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『また明日も観てくれるかな?』~So see you again tomorrow, too? ~Chim↑Pomの歌舞伎町商店街振興組合ビルアート展は10月15日より31日まで [イベント]

歌舞伎町1-19-3、昭和39年(1964年)、関係者の所謂ロビー活動で東京都から1,500万円で払い下げられた144㎡(約44坪)に建設された歌舞伎町商店街振興組合ビル。 当時、商店が振興組合法が施行され、東京で最初の《商店街振興組合》が歌舞伎町に誕生、以来、52年間、"民意"の担い手として活動を続けてきた歌舞伎町商店街振興組合の所有するこの建物が、この11月、解体されることになりました。
東宝に売却?そんな交渉もかつてはあったりもしたのですが、そうではなくて、この築52年を迎えた建物の建て替え工事がはじまります。竣工予定は2018年5月ごろ目途に計画が進められています。

そんな話を聞きつけて、それならば、ビル解体丸ごとアート展ができないだろうか?という話を持ち込んだのが、卯城竜太・林靖高・エリイ・岡田将孝・稲岡求・水野俊紀の現代アーティスト集団"Chim↑Pom"。
日頃、歌舞伎町の世代の狭間で、両方の話を聞きながら、時に通訳しながら、街のその時々の誰かの思いを着地させるようなことをやってきた自分ですが、今回は、この役割を、Smappa!Groupのオーナーでインターネット放送『TOCACOCAN』を主宰していた手塚マキ氏(39)が担いました。いわば、『また明日も観てくれるかな?』のオーガナイズを手塚クンがやったわけです。何をどうするのかよくわからない中で、若干紆余曲折もありいの、結局「まあ、どうせ(建物を)壊しちゃうんだから、いいんじゃない?」(商店街)という、ある意味寛大なはからいにより、そのプロジェクトが、こうして着地しました。

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題して、『また明日も観てくれるかな?』~So see you again tomorrow, too? ~
http://chimpomparty.com/
"Chim↑Pomは、解体予定の歌舞伎町振興組合ビル(使用は地上4階から地下1階まで)にて、日本では約3年ぶりとなる大規模な新作個展と、音楽やパフォーマンス、トークなどライブイベントからなるプロジェクト『また明日も観てくれるかな?』~So see you again tomorrow, too? ~を自主開催いたします。展覧会のテーマは「Scrap and Build」。「2020年東京オリンピックまでに」をスローガンに再開発が進む、現在の東京という都市の姿に迫ります。"

タイトルの『また明日も観てくれるかな?』は「笑っていいとも」のお馴染みのキャッチフレーズを引用。2014年3月31日にアルタにて行われた最終回、ラストにも関わらずタモリがその言葉で番組の歴史を締めくくったことに所以とか。

― ビル自体の最終回ともいえよう本展は、廃墟の活用や Scrap のみをフォーカスしたものではなく、あくまで その後の Build、そしてその先に再び来るであろう Scrap and Build をテーマに含む。いわば 必ず訪れる「終わり」、そして途切れることなく来る「明日」の狭間の当事者として、オーディエンスに未来の在り方を問いかけている。― と、ある。

Scrap and Build 。
奇しくも、つい数日前の10月12日、新座の東電地下施設が火災で燃えた。原因は35年間旧式のまま老朽化した高圧ケーブルの漏電。そして東電は、この老朽化したケーブルは今も東京の地下に1千キロ以上あることを明かしたばかりだ。
あれは7月20日のことだった。汚水が溢れ出した歌舞伎町の地下街「サブナード」、これは50年を超えるような朽ちかけた地下インフラの損壊が原因だった。 東電の老巧ケーブル1千キロも、歌舞伎町の地下のインフラも、これまで何度も議論にはでてきている都市の課題だ。知るべき人たちは知っている。でも、手つかず。
これらはあくまで例だが、昭和30年代後半~40年代あたりで、木造都市がコンクリート化し、高度経済成長で高騰した狭小な土地に無理やり詰め込んだインフラとともに、あれから約半世紀が経ち、今の東京であちこちが悲鳴を上げている、これらは一つの示唆だ。 どうにかしないと、って言っても、民有物と、それに接続してる公共物双方を同時に刷新でもしない限り、片方だけ新しくしてももう片方がボトムネックになる。新旧ハードを無理やり共存させると思わぬ負荷もかかろう。
2020年に東京オリンピックはくるようだけど、さて。これを"機"とするのだろうか、"機"としても、石の街に慣れてない、せいぜい40~50年、ひと世代分しか経験のないこの国は、如何なる想像力を以って持続可能な都市に進化させることができるのだろう。 今舞台は、昭和39年竣工、つまり、前の東京オリンピックの年に建ったこの建物の、破壊と創造、の狭間。


今展示で、最も象徴的な作品は「ビルバーガー」だろう。ビルの"4階3階2階のフロアを切り抜き、そのまま真下の1階に積み重ねた巨大彫刻作品。壊すこと、建築すること、という相反する二つのプロセスによって「Scrap and Build」を可視化。"とある。これと、建物4フロアを貫く巨大な切込み穴。まさに「破壊」こそが最強のエンターティメントであることを思い知らされるインパクトだ。

思えば、歌舞伎町商店街振興組合は、永らく歌舞伎町の「秩序」の象徴だった。学生運動華やかな時は警察とともに破壊活動から街を守り、治安維持に努めた側だし、今も、反社や暴力団、詐欺集団に対する抑止力である。という象徴的建物を破壊する、というエンタメ。そこから、いろいろな解釈が生まれるものになりそうだ。たまたまそういうタイミングだったから、とは言っても、そうそう建物を好きなように破壊できるなんてことは、ないだろう。ましてや、5FやB2はいまだ稼働中だ。だが、一つ言えるのは、こうして今も《歌舞伎町は寛大なり》ということのまさに具現化になっているのではないか。そして、その作品が完成する(期間中のイベントや騒ぎ、観客をも含め、全体を通じて一つの作品)ためにも、開催期間中、歌舞伎町が《寛大》でありつづけられるよう、事故なく終わってもらえたらと思う。

 『また明日も観てくれるかな?』~So see you again tomorrow, too? ~
会期は2016年10月15日(土) ~10月31日(月)
Open:13:00-22:00(10/15、28はイベントデイとして翌6時まで)
1,000円(展覧会のみ)または3,000円+別途ドリンク代(イベント+展覧会)。

だいぶ破壊されてしまっているけど、この街の"民意"を担い続けてきた歌舞伎町商店街振興組合のビルを見届ける、という意味でもいいし、無論、それ以上に、Chim↑Pomの展示とイベントはどんなインスピレーションをここで与えるのか。これを見届け、感じて、"次の"(という言葉にはいろいろ意味を込めて)の歌舞伎町に、向かいましょうか。 


おそうじボランティアのgreenbird 歌舞伎町チームが10周年! [まちづくり]

2016.10.1 greenbird 歌舞伎町チーム 10周年おそうじ&パーティより(49m53s)
おかげさまで10年。ありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。

歌舞伎町で時々見かける緑のベストのゴミひろいの集団。はい、グリーンバード歌舞伎町チームのことです。集団と言っても、誰が来てもいいし、途中参加も途中リタイヤも自由、飲み会だけ参加してもOK、意義や目標を持たないで行こうねってはじまったゆる~い、歌舞伎町の人、働いてる人、スキな人たちのサークルのようなコミュニティです。

2006年8月のことでした。立ち上げは、チームリーダ杉山文野(とんかつ茶漬け「すずや」)、キャプテン 手塚マキ(Smappa!グループ会長、当時ホストのボランティア「夜鳥の界」発起人)からスタートした、毎月第1第3月曜19時からの定例ゴミひろいは、今年で10周年、251回開催累計参加者数8,044名(2016年9月時点)に達しました。飲み会はそれ以上の回数(雨天中止ですが呑み会はやる!)、だいたい3,000円~4,000円でできる歌舞伎町内のお店でやってるので、ざっとだけどそれでも3000万円の直接の経済効果にはなってるのか。

ここ数年は歌舞伎町睦(熊野神社氏子)との関わりも濃くなり、先日9月18日にもあったように例大祭の神輿渡御にもグリーンバード歌舞伎町チーム由来の繋がりからの参加、反対に祭り由来でゴミひろいなんてのも増え、徐々にいい感じでお互い広くつながって行ってるのがいいかなと思います。

手塚・文野ではじめたグリーンバード歌舞伎町チーム、2007年には砂押悠子がリーダーに加わり、その体制が長く2013年まで、13年の周年から柿沼真衣、堀健太のリーダー体制になって3年、この度10周年を迎えました。

パーティでは、過去10年のスライド映像を流しながら振り返りつつ、じゃあこれからは、みたいなトークタイムも。10年経てば、それはそれはみんな歳もとる、大人になったし、文野はどんどん男化してるし(笑)
これはトークでも話をしたのですが、グリーンバード歌舞伎町チームの10年のちょうど真ん中に、3.11の震災があったことが、いろんな意味でバイアスになったような気がすると。なんだかちょっといいことしてみたい、でもそんなことして意味あるの?どうせやるならタノシンでみたいな自分探しと葛藤が織り交ざった今時の「青春」は、写真に写る景色にも華やエネルギーがあって面白い。だが、3.11は、そこに「意味」を考えるきっかけをつくっちゃったというか、やる前、先に考えさせちゃうというか、そういう、時間を早く進めるようなバイアスをかけたように見えた。同じ、変わってないつもりでも、変わっちゃった、かな?と。

というのをいいとか悪い、とかそういう意味ではなく、コミュニティに、あのころ、面白おかしく楽しそうにしてた青春感をまだまだできるような受け皿、必要なのは「若さ」だろう。あと、このチームの課題は、それでも、歌舞伎町で"働いてる"人の参加がなかなか広げてこれなかったという面もあった。まあ、みんなが働いてる時間にやってるのだからそりゃそうだろ、というのはあるが、というあたりを担ってくれそうな人、ってことで、ホストクラブSMAPPA! HANS AXEL VON FERSEN(通称フェルセン)の現役ホストであるShun(しゅん)君がこの10周年を機にリーダーに加わることになりました。

さっそくShunがリーダーに加わった最初の定例ゴミひろいだった10月3日がいきなり雨で流れるという・・雨男か??っていう心配はさておき、これからそういうことでよろしくお願いします。

《 green birdとは》
「きれいな街は、人の心もきれいにする」をコンセプトに誕生した原宿表参道発信のプロジェクト。
「ゴミやタバコをポイ捨てしない。」と< 宣言 >すれば、誰もがgreen birdのメンバーです。主な活動は、「街のそうじ」。でもこれは強制じゃありません。「街を汚すことはカッコ悪いことだ。」という気持ちを持つだけでいいのです。個人をはじめ、ショップスタッフや企業・団体など、ただ今、プロモーションの輪はどんどん拡がっています。
合言葉は"KEEP CLEAN. KEEP GREEN"自分たちが住む街をもっとキレイで、もっとカッコイイ街にするために。ひとりでも多くの参加を、お待ちしています。

greenbird Kabukicho Team チームリーダー: 柿沼真衣 堀健太 Shun

■活動日 毎月第1・第3月曜日
■集合時間 19:00 p.m.
■集合場所 Jimushono1kai(歌舞伎町2-28-14)
■道具など 掃除に必要な道具類は、すべてコチラでご用意いたします。動きやすい楽な服装でお越しください。
■備考 雨天中止

そうじに参加の際、万が一不慮の事故などあった場合、できる限りの対応はいたしますが、責任は負いかねますのでご了承ください。   「LET'S 自己責任!自分の身は自分で守ろう!」

スケジュールは、FBグリーンバード歌舞伎町ページまたはこちらにてご確認ください。
PS; 歌舞伎町チーム立ち上げ以来、記録・アーカイバーとでもいうか、そこをやってきた自分は、役割上、いつもいると思いますのでヨロシク^^ノ


2016年10月2日(日)第35回 歌舞伎町まつりにて東京六大学応援団連盟応援合戦が開催 [イベント]

2016年10月2日(日)第35回 歌舞伎町まつりが開催、シネシティ広場を会場に、東京六大学応援団連盟応援合戦が行われました。今回で15回目となった本年は、法政、明治、東大、立教の4校参加によるステージとなりました。


2016.10.2 第35回歌舞伎町まつり 東京六大学応援団連盟応援合戦 より(完全版 Youtube動画 58'30")

「歌舞伎町まつり」、今回で35回目とのことですが、ちょっとこのイベントの立ち位置を説明しておきたいと思います。

"イベント"と書いたように、まずこれは「祭り」(祭礼・神事=神仏および祖先をまつる行為や儀式)ではありません。ただ、商業イベントというものではなく、ある種の「公共性」を保つ[※べき=区の補助金が入っている、公共空間(シネシティ広場=道路)を使用している]体裁もあって、そこら辺から「まつり」という呼び名になっているようです。
今回35回目(35年目)の開催ということですが、商店街主催の今のスキームで実施されるようになった最初が昭和56年(1981年)、遠く故郷を離れお盆の時期に故郷に戻れない勤労青年のためにの旧盆事業としてはじまったものと聞いています。 現在の歌舞伎町まつり実行委員長である下村はるお氏(現新宿区議会議長)の父(故人)である下村徳治氏が商店街振興組合理事長時期に立ち上げたものです。ようするにお店で働く人たちは、サービス業ですからお盆はむしろ忙しく実家にも帰せない、とりわけ当時の歌舞伎町で働く人には東北・甲信越地方出身者が多...かったそうで、そこで民謡や盆踊りが中心のものとして生まれた「まつり」でした。つい昨年まで歌舞伎町まつりのコンテンツにあった「越王太鼓」(新潟・巻)や民謡連盟の盆踊り大会は、その時代の名残が継承されて残ったものだったようです。
お店で働く人たちが"勤労青年"ではなくなり、また、お盆も帰れないほど忙しかったほどの歌舞伎町でもなくなり、時代変化、街の様相も変わり、イベントの存在意義の漂流感の中での盆踊りや越王太鼓は昨年を最後に中止になりました。一方で、今年で15回目、平成14年(2002年)からはじまった《東京六大学応援団連盟応援合戦》は、当時の振興組合理事長であった小松良司氏が明治大学応援団出身で、歌舞伎町に再び"若い人たちに愛される、遊びに来てもらえる街に"という志で立ち上がったものです。
今年の「歌舞伎町まつり」は、後者の、新しいほうのコンテンツだけが残っての(バトントワリングは六大学イベントコーディネート側とのバーター案件)開催と、少しスリムになったかなというところで、早・慶不参加、はやはり残念でした。
最善の演舞を、参加できない2校の分もと、渾身のステージを見せてくれた六大学4校の応援団、それをさらに喝采で盛り上げてくれた観客の皆様には感謝したいと思います。


9月18日(日)新宿・熊野神社例大祭 ― 歌舞伎町睦・村神輿渡御より [祭]

旧角筈(昭和23年までの呼称、現在の西新宿から新宿駅周辺、歌舞伎町1丁目)13睦は、十二社の熊野神社の氏子で、毎年、秋のこの時季に例大祭を執り行います。例大祭には表の年と裏の年が2回、3年の周期で繰り返されており、表の年は熊野神社本社神輿渡御が行われます。本年は裏、というわけで、氏子衆13睦は各村ごとに村神輿渡御を執り行います。表の年の本社神輿は大きく荘厳な雰囲気で執り行われるのに対し、裏年にはある程度村ごとに自由度も高く、盛り上げのためのある種の企画が工夫され、今年の開催では、歌舞伎町と角筈東部、南部各睦の女神輿連合渡御といった"イベント"も行われました。

近年、歌舞伎町睦では、佐藤清氏から片桐真介氏へと渡御長交代をきっかけに世代の刷新や、とくに担ぎ手に若い人たち、はじめて"祭"に参加する人たちが増えてきたことで、例えば神輿の担ぎ方ひとつをとっても、やや心もとない面はあったりもするわけですが、それでも徐々にまとまりがでてきたかな・・というここ1~2年です。熊野神社の担ぎ方は『千鳥』、千鳥足と言ってもふらふら酔っ払い歩きをするというわけではなく、鉦(チャンチキ)のリズムにあわせて小刻みに足踏みし、ちょこちょこ摺り足で進む感じなのですが、なかなかこれが、慣れないと難しい。また、神輿の先棒・花棒は肩で担ぐのではなく、首の後ろをつけ、腰を突き出し脚をぴんと張って千鳥足で進むところも特徴でしょう。江戸前の「そいや そーれ」と違い、「おいさぁ ちょいさぁ」がこの担ぎ方の掛け声です。


さて、今年はじめて行った女神輿渡御、新宿東口ビックロ裏(双葉通り)に東部・南部・歌舞伎町の3睦が集結、神輿を各睦の女だけで上げてアルタ前まで連合渡御を行いました。歌舞伎町の女神輿渡御長は柴本亜理砂、セントラルロードのお好み焼き店「大阪屋」の女将が女神輿を仕切りました。

歌舞伎町睦は、弁財天の鎮座する歌舞伎町公園(弁天堂公園)に神酒所を設置、連合渡御を終えると歌舞伎町に戻り、町内を巡った後、弁天堂に19時ごろ宮入を行い、祭りを締めくくりました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨今、新宿の祭りは、ある種のイベント的要素を含む開催に傾いてきています。これも観光地化が進む中、例えば今回でいえばホテル宿泊客(ホテルグレイスリー)の神輿体験なども加わり、雰囲気もより開かれた雰囲気になってきているので、今後ともより一層、とくに街場で働く人たちにはどんどん声かけをしていければと思います。一方で、祭りならではの伝統というのもあって、それは、本来『祭』は、五穀豊穣であったり繁栄を願う街の内向きな神事として行うものである、だから、神輿はそこに人がいようといまいと、町内のすべてを練り歩くわけです。また、日ごろ接点の少ない若い世代と年寄りが交流しやすい場でもある。とても"日本的"かもしれませんが、こういう場があって、若い世代が年寄りに頭を下げ、挨拶をする、そういうことがはじまりにあってこそ、世代は引き継がれ、まあまあうまく世の中は回っていくのかなと思います。

写真には写っていない、多くの方々の下支えあってこその祭りでもあります。そうした皆さまを筆頭に、また、神輿を担ぎに来てくれた方々、そしてそれを見守ってくれた町内の皆様、来街者の皆様に深く深く感謝を込めて。ありがとうございました。そして、お疲れさまでした。

記・撮: 寺谷 公一 (Kouichi Teratani)
撮: 中村 義昭 (Yoshiaki Nakamura) Daito Paulo Nakajima


歌舞伎町が忘れてはならない記憶-44名の尊い命を犠牲にした歌舞伎町ビル火災(2001年9月1日)、あれから15年。  [その他]


栃木県足利市の中村スイ子さん(写真左・68)は火災で長女の沙由理さんは当時23歳を亡くした。長女の愛子さん(当時26)と次女彩子さん(当時22)の姉妹を一度に亡くした植田さん(写真右・64)「元気で来られるうちはここに来たい」と語った。

9月1日。2001年この日の未明(午前1時頃)に歌舞伎町で起きた44名の犠牲者を出した明星56ビル火災、あの日から15年目が経ちました。現場は歌舞伎町劇場通り一番街(新宿区歌舞伎町1-18-4)、明星56ビルは今はもうなく、ここには低層の飲食店が営業をしています。やむをえないというか、年毎に薄れていく記憶の中でひっそりと、この日も、数人の遺族の方たちが遠くからいらして、現場に花を手向ける姿がありました。働く側の人たちの入れ替わりも早く、また、街で遊ぶ客も働く者も若い歌舞伎町、30歳以下となると、ほとんど知らないか、もしくは漠然とした記憶という、15年の月日が経ったわけで、それもやむを得ないとは思いますが、2001年9月1日に44名の方が亡くなった日本で戦後5番目の大惨事が歌舞伎町で起きた、この事件(事故)のことを振り返っておこうと思います。

◆2001年9月1日未明の歌舞伎町ビル火災◆

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2001年9月1日に東京都新宿区歌舞伎町の雑居ビル「明星(みょうじょう)56ビル」で起きた火災。44名が死亡し、日本で戦後5番目の大惨事となった。多くの死傷者を出した原因は、ビル内の避難通路の確保が不十分であったためとされる。出火原因は放火と見られているが犯人はまだ不明。(2010年4月の改正刑事訴訟法成立後、公訴時効消滅)

◇新宿区歌舞伎町ビル火災の概要(消防資料による)

1 発生日時等
  発  生:平成13年9月1日(土) 調査中
  覚  知:     〃       01時01分(119番による)
  延焼防止:    〃       02時14分
  鎮  圧:     〃       05時36分
  鎮  火:     〃       06時44分

2 出火場所
  東京都新宿区歌舞伎町1丁目18-4 明星(ミョウジョウ)56ビル
  耐火4階建 地下2階地上4階 複合用途

建築面積 83.07平方メートル 延床面積 497.65平方メートル(建物所有者 (有)久留米興産)
着工    S59年10月 1日 使用検査 S60年11月22日

B2  76.78平方メートル 機械室、ニュークラブレイン
B1  74.60平方メートル カジノパラダイスクイン
1階 82.43平方メートル 風俗店無料案内センター
2階   〃           ナースイメクラ(セクハラクリニック)
3階   〃           ゲーム麻雀一休       
4階   〃           キャバクラ(スーパールーズ)

3 概要
3階麻雀店から出火し、4階飲食店に延焼拡大した。3階80平方メートル、4階80平方メートルで延焼防止。なお、出火時3,4階に多数の逃げ遅れ者がいた。
(特記事項)
屋内階段は1ヵ所かつ狭隘で、3階から4階の階段はロッカーが多数置いてあり、消防隊の活動障害となった。3,4階の階段の防火戸が開放されていたため、火炎の拡散が早かった。 

4 焼損程度
3階部分80平方メートル、4階部分80平方メートル、計160平方メートル焼損

5 死傷者
(1)死 者 44人(男性32人、女性12人)
(2)負傷者 3人(男性3人)

6 消防機関の活動状況
(1)東京消防庁
   救急特別第2出場 救急車 48、火災-第2出場 車両53、計消防車両 101台
    (内訳・救急48、ポンプ・化学25、はしご4、救助6、指揮車6、他12)
   職員 340名 消防団員 21名 計361名
(2)消防庁の対応
 9月1日(土) 
  01時40分 覚知、情報収集開始
  02時00分 第1次応急体制(予防課に災害対策室を設置)
  04時30分 第2次応急体制(消防庁次長を本部長とする災害対策本部を設置)
  05時30分 東京消防庁に予防課職員を派遣
  07時20分 現地に予防課職員を派遣
  09時00分 消防庁長官が現地を確認
  17時15分 第1次応急体制に変更
 9月6日(木)
  16時30分 第1次応急体制解除
7 その他(東京消防庁情報)
  火災原因については調査中

当時建物にいた客と従業員のうち、3階の19名中16名、4階の28名全員の計44名が死亡。3階から脱出した3名が負傷した。ビル3階と4階のセクシーパブ「スーパールーズ」の防火扉が開いていたため、この2フロアに特に煙の回りを速めたこと、また避難をしようとした客と従業員らが屋上に上がろうとしたものの、出入り口を荷物らで塞がれ脱出不能状態だったことなどが被害を大きくした原因とされている。3階ゲーム麻雀店で助かった3名は、事務所の窓から脱出した従業員。また、目撃証言から「4人目」の生存者がいたとされるが、この人物はその後不明。

◇裁判等その後の経緯(民事・刑事訴訟)◇

■民事:2003年2月、ビルのオーナー及びテナントの関係者など6名が消防法違反、業務上過失致死の疑いで逮捕。
明星56ビルは東京消防庁から使用禁止命令が出、さらに犠牲者の遺族がビル所有会社と6被告らを相手取って提訴した損害賠償訴訟の過程で保全処分が出されたため、そのまま残されていた。2006年4月18日、民事裁判について概ね和解が成立したため保全処分が解かれ、その後解体された。ビル管理会社「久留米興産」やビルの実質的オーナーの瀬川重雄被告らとの民事裁判は最終的に2007年3月2日に終決、被告側の支払い総額は約8億6800万円。

■刑事:業務上過失致死傷罪に問われたビル所有会社の実質的オーナー、瀬川重雄ら6被告の判決公判が行われたのは2008年7月2日、東京地裁で開かれた。業務上過致死傷罪に問われていたのは、瀬川、永井両被告のほか、ビル所有会社社長、山田一夫、3階マージャン店の元実質的経営者、伊沢義司▽元同店店長、松元輝二、4階飲食店元経営者、後藤雅之各被告。6被告はいずれも無罪を主張してきたが、一方検察側の主張は「被告らは防火扉の管理や避難経路の確保などを怠り、被害を拡大させた」と主張。瀬川被告に禁固3年、執行猶予5年(求刑禁固4年)、5被告を執行猶予付きの有罪とした。3階マージャン店関係者永井伸二被告は無罪。

2001年9月1日の歌舞伎町ビル火災を契機に、その教訓を生かすべく、その後消防法・火災予防条例等が改正された。2002年10月25日の消防法改正ではビルのオーナーなどの管理権限者は、より重大な法的責任を負うこととなり、防火管理意識を高めるきっかけになった。また、自動火災報知設備の設置義務対象が従来より小規模なビルにまで拡大され、機器の設置基準も強化された。とくに違反是正の徹底として、それまで消防の立ち入り検査にあった時間制限が撤廃され、また措置命令発動時の手続きの簡略化、検査員の権限強化、あるいは違反時の公表、建物の使用停止命令、刑事告発などの積極発動により違反是正を徹底。罰則等も強化され、従来の「懲役1年以下・罰金50万円以下」から「懲役3年以下・罰金300万円以下」に、法人の罰則も、従来の「罰金50万円以下」から「罰金1億円以下」に引き上げられている。

民事・刑事の各訴訟が終わって以降、歌舞伎町ビル火災の遺族会は解散、火災が放火によるものと推定はされるものの、だとしたときの放火犯は未だ捕まってはいません。警察・消防の検証により、出火点は3階階段踊り場東京ガスのガスメーターボックス至近であることは特定されています。が、ガスメーター本体はガス管から外れ、ボックス内の底面に直立した状態で発見されていることから、このガスメーターの状態が問題。故意に外され、放火なのか、外されてた(ガス窃盗)状態放置に加え、何かしらの故意・過失によるガス漏れに引火、さらにバックドラフトなどその他複合的な要因、など不明確なまま15年経ったわけです。
ビル管理の状態の酷さがこの火災を大惨事にさせた主な要因であることで、ビルオーナーの瀬川重雄が加害者側の中心人物として裁かれたわけです。では、その管理の酷さ故にビルという大きな財産(自身所有の建物)を失うのは当然と言えるかどうか・・ビルオーナーにも被害者的側面があるにも拘らず、未だ”出火”原因が特定されていない、放火かどうかも推定だし犯人の特定すらもできていない、加えて民事刑事両面での責任は巨大、故の、その後の、資産家で逃亡しないビルオーナーに責任を、というのはある種のスケープゴートではないか、という、もやっとした霧中感がずうっと漂ったままということもあわせ、遺族・関係者の気持ちを苦しめている、闇の濃い事件(事故)だなと思います。

8月31日の深夜、今年も数人のご遺族の方たちが歌舞伎町に来られました。そして、あの”時刻”を前に、その”場所”に花を手向け、ちょっと笑顔で「また会いにきたよ~」と、亡くされた子どもさん、ご家族に向かって、言葉をかけます。自分もではありますが、少しでも記憶に残そう(とくに街「歌舞伎町」に対し)、そして安全の礎にと、毎年同じ中身であっても、記事・ニュースにしてくれるマスコミの記者たちが数名加わり、手を合わせ、やがて少しの時間ですが、ご遺族の方たちと皆さん混ざって軽く懇談、お茶をしに行ったり、自分には「最近の歌舞伎町はど~お?」と聞かれてそんな話をしたりしながら、亡くなった方たちの思い出話とともに冥福を祈ります。


歌舞伎町ビル火災で亡くなった中村沙由理(さゆり)さんは当時23歳でした。


2001年8月31日から深夜またぎの9月1日午前1時ごろ、ビル3階のゲーム麻雀店「一休」のエレベータ付近から出火。第一通報者はその後の調査により、携帯電話の発信履歴から4階「スーパールーズ」従業員の中村さゆりさん(当時23歳、この火災で死亡)と思われる。さゆりさんの遺族(母、すい子さん)によると、遺体は綺麗でやけどの跡はなかったという。被害者のほぼ全員が一酸化炭素による窒息死。写真は亡くなる10日ほど前に足利の自宅にて撮影したさゆりさん。彼女の携帯電話の履歴から、さゆりさんが第一通報者とみられている。1978年生まれ、生きていれば今年で36歳

さゆりさんの実家は栃木県足利市、家業は建築関係の会社。「渡良瀬川に沈む夕日がとても綺麗で、それを見るのが好きだった。でも、公衆電話なんてないわよ~なんて言ってたわ。」とお母さん。さゆりさんは、市原悦子さんのファンだったそうで、女優になる夢を見て東京に出てきた。TVドラマのエキストラの仕事をしながら、しかし火曜サスペンスの湯煙シリーズかなにかの仕事でヌードになる仕事が入ってきたとき「ヌードはイヤ」と断ってプロダクションを転々としたことも。それでも養成所に通い、少ないギャラのエキストラの仕事で緑山のスタジオなんかにも行っていた。なかなか生活費を稼ぐのが大変で、そのため友人の彼氏が店長をやっているという歌舞伎町の「スパールーズ」でアルバイトを始めたと言う。当時、スーパールーズは歌舞伎町では有名な繁盛店のキャバクラだった。当時、さゆりさんには恋人がいて、「彼氏がいるんなら、結婚したら?」という親の声に「女優として自立するまで結婚は考えてないわ。少なくとも30まではね!」なんて言っていたそうだ。

スーパールーズを退店、しばらく実家に戻っていたが、店の方からどうしても人が足りないからと請われ、再びスーパールーズに戻る。そして、その直後、2001年9月1日歌舞伎町ビル火災が発生。火災は3F麻雀ゲーム店「一休」のエレベーター付近から爆発音とともに出火、当時3・4Fの間の防火扉は周囲に置かれた酒瓶やモップ、お絞り等が置かれ機能する状態ではなかったため、火災の炎と煙をこの2フロアに一気に広がった。0:57、4Fのスーパールーズにいた中村さゆりさんの携帯の履歴から、これが第1通報だったと思われる。

「歌舞伎町なんですけど、火事みたいで煙が凄いんですよ、歌舞伎町一番街のスーパールーズ
です。早くきてください、出られない、助けて」 「火事です、今現場いっぱい、4階、もう避難できないんで早く助けてください。10人ぐらい。お願い」(9月1日午前1時前後のビル内からの119番通報)―そして消防隊が到着するも、建物の屋外階段は一箇所、それもロッカー等が置かれ、これが消防作業の障害になり被害が拡大。死者44名(男性32名、女性12名)、負傷者3名。日本で戦後5番目の大惨事となった。さゆりさんのいた4Fには28名の男女がいたが、全員急性の一酸化炭素中毒で亡くなった。


“歌舞伎町が忘れてはならない記憶”―とは書いたものの、遊ぶも働くも若い人の街の歌舞伎町、記憶が風化していく以前に、次第にこのビル火災を知らない人のほうが多くなっていく。取材のカメラを見かけて、何かあったんですか?と聞いてくる人に、15年前、こういうことがここであったと話しても、多くの人が「そんなことあったんですか?」と、月日が経ち、ここ1~2年はすっかり"観光地化"してきた歌舞伎町、はじめてこの街を訪れる人も多いわけで、風化は当たり前のことのような気はします。おそらく、やがてこの場所も再開発され、何年か先には大きな建物の一角ということになっていくかと思います。
歌舞伎町の建物の防火意識はだいぶ良くなったといわれるが、とはいえ、その多くが窓はあっても目隠しされてたり、防犯上の理由もあるかもしれないが非常階段側の導線を閉鎖してたり、あるいはぼったくりの温床にもなったような管理が雑な建物も多い。そういった建物には、この歌舞伎町ビル火災のような事件・事故が再びおき得る土壌は残っている。だからこそ、とくに歌舞伎町で事業を営む人たちには、15年前、この場所であったことを忘れない、知っておいてほしいと思うのです。客だけではない、そこで働く人たちも、その被害に遭う可能性が常にあるわけですから。

44名の尊い犠牲があって、ルールとして防火防災施策強化が図られてきたことを重く受け止めたいと思います。記憶のあるものはその記憶をつなぎ、二度とこのような悲惨な出来事が起きない、起こさないようにと襟を正す、歌舞伎町にとって9月1日とはそんな日なのです。


8月28日(日)新宿ゴールデン街納涼感謝祭2016 [イベント]

夏の終わりの風物詩、新宿ゴールデン街納涼感謝祭2016、8月28日(日)15時~23時まで。

現在、約270店舗という、新宿ゴールデン街史上最も多くの店舗がひしめきあって営業しています。そのうち、175店舗がこの納涼祭に参加。 新宿ゴールデン街納涼感謝祭参加店はノーチャージ、ワンドリンク500円。日ごろゴールデン街に、ちょっと敷居が高くて来れないという人たちに、この日ははしごしてお気に入りのママやマスター、行きつけのお店をみつけてもらおう、と始まった企画。それが今ではすっかり新宿、夏の終わりの風物詩になった感があります。
今年の春に、300㎡を焼失する火災の起きた新宿ゴールデン街。(※参照→4月12日 新宿ゴールデン街で火災、6店舗4棟、約300平方メートルが焼失。)約20の被災店舗については、再開・復活までにはまだあと2・3歩かかるかな、と聞いてます。10月ごろにはいろいろ、めどが立ってくるのかな。...
今でも、被災店舗の再建、応援に寄付金を持ち寄る方たちがいます。愛されてる、新宿ゴールデン街。
歌舞伎町インターネット放送局《TOCACOCAN》は24時間テレビをもじって昨夜夜よりこの日の夜にかけ24時間生放送をやってました。これもチャリティで、集まった寄付金は被災店舗再建に寄付されるとのこと。放送のテーマは『多様性』、全盲のハジくんが総合司会を務め、"多様"な企画を24時間積み上げてのネット放送。無論、ゴールデン街からも店主リレーによるゴールデン街いいとも!などで中継。 『多様性』について、28日の昼にハジくんと、ゲイ、おなべ、社会学者というメンツで一緒に番組をやったのですが、その番組の最後にハジくん「お前の『多様性』ちがくね?それダメだろ。みたいな」、曰く言葉だけの多様性が蔓延していると思うといったあたりに、コトの本質が含まれてる気がします。まあオレも、このよく言われる『多様性』とか『寛容』という嘘くさい言葉はスキじゃない。

夜はあいにくの小雨日和、人出も昨年ほどではないにせよ、それでもまだまだたくさんの方たちがゴールデン街に立ち寄り、賑わいは夜深くまで続いていたようです。

さて、ぼちぼち秋に向けて。
熊野神社例大祭(9月18日)、歌舞伎町まつりでは東京六大学応援合戦、あのSF超大作ワールドプレミアが10月、と続きます。


7月30日(土)新宿が一番熱い日―『2016 新宿エイサーまつり』開催 [イベント]

毎年恒例! 新宿・真夏の風物詩の“新宿エイサーまつり”
エイサーとは沖縄の伝統行事で魂を揺さぶる勇壮な掛け声で、すべての人の血を熱くたぎらせるイベントです! 毎年7月最終土曜日開催。今年で15回目を迎えました。


2016 Shinjuku Eisa Festival digest 39m19s ver.- Shinjuku's Hottest Day 2016.7.30
2016新宿エイサーまつりダイジェスト動画 39分19秒
撮影:弓田一徳 谷尾宏之 寺谷公一
編集:寺谷公一

The annual mid-summer traditional festival. Eisa represents the tradition of Okinawa. At the festival, participants shout with passion. Held on the last Saturday of July.

【2016新宿エイサーまつり 開催概要】
主 催 : 新宿エイサーまつり大会委員会
 (新宿大通商店街振興組合、新宿東口商店街振興組合、歌舞伎町商店街振興組合、新宿駅前商店街振興組合、新宿文化街商店会、歌舞伎町二丁目商興会、西新宿一丁目商店街振興組合、西新宿商興会)
後 援 : 新宿区、沖縄県、那覇市、一般財団法人沖縄観光コンベンションビューロー、一般社団法人新宿観光振興協会、 公益財団法人東京観光財団、東京商工会議所新宿支部、公益財団法人新宿未来創造財団
公式HP: URL http://www.shinjuku-eisa.com/
開催日時 : 2015年7月30日(土) 12:00~20:00

■会 場 : 新宿駅東口/西口一帯
オープニングセレモニー 12:00~13:00

新宿エイサーまつり公式HP http://www.shinjuku-eisa.com/
新宿エイサーまつり公式facebook http://www.facebook.com/shinjuku.eisa

送信者 2016新宿エイサーまつり 2016.7.30 Shinjuku Eisa Festival Official Photos