犯罪組織・暴力団等への対策・排除のための会合で、新宿警察署組織犯罪対策課(橋本昭課長)のオブザーバーによって活動を行っている組織。

開会に先立ち、協議会の会長である下村得治氏より挨拶が行われた。

新宿警察署管内における暴力団情勢は、暴力団事務所が約80箇所、それにともなうフロント企業等が77箇所、合計約157箇所が関連している。内、歌舞伎町1・2丁目には45箇所の事務所が存在し、構成員は1500人、周辺者が1300人が居ると推測されている。特に住吉会・極東会系だけでその9割り近くを占める(数字はやや流動的)。一般的に縄張りについては約4箇所に分けられ、西新宿1~8丁目・北新宿1~4丁目が住吉会十二社、大久保1~3丁目・百人町1~3丁目が向後睦、新宿駅東口・歌舞伎町1丁目が向後睦の新宿東という組織、歌舞伎町2丁目が住吉一家醍醐組がそれぞれ縄張りと称している。それ以外にも極東会や山口組系の組織が混在し、また三つ巴・四つ巴といった情勢になっているという。これに対する新宿警察署の組織犯罪対策課の体制は捜査員57名、昨年度の逮捕実績が620名(暴力団、麻薬、不良外国人等あわせて)ということだ。なお、組織犯罪対策課ホットラインが新設されたので、なにかもめごとや110番するほどでおないが、あるいは情報提供といった場合があったら下記ホットラインにどうぞとのこと。

新宿警察署 組織犯罪対策課ホットライン℡03-3348-0137

 

警視庁組織犯罪対策部組織犯罪対策課第三課暴力団排除第一係長 田賀博幹氏による講演

「最近の暴力団情勢としては、全国で86,300人、平成8年以降おととしまで微増傾向にあったが昨年からやや減少している。山口組・住吉会・稲川会でその総数の約7割りを占めている。また、山口組は勢力拡大傾向にあり、暴力団全体の47.5%の勢力、つまり世の中の暴力団の約半数を占める。東京都においては、昨年末の段階で16,750人の暴力団員数が把握されており、内訳としては住吉会が7,050人、極東会が2,000人、山口組が1,650人、稲川会が1,200人と、都内においても数字上山口組が第3の勢力になった。銀座・新橋・六本木・渋谷・上野・浅草などの都内主要繁華街に勢力を持っていた在京暴力団の国粋会を山口組が参加に吸収することで、山口組の東京への本格的な進出ということになった。

新宿区内においては暴力団員の人口比でいうと100人に一人、台東区はこれよりも若干多く97人に一人、台東区でも暴力団追放都市宣言というのを昨年12月に行い、新宿に遅れること3年ではあるが、暴力団追放推進協議会を5月2日に発足、活動を開始した。浅草など下町の場合、地域に密着した子供の頃から地元に根付いているというのがあってなかなか難しいのに対し、新宿の場合は外から入ってくる暴力団が多い。

とくに山口組については、警察に対する対決姿勢が非常に強い。たとえば、警察と接触するな、当然事務所にも入れるな、警察に情報を提供したものは処分するといった上層部が下部組織を締め付けている。また、組織力・資金力を背景にフロント企業を使って合法・非合法を問わずミカジメ料の要求などの伝統的な資金源以外に、闇金融、債権整理、公共事業への関与、株取引、投資などさまざまな経済活動が活発である。したがって、関東進出の楚になっている国粋会、あるいは武闘派といわれていた後藤組などを的に徹底的な取り締まりを行っている。

暴力団排除協議会の発足事例としては、プロ野球暴力団排除協議会、西多摩建設業界の排除協議会がある。プロ野球につては、応援団を含む外野席が東京ドーム、神宮球場などで暴力団によって不法に占拠、無法地帯化していた経緯があり、実体としては球場職員・警備員でさえ「暴力団や応援段には逆らうな」と指示が出されていたほどの状況だった。そのため、セ・パ両リーグを含む暴力団排除の協議会を発足し、排除のためのさまざまな広報を行っている。山口組に上納していた応援団組織を排除した関係で、現在ヤクルトの応援団が不在といった状況になっている。西多摩建設業界の排除協議会は、西多摩建設業界協同組合というのが母体になっていて、日本人権対策研究会という団体から目的不明の会社訪問、機関紙の購読要求などがなされていたために警視庁に相談があったながれで、この協議会を発足した。平成10年ごろから、市や都発注の公共事業落札会社に対しこの日本人権対策研究会が落札額の1%を要求、払わない場合は工事に張り付いて、実質的に工期が延びるような嫌がらせ行為、たとえば1㎝でもパイプ敷設工事に狂いがあったら行政に通達、行政はやむなく対処せざるをえない状況にするといったことをしてきた。人権対策研究会には、行政の土木部のものがいて、どうやったら行政が動き、わざわざ掘り起こして対処せざるをえない状況になるか熟知していたようで、こういった役所の人間が犯罪の片棒を担いでいたことが判明し、これに警視庁は対処してきた。警視庁に被害届を出すまでに、5回にわたり1300万円の恐喝被害があった。

歌舞伎町など、これだけ潤っている街なだけに、いろいろな利権、根深い暴力団等の関与はありうるかもしれないが、地域の方々が警察・行政と連携して暴力団等の不当な要求に応じない、被害を出さないといった活動を警視庁としても支援していく。」

歌舞伎町商店街振興組合からは、町田靖之理事長ほか、前理事長の小松氏、「とんかつにいむら」の新村社長などが参加されていた。


そもそも、暴力団であることにどれほど旨みがあるのか。組事務所では電話番や掃除洗濯、組長や幹部の使いっぱしり、ボディーガードなどとして束縛、ミカジメ料や用心棒代の取立て、覚せい剤の密売や恐喝行為などの犯罪行為で金を得ては上納金を納めるだけ、ミスを犯せば「けじめ」としてリンチや指詰め、組抜けしようとすれば監禁や脅迫、まして「家族」からは「ヤクザを早くやめて!」といわれ続ける日々。末端の組員は腹を空かし、組長は金がかかるからとトラブルは避けたい現実、いまの時代に暴力団が昔の「任侠ヤクザ」が生きていくような環境はどんどんなくなっている。したがって、暴力団・その周辺の犯罪組織のシノギは、一方で合法・脱法的な経済活動を中心としつつ、もう一方でさらなる凶悪な犯罪行為(詐欺・麻薬など)によるインフラに二極傾向にある。

現在でも歌舞伎町では、かつて、新宿でも戦後の武装解除によって、警察すら銃をもてなかった時代、戦勝国の治外法権を縦に当時「三国人」といわれた人たちの某弱無人からの自警組織として機能していた尾津組のことを悪くいう人はだれもいない。警察や行政の手の届かないある部分を「ヤクザ」が担っていたという側面、前述の講演にあったプロ野球からの暴力団排除にしても、よくよく考えれば新聞を売って歩く「なんとか団」なんていうのはみんなヤクザだったし、彼らが巨人戦の券を持って歩いて拡張していたわけだから、それを思えば企業も知ってて暴力団を利用してきたじゃないかと思えてしまう。

芸能界、とくに演歌や浪曲業界には昔からタニマチとしてこういった暴力団との関与は深かった。それがシノギになるからという以前に、歌手のだれだれのファンとか、意外と単純な関係からコンサートの券をまとめて買ったり、一時期組長クラスに浪曲がはやって、弟子入りしてたり、そんな姿はよく見たものだ。美空ひばりの興行に山口組三代目の田岡組長が関与していたことは有名だったが、これもむしろ美空ひばりのファンだった田岡組長が、地方巡業の際に起こりうる地元ヤクザとのトラブルに仲介し、各興行が滞りなく行えるよう側面支援していたといった色合いが強かった。今でも、かつて、ヤクザと持ちつもたれつの関係だった時代を知る人たちが居る上、組織的にチケットを買ってくれるという旨みがある以上、芸能界と暴力団の関係も完全に消えることはなかなかないだろうが、それも、各興行イベンターがしっかりとした会社組織になり、システムが出来上がってきたために徐々に暴力団の色合いは薄くなってきている。

現在暴力団排除、つまり排除に重点が置かれているが、たとえば新宿から排除しても他にいくだろうし、したがって全国的に同時多発的にこういった活動をする一方で、暴力団でいることの旨みがいかになくなっているか、また暴力団からの足抜け支援をもっと積極的に進めていくこと、同時にこういった社会のアウトサイダーたちが通常社会に復帰できるような環境整備、こういったことももっともっと充実させ、広報していく必要を感じる。現在、財団法人暴力団追放運動推進都民センターというのがあるが、ここでは警察と連携して足抜け支援や更正援助のメニューがある。警察では、脱退を妨害しないよう組長に警告、離脱を援助し、暴追都民センターは、暴力団からの離脱者が構成するために緊急の援助を必要とする場合には、当面の生活費として構成援助金を支給している。また「暴力団離脱者就労対策協議会」というのも設立され、離脱者で真剣に働く意志のある人に対する相談の窓口もある。

単に排除を謳うだけでは、決して治安対策は進まない。その人たちがどうやって生きていくのか、雇用支援も含めた社会インフラの整備、レッテル社会をどうなくしていくか、まっとうに生きようと思う人たちに対する社会の寛容性ということも含めて考えるべきなんだろうと思う。

財団法人 暴力団追放運動推進都民センター(略称 暴追都民「センター)

日本の警察は約28万人、だいたい人口に対する警察負担率は500人と聞いている。一方、東京都で言えば警視庁が約7万人というので、都の人口からの負担率は200人程度。しかし、アメリカに比較すると、アメリカの場合銃社会というのもあって安全・安心に対するコストは日本とは大分異なるかもしれないが、負担率は約100人。つまり日本の5倍ということになる。一方、歌舞伎町だけ考えてみると、流動人口は1日10~15万人、よって負担率の平均から言っても最低2~300人は居てもいい計算になる。しかし、実体はそれにはるかに及ばない。犯罪が多様化し、凶悪な犯罪はどんどん地方にも波及し、また日本自体も国際化するなかで、まちがいなく安全・安心のコストは増大している。しかし、警察の増員はなかなかままならない。今の日本の治安状況からいっても、警察は今の3倍くらい居てもいいのではないか。かつて、ヤクザが行政や警察の足りない部分、手の届かないある部分を担ってきたということから言っても、結局行財政改革とは逆行するかもしれないが、こと安心・安全についてはもっとコストをかけてもいいように思う。暴力団排除にからめて、そういう人たちを雇ったらというのは極端かもしれないが、国全体の雇用対策からいっても警察の大幅増員はあってもよさそうな気がする。日本は銃社会でない分、自警するのも銃や刃物を持つわけにはいかない、結局警察に守ってもらうしかないのだから。

 


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